第4話 魔王誘拐 2
「ルシオール!ルシオール!!」
ルシオールが遠ざかって行く事を感じた蛍太郎の頭は、地獄につながる永遠に続くクレバスに再び落ちていくような恐怖を感じ、すっかり混乱してしまっていた。
周囲の景色が暗闇に包まれ、遠ざかっていく馬車の後ろ姿以外は何も目に入らない。
「そんな・・・・・・」
こんな別れがあるのかと、絶望的な思いが胸を満たし、激しい自責の念が、蛍太郎の走る活力を奪い去って行く。
その瞬間、蛍太郎の目の端に白銀の閃光が走ったように見えた。一瞬の光だったので、カメラのフラッシュのようだった。
蛍太郎はその閃光に驚いて足をもつれさせて地面に倒れ込んだ。胸を打ち付け、一瞬息が詰まる。
再び呼吸をするために激しく咳き込んでしまった。咳き込みながら顔を上げると、赤い馬車は
潮臭い風が吹き、大粒の雨が降り出した。
すでにぬかるんでいた道には、たちまち水の流れを作り、土の地面は歩きにくい泥に変わっていく。
蛍太郎が泥にまみれるまで体を起こさなかったのは痛みのためではなく、自分の無力さとルシオールを失った無念さに活力を喪失していたからである。
馬車がどこへ行ったのか探す手立てが、混乱した蛍太郎の頭では見つけられなかった。
「くそう」
蛍太郎は、ようやく身を起こした。
とにかくあの馬車を追わなければと、それだけ思い出し、重くなった足を踏み出した。
歩き始めると少しずつ混乱が収まってくる。蛍太郎は気持ちを落ち着かせようと、必死で頭を働かせる。
風も雨は強まってくるが、頭を冷やすにはちょうど良い。蛍太郎は泥まみれの手で頭をかきむしり、両手で頬をたたくように挟み込む。
「どうすればいい!?」
自問自答しつつ、よろよろと前進する。
その時、足の先に何かが当たった。
見ると、地面に何か鈍く光る物が落ちていた。
泥の水たまりに半分埋もれた手のひら大の銀の装飾品を拾い上げる。丁寧に作られた銀のレリーフで、どうやら紋章のようだった。
盾型の土台の左半分には五つの星、右半分には槍とラッパの装飾が施され、盾型の土台の周囲は旗とフクロウのレリーフで飾られていた。どうやらルシオールを掠った赤い馬車から墜ちた装飾品のようだ。これは馬車の持ち主を特定する大きなヒントとなりそうだ。
「あきらめるには早すぎる」
蛍太郎の混乱が回復していくと、ようやくもう一人の同行者の事を思い出した。
リザリエだ。
彼女は魔導師で、知識も豊富だ。
蛍太郎には、未だに魔法がどんな効果を持つ物なのか分かっていないが、リザリエの魔法や知識でなら、何とか見つけ出せるかも知れない。
その手がかりとなる紋章も手に入った。
そこまで考えた時、ルシオールを失った蛍太郎を、リザリエが今まで通り助けてくれるのかという、恐ろしい疑念が膨らみ、蛍太郎の背中に短剣を突き刺すような恐怖が襲った。
リザリエの人となりを考えればそんな心配は杞憂のはずだが、「魔導師リザリエ」としてはどうなのだろうか?
しかし、これ以上ここで考えたり、徒歩で前進しても、馬車に追いつく事はおろか、行方を捜す事も出来なくなるのは明白である。
ルシオールは心配だが、目的があって誘拐した以上、すぐにどうなるわけでもないだろうと自分に言い聞かせて、蛍太郎はきびすを返す。
リザリエと合流する事が、今蛍太郎に出来る最善の道なのである。
蛍太郎はルシオールを失うと考えると、これまでに感じた事が無い様な、底の深い恐怖が襲って来た。恐怖から逃れるように、蛍太郎は全力で宿に駆け戻った。
時間にして五分ほどで宿屋まで着いたが、雨に濡れ、泥にまみれて全力で走って来たので、心臓が激しく振動し、体を破壊してしまいそうだった。心臓の抗議に耳を貸さず、すぐに部屋に戻ったが、リザリエはまだ戻っていなかった。
リザリエは買い物をする為に分かれたばかりだったので当然ではあるが、急な雨も降り出したので、早くに帰ってくるかも知れない。
そう考え、蛍太郎は一階の食堂部分に戻った。
泥まみれの蛍太郎に気付いた女将が、ブラシを持ってきてくれたので、ポーチに出て全身の泥を落とす。
すると、雨に濡れながらリザリエが走って帰ってきた。
エレス全体ではともかく、少なくともこの国には傘は無いのかも知れない。そんな埒もない事をぼんやりと考える。
「また降ってきちゃいましたね」
蛍太郎に気付くとリザリエがポーチに上がって言った。胸に小さな巾着をかばっており、その中にルシオールへのお菓子が入っているのだろう。
蛍太郎は、宿に走ってくるリザリエを見かけた時から、ずっと叫びたかった。
しかし、今は何をどう言えば良いのか、言葉が一切出てこなかった。
手が、体が小刻みに震える。
そんな蛍太郎の様子に、リザリエが気付く。
「ケータロー様?どうかなさいましたか・・・・・・」
リザリエは末席とはいえ魔導師である。質問すると同時にいくつかの可能性に気づき、その中の一つに断定する事が出来た。
「ルシオール様はどうされました?」
質問を発しながら、リザリエの思考は、すでに「誘拐されたのでは」という所までたどり着いていた。
「ルシ・・・・・・ルシィ~・・・・・・」
声が出ない。リザリエが帰ってきたらすぐに追跡を開始しようと思っていたのに、今は自分でも不思議なぐらい圧倒的な不安と恐怖に、何も考えられなくなってしまっていた。涙が滲みそうになる。
震える手を何とか伸ばして、その手に握られていた赤い馬車が落としたであろう銀製の紋章をリザリエに渡した。
「そいつが!そいつがぁ~・・・・・・!」
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