第8話 魔王 6

 この国の人たちにとって、自分たちはどのように見られているのかが分かった気がした。

「つまりは、自分たちは鬼や悪魔の様なものか・・・・・・」

 心の中で呟くと、不意に何に対してなのか、激しい憎しみと恐怖が蛍太郎の心に去来した。

 そして、一瞬のうちに来た時と同じように突然に消え去って行った。その感情の起伏は条件反射的な物の様だった。そうした感情の起伏の激しさに戸惑いながらも、リザリエたちが抱いている不安の心は理解出来た。

「リザリエさん。ルシオールに優しく接してくれるのは助かりますし、そうしてほしいと思います。でも、僕はあなたたちと全く変わらない、ただの高校生・・・・・・学生です。だから、そんなに気を遣わないでください。名前も言い難いでしょうから、ルシオールの様に『ケータロー』とでも呼んでください」

 蛍太郎としては、精一杯の気遣いだったが、それでもリザリエの緊張は解く事は出来なかった。


 何とか床から立たせる事は出来たが、何とも気まずい気持ちのまま、食事を終わらせると、リザリエに案内されて風呂へ向かった。



 本殿に入り、狭い廊下をいくつか曲がると、目的の湯殿に着いた。

 湯殿は男性用、女性用に分かれているのではなく、いくつかの個室となっているようで、その一角全体が風呂場の様だった。

 それぞれの部屋には扉はなく、薄布がのれんのように下がっており、布越しに、ほのかなハーブの様な香りが流れ出て来ていた。

 用意された二部屋の入口には二人ずつ女性が立って待っていた。女性たちはみな、袖なしの軽装で、髪は後ろに結んでいた。

「湯殿はこちらになります。ケータロー様はこちらです」

 蛍太郎が入る方の湯殿の前にいる二人は、二の腕に革製の装飾品を身に着けていた。

「ルシオール様はこちらです。後は係りの者が案内いたします。何かあれば、私がこちらにおりますので、お声を掛けてください。」

 蛍太郎は、ルシオールに伝える。

「ルシオール。風呂だよ。体を洗ってきれいにするんだ。大丈夫かい?」

 蛍太郎としても、何に対して心配をしているのか分からないままの問いだった。

「あい」

 ルシオールの返答は短かった。そして、迷う事もなくさっさとのれんを押しのけて入って行った。

 二人の女性もその後に続いた。

 蛍太郎の入る湯殿の前にも女性が二人残っていた。ルシオールが入室するのを見送った後で、リザリエに囁き掛けた。

「あの。この人たちって、僕と一緒に風呂に入るのかい?」

「はい」

 リザリエの返答も短かった。そして、僅かに頬を赤くしながら続けた。

「お望みでしたら、ケータロー様のお相手も務めます。・・・・・・お望みでしたら・・・・・・私でも・・・・・・」

 なんとなく予感はしていた。

 美人なリザリエを遣わされたのも、蛍太郎にあてがわれた貢物のような理由があったのだろう。

「いや。ありがたいんだけど、恥ずかしいから僕は一人で入りたいかな。・・・・・・風呂の使い方だけ教えてくれればいい」

 健全な高校生としては、興味と好奇心の中心的事柄と言っても過言ではないのだが、夢の様な状況であるはずなのだが、手放しで飛び付ける状況ではなかったし、死んでいった友達や、千鶴のことを思うと、そんな気分にはなれなかった。


 風呂は、蛍太郎たちの一般的な家庭の風呂と比べると、とても広いが、お城の風呂からイメージしたものと比べるととても狭かった。浴室全体で八畳くらい、湯船は二人で足をのばして入れるくらいの大きさで、床より二段下りた下に設置されていた。

 お湯の温度はぬるかったが、この熱砂の国ではちょうどよい加減となっていた。湯船にはたくさんの香草が浮かべられていて、心身ともにリラックスさせてくれるであろう。


 しかし、風呂の説明を受け終えた蛍太郎が、女性たちを部屋から追い出そうとすると、隣の湯殿から悲鳴が上がった。

 蛍太郎が慌てて隣の湯殿に飛び込むと、半裸の女性たちが部屋の隅で青くなって座り込んでいた。

 女性の一人は、ルシオールの黒いドレスを持っていた。

 そして、ルシオールは、部屋の真ん中で立っていた。その身には、女官が手にしているのと同じ黒のドレスをまとっていた。

「どうした!」

 蛍太郎の問いに、ルシオールが振り返り、首を傾げた。

「どうしました?説明しなさい!」

 リザリエが厳しく女性に問う。

「そ、それが。・・・・・・私どもがお召物を脱がせましたところ、黒い霧の様なものがあらわれて、お嬢様を包み込んだと思ったら・・・・・・」

「服を着ていた・・・・・・と言うわけだ」

 蛍太郎がため息をついた。あのドレスは、そうして出てきたものだったのだと得心が行った。ゲイルが持ってきていて、ルシオールに着せたのかとも思っていたが、どうやら違ったようだ。

「ケータロー」

 ルシオールが蛍太郎の足をつつく。

「人前で裸になってはいけない。風呂では裸になってもいい。では、今はどうしたらよいのだ?」

 そう言えば、前に説明したときも、「難しいな」と困った表情をしていたのを思い出した。

 蛍太郎は頭をひねりながら、四苦八苦しつつも説明する。

「えーと。女の人と風呂に入るときは裸になってもいいんだ。男の人とは風呂に入ってはいけないんだ。今は女の人たちがルシオールをきれいにしてくれるから、ちゃんとやってもらうんだよ」

 こうして、ルシオールと接していると、自分にとって常識となっていることは、いざ教えようとするととても難しい事に気付く。

「ケータローは男だな。では、ケータローと風呂に入ってはいけないんだな」

 男と女の区別はつくようである。

「どうしようもないときは別かな。でも、出来るだけ一人で入るようにしなきゃいけないから、体や髪の洗い方をしっかりこの人たちに教えてもらうんだよ」

「あい」

 ルシオールは小さく頷く。

 それから、蛍太郎はため息を付くと、女性たちに声を掛ける。

「そんなわけで、もう大丈夫だから、怯えてないで、しっかりこの子に体の洗い方を教えてあげてください」

 青くなって震えている女性たちとルシオールを残して、蛍太郎は自分の湯殿に向かいつつ、もう一度小さくため息をついた。


 

 蛍太郎は湯船に浸かっている間、何も考えずぼんやりとしていた。考えなくてはならない事が山積みとなり、雪崩を起こさんばかりに膨れあがっているにもかかわらず、そのどれ一つとして考えたくない事柄ばかりだった。

 唯一考えたのは、ルシオールのドレスについてで、スカートがもう少し短いと可愛いかなぁ、という他愛のない事だった。


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