第8話 魔王 5

 蛍太郎は、身近な小さなことをアレコレ考えたのち、ようやく戸口に向かった。もしかしたら閉じ込められていると言う可能性も考えたが、戸には鍵は掛けられていなかった。

 しかし、戸を開けて、外に顔を出すと、四人の兵士が戸口に背を向けて直立不動で立っていた。戸が開く気配に、兵士たちは一様に青い顔で振り向いた。

「あ、お、おはようございます」

 蛍太郎があいさつすると、屈強そうな兵士たちは体をビクッとさせて後退った。そして、それを恥じたような表情で返事を返した。

「お、おはようございます。よく休まれましたか?」

「はい。ありがとうございます」

 蛍太郎は頭を下げた。兵士たちは蛍太郎の様子に、少し安心した様子でお互いに顔を見合わせた。ルシオールだけではなく、蛍太郎にも恐れを抱いているようだった。

「御不自由があるようでしたら、何なりとお申し付けください」

 兵士が、腰も低く申し出た。

「それでしたら、何か食べ物がもらえますか?あと体も洗いたいのですが」

「承知いたしました。食事は部屋で食べられますか?」

「えっと、そうですね。出来ればこの部屋で食べたいのですが・・・・・・」

 兵士の一人が何か身ぶりでの指示をすると、二人の兵士は走って本館に向かった。

「湯は本殿にて御用意できます。着替えなども用意させております。食事を持ってくる者が、そのまま案内となりますので、食事がすみましたらお命じください。わからない事がありましたら、その者にお聞きください」

「ありがとうございます」

 高校生の蛍太郎に、これほど丁寧に応対する人には出会った事がなかったので、やや戸惑いながら礼を言うと、戸を閉めて部屋に戻った。


 蛍太郎は窓を開けると、ベッドで寝ているルシオールの脇に腰を下ろした。そして、静かに揺り起こした。

「ルシオール。起きて」

 ルシオールはゆっくり目を開けて体を起こした。そして辺りを見回してから蛍太郎に目をとめて「うむ」と言うと、再び目を閉じて眠ってしまった。

 蛍太郎が慌ててゆすったが、眉間に小さくしわを寄せつつも頑固に眠ろうとしていた。

「ちょっと、コラ。ご飯だよ」

 「ご飯」と言う単語が効いたのか、ルシオールは「あい」と返事をすると、パッチリ目を覚ました。

 そしてトコトコとテーブルに向い、ちょこんと椅子に座った。テーブルに食事は並んでいないが、手を膝に乗せて大人しく待っていた。

 その様子は可笑しくも可愛らしくもあった。


 少しすると、戸をたたく音がした。戸をあけると女性が二人、食事を盆に載せて立っていた。

 食事がテーブルに並べられると、一人は退室していった。

 残ったのは、この国の者ではないのだろう。くすんだ金髪は肩に掛かるくらいで揃えている。肌の色も白く、年は蛍太郎と同じか少し上と言ったところだろう。知性的な雰囲気のある、美しい女性だった。

 その女性は、食事をテーブルに並べ終わると、壁際に下がり、ジッと立つ。


 テーブルに並べられた食べ物を見て、ルシオールの青い眼は、南海の様に輝いていたが、行儀よく手を膝に置いて、蛍太郎の合図を待っていた。

 蛍太郎も席について手を合わせると「いただきます」と言った。ルシオールもそれにならい手を合わせて「いただきます」と言うと、嬉しそうな表情を浮かべて食事に集中しだした。その様子に微笑みながら、蛍太郎は残った女性に声を掛けた。

「あなたが案内係の方ですか?」

「はい。私はリザリエ・シュルステンといいます。お二人の身の回りのお世話をするよう仰せつかっております。何なりとお申し付けくださいませ」

 緊張しながらリザリエと名乗った女性が言う。

「よろしくお願いします。僕は山里蛍太郎。この子はルシオールです」

 丁寧に名乗りをあげる蛍太郎に戸惑いながら、リザリエは頭を下げた。

 

 リザリエは、「ギダ」と言うこの国の標準的な服を身に着けていない。

 長くゆったりした袖の上着に、長いスカート。太帯は模様が織り込まれた物で、全体的に上品にまとまっている。

「君はどこの国の人?」

 蛍太郎が訊ねると、リザリエは「グレンネックです」と答えた。当然蛍太郎にはどこにある国だか分からないが、行こうとしていた国で、大国だという情報は得ている。

「この城で下働きしてる人・・・・・・じゃなさそうだね」

 リザリエからは、鋭い知性の様なものが隠しようもなく漂っていた。それはただの高校生の蛍太郎にも感じられた。

「はい。この国仕えの魔導師、主席魔導顧問官キエルア様の弟子をさせていただいております」

「・・・・・・って事は、やっぱり監視係りかな?」

 ルシオールと蛍太郎は、この国を滅ぼし兼ねない、かつてない脅威なのだ。当然監視が付くと言う事は蛍太郎にも想像に難くない。魔導師の弟子と言うからには、ただの案内係であるはずがない。

「申し訳ありません。しかし、あなた方に付き添える者が他にいないのです。何と申しましても、あなた方はこの国の運命を握られる方です。下女たちがお相手では礼を失するやも知れません。私とて、この身に余る勤めと存じておりますが、どのようにもお仕え致しますので、ご容赦くださいませ」

 今にもひれ伏さんがばかりの勢いで、リザリエが真っ青になりながら深々と頭を下げる。

「い、いや・・・・・・その。随分迷惑かけているみたいで・・・・・・」

 蛍太郎は罪悪感に駆られて呻いた。

 望んで来た世界ではないが、自分たち二人が国全体を揺り動かして、身動き一つしても、呼吸一つしても周囲に迷惑を撒き散らしているように感じた。

 それでも頭の冷静な部分は、この状況を出来るだけ利用して、ルシオールと二人で平穏に暮らしていくだけの目途を立てなければと言う打算もあった。小さいルシオールのためにも、計算高さも必要なのだと自分に言い聞かせる。


「食事と湯浴みの後には、国王との謁見をしていただきますが、よろしいでしょうか?」

 命令ではなく、依頼の様な口ぶりだった。リザリエの表情に緊張が走っていた。

「それはルシオールも一緒に?」

「出来ますれば・・・・・・」

「わかりました。でも、僕はその・・・・・・作法とか分からないので、王さまに無礼な態度をとってしまうかもしれませんが・・・・・・」

 国王との謁見など、蛍太郎には夢にも想像した事がない状況だった。学校の校長とすら話した事などなかった。

「それはご心配なく。アマザットエータロー様、ルシオール様はこの国の賓客でいらっしゃられますれば、いかな振る舞いされたとて咎めだてられることはありません」

 リザリエには日本の名前は発音しにくいようだった。蛍太郎を助けている不思議な翻訳現象も、名前などはそのまま伝えているのだろうか。そもそも、どこまで正しく翻訳されているのだろうか。

「それはよかった。・・・・・・あと、リザリエさん。僕の名前はヤマザト、ケイタロウです」

 一応の訂正は試みてみた。リザリエは顔を青くしたり赤くしたりしながら今度は本当に地面にひれ伏す。

「も、申し訳ありません。大変な失礼をいたしました。どうかお許しください」

 リザリエの予想外の狼狽ぶりに、蛍太郎も驚き慌ててしまった。

「大丈夫です。気にしないでください。そんな気を遣わないでください」

 蛍太郎は慌ててリザリエを立たせようと駆け寄る。

 それでもリザリエは頭を上げる事が出来なかった。

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