第4話 邂逅 3

 蛍太郎はゆっくりと立ち上がると、少女の方をまっすぐ見た。

「俺を呼んだのは、君かい?」

 いらえはなかった。

 小屋の中には光源となるものはなく、窓もカーテンごと、髪の毛に圧迫されていて、外の明かりはそれほど届かないはずだった。しかし、少女の美しい金髪は、髪自体が発光しているかのように、眩しいほどの輝きを放っていた。

「君が呼んだんだろ?」

 再び問うてみる。しかし、やはり沈黙のみがその場を支配した。

 少女の顔は、大きな御札のせいでほとんど見えなかったが、微動だにせず、眠っているように目を閉じているのはわかった。

 蛍太郎は少女に近づいて行く。髪の毛をまたいで、手で押し分けながら近づく。

 押しのけた時の髪の感触は、ひんやりとしていて、するりと手のひらを滑るように流れて行った。

 まるで、毎日しっかりとケアされているような、うっとりするような手触りだった。

 ほのかにいい香りもする。それも、どこかで嗅いだ事があるような香りだった。どこで嗅いだものか、頭の隅で考えたが、すぐに目の前の事を優先する事にした。


 少女の目の前に来る。

 やはり眼は閉じられていて、スースーと寝息の様な穏やかな呼吸音が聞こえる。頭もうなだれた状態で、本当に眠っているようだった。

 蛍太郎には、やるべき事がわかっていた。

 御札を剥がす事だった。

 まさしく、そのために地獄の最下層にまでやって来たのだ。

 蛍太郎はそーっと御札に手をのばして触れてみた。電流でも走るかとも思ったが、何も起こらなかった。そして、御札の下の方をつまむと、慎重に持ち上げて、額から剥がす。

 御札は何の抵抗もなく、ハラリと剥がれた。


 剥がれてしまった。


 剥がしてはじめて、その行為に恐怖を抱いた。

 この札を剥がした事によって、取り返しのつかない破滅がその身を、または全世界を襲うのではと想像し、背中に氷が触れたかのようにブルブルと震えた。

 恐ろしい、不吉な予感に、激しく後悔し冷汗が全身を流れる。胃がキューッと締まり、心臓の音が耳の奥を打って痛いぐらいだった。

 震える指が、剥がした御札をはらりと落とし、その御札は床に着く前に空中で掻き消えてしまったが、それにすら気付かずに、御札を剥がした時の姿勢のまま、しばらく硬直してしまっていた。


 しかし、自分の身も炎で焼かれず、世界にもなんら変化は起きなかった。

 少女も相変わらず身動きせずに、目をつむり静かに寝息を立てている。体中を、太くてゴツイ鎖に拘束されているというのに、安らかな表情で眠っていた。

 変化と言えば、御札を剥がされた事によって、ようやく少女の顔がはっきり見えた。

 閉じられた瞼には、長い睫毛が、ビューラーを掛けたかのように上向きにツンと立って生えていた。小さいがすじの通った鼻、桜色の小さな唇。その透けるような白い肌は、正に白雪と例えられる美しさが感じられた。

 まだ幼いが、黄金律を持って生まれたかのような、整った少女の寝顔は、現実離れしていて、ゾクゾク震えが走るほど美しかった。それは人間としてより、人形の持つ作られた美しさに近かった。





 蛍太郎は、そっとその陶器のような滑らかな頬に触れて声をかけた。

「起きてくれ。君が俺を呼んだんだろ」

 すると、少女がゆっくりと目を開けた。

 俯いたまま下の方を見ていたが、やがて、ゆっくりと顔をあげると、蛍太郎と目が合った。


 空の高いところ、海のちょうど深くなるところの様な、鮮やかな青い瞳が蛍太郎を見据えていた。ブルートパーズの様な輝きを持つその瞳は、美しく煌めき、見る者を魅了させる瞳だった。それでいて、その容貌と相まって、畏れをも抱かせる輝きだった。

 今目覚めたばかりの少女は、目は半眼程度にしか開いておらず、寝ぼけているような目つきだった。


「来たか」

 少女の声は、囁くように小さく、感情を感じさせない無機質な響きがあった。

 抑揚もなく、ただ「来たか」とだけ告げた。

 その声は、以前から蛍太郎の頭の中に呼びかけてきた声と同じだった。静かで、無機質だが、何処か淋しそうで切なくなる声だった。


「教えてくれ。俺はちゃんと来た。そして、御札を剥がしたぞ。それで、お前は何を望むんだ?俺はこの後、どうすればいいんだ?」

 少女は頭を巡らせる。ようやく御札が顔に張り付いていないことに気付いたようだった。

 小首を傾げると、しばらく何も言わなかった。

 やがて、小さな口を開いた。

「外に出たい」


 少女が立ち上がろうと体を動かすと、重々しく鎖が鳴った。

 少女は、今初めて体中を鎖で拘束されているのだとづいたように、不思議そうに体につながる無数の鎖を見つめる。

 すると、すべての鎖が突然、土くれで出来ていたかのようにボロボロと崩れて塵となってしまった。

 鎖や壁中に貼られていた沢山の御札も、すべてが塵となり、その塵も床に落ちるまでに消滅してしまった。

 蛍太郎は、唖然としてその様子を見守っていた。

 体の拘束を解かれた少女は、再び立ち上がろうと体を動かす。

 しかし、またその動きは止められてしまった。

 自分の髪に、である。


 小屋の中を埋め尽くすばかりに伸びた少女自身の髪の毛にも、すっかり体を巻き込まれ、そのまま壁や柱、梁に巻き止められてしまっていたのである。

 少女は小首を傾げると、また座り込んでしまった。そして、そのまま何度も首を傾げていた。

「ど、どうしたの?」

 蛍太郎が声をかけると、少女は何か言いたげに蛍太郎の目を見つめる。

 言葉を探しているかのようだったが、口を少し開くと、何か言う前に目を閉じて眠りそうになってしまった。

「ちょっと!寝ないでくれよ!」

 あわてて少女の肩を掴んでゆする。

 少女が目をあけると、肩を掴んでる蛍太郎を、不思議そうに眺める。そして、また立ち上がろうとして、髪の毛によって阻止されてしまった。

 どうやら、本当に寝ぼけているようだった。

 しばらくして、少女はまた小首を傾げると蛍太郎を見つめて言った。

「動けぬ」

 蛍太郎に助けを求めているようだ。鎖の方はなぜか塵になったが、髪の毛はそうはいかないらしい。

「そうは言っても、髪の毛切らないと抜け出せそうにないんだけどな・・・・・・」

 蛍太郎はポケットを探る。ポケットには家のカギがあり、その鍵についているキーホルダーは、四徳ナイフで、小さいながら、ナイフ、ドライバー、やすり、ハサミが付いていた。

 なので、ハサミは一応手元にあるのだが、この美しい髪の毛を切っていいものか分からなかった。

 切る事自体が罪なような気がしてしまう。

 それに、この小さなハサミでうまく切れるか自信がなかった。

 部屋の中を探せば、もしかしたら溢れんばかりの金髪に埋められて実は家具があり、ハサミがそこにしまわれている可能性も考えたが、この小屋を埋め尽くす黄金の蛇の群れの中を探索すれば、蛍太郎自身も髪に絡まって身動きできなくなる恐れもあった。

 そんな間抜けな二重遭難に会うのはごめんだった。


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