第4話 邂逅 4
「髪、切ってもいいのかい?」
少女は、全く頓着する様子もなく頷いた。
そこで、蛍太郎は少女の頭に手を伸ばし、髪の根元から、ある程度の長さまで辿ると、小さなハサミを当てる。
しかし、やはりあまりにももったいない気がしてきた。
そこで、かなり長めに残して切るように努める事にした。
慎重に髪の毛をたどり、長さを測りながら少しずつ切って行く。小さなハサミは、もともと釣り糸を切るぐらいの用途で付けられた機能なので、これほどたっぷりある豊かな髪の毛を切っていくのは骨が折れた。切れ味もよくはないので、毛先を整える事など望むべくもなかった。
蛍太郎は、よく妹、ほたるの髪を切ったり、結んだりしていた。なんとなく、美容師にでもなろうかなぁと考えていたのは、それが経験としてあったからだ。
だから、女の子の髪の毛に触れる機会は、普通の男子よりは多かったのだが、それでもやはり苦労した。
何より大変だったのは、この美しい髪の毛を切り損じないように、気を遣う事だった。ハサミのせいでギザギザになってしまうので、その度に罪悪感に駆られてしまう。
少女は全く気にする事なく、蛍太郎にすべてを委ねているようだった。切り始めてすぐに、再び目を閉じて寝息を立てはじめていた。
髪の毛を切り進むと、少女が何も着る物を身に着けていない事がわかった。
透き通るような肌が、金色のベールが落ちると共に現れた。
陶磁器の様に滑らかで、とても人間の持つ肌とは思えないぐらいだった。
蛍太郎は一瞬驚き、そして、一瞬その肌に魅入ってしまった。
少女は、まだ幼く、見たところ蛍太郎の妹と同じくらいの年頃だろうか。
だから、少女の裸体をそれほど意識する事はなかった。
意識しないが故に、まるで優れた芸術作品を見るような心境で少女の白い裸体を「美しい」と感動できた。
それでも、不躾に見る事は
ようやく一通り切り終え、切り損じや、長さが酷くずれていないかを確かめる。
毛先はギザギザで、長さもばらつきが目立ったが、一度に一つまみ程度しか切る事ができないハサミでは、これが精一杯だった。
少女は、本当に人形のように、手を体の横に投げだし、足は割座に折りたたんで座ったまま、スースーと寝息を立てて心地よさそうに眠っていた。
蛍太郎は、少女を起こす前に、下に落ちている髪の毛を適当な長さに切ると、更にそれを髪の毛で結んで二房束ねた。
長さにして40センチほどで、二掴み分ほどの量なので、それなりに嵩張るが、パーカーのポケットには詰め込める事は出来た。
本当は、この室内に溢れる全ての髪の毛を惜しんだのだが、それを持ち去る事など無理なので、せめて少しなりとも手に入れておきたくなったのだ。
黄金の髪の束は、まるで宝石をちりばめた黄金の装飾品であるかのように思えたのである。
少女に尋ねてみたところで、髪の毛を持ち帰る事など気にも留めないだろう。
もっとも、ポケットには詰めたものの、蛍太郎が元の世界に戻れる保証など無い。にもかかわらず、こんなところで物欲を出してしまう自分が恥ずかしくも思えていた。だからこそ、こっそりとポケットにしまったのだった。
それから、少女を揺り起こす。
「終わったぞ。起きてくれ」
すると、少女はゆっくりと目をあけ、蛍太郎の顔を見て不思議そうに小首を傾げる。
傾げる仕草が、まるで小鳥の様だ。少女は、またしても寝ぼけていて、蛍太郎が来たことを忘れているようだった。「なんでここに人がいるのだろうか」とでもいった様子で、ぼんやりと蛍太郎を見つめていた。
「髪を切ったから、もう動けるよ」
そう言われて、ようやく思い出したようで、小さく頷いた。
それから、ゆっくりと立ち上がった。膝に掛けたパーカーがベッドの上に落ちる。
少女は、弱々しく立ち上がったが、フラフラとして、シーツに足を引っかけて前に倒れ込みそうになった。
それを蛍太郎が受け止めて、抱き上げると、床の上におろして、立つのを支える。
少女は、足に力が入らないのか、フラフラして蛍太郎の腕にしがみついていた。
蛍太郎は少女を支えつつ、シーツをベッドから引きはがすと、少女の体に巻きつけてやった。肩口のところでしっかりと縛ると、純白のドレスのようにも見えた。
その上から、パーカーを着せてやる。少女は、大人しく蛍太郎にされるがままにしていた。
少女には大き過ぎるパーカーを着せると、何だかおかしな具合になった。ドレスの上に、薄汚れたダボダボのパーカーを着ているようなもので、ちぐはぐな感じになっていた。
髪は、膝の裏あたりまでの長さになっていた。少女の髪の毛は、耳の下あたりから、螺旋状にウェーブがかかっており、髪全体の量も多く、横にふんわりと広がっていた。
髪にストレートパーマでも当てれば、地面に引きずる事だろう。
本当はもう少し短くしたつもりだったが、少女の身長は思ったよりも低かったのだ。
「大丈夫かい?」
ふらつく少女に蛍太郎が尋ねると、少女は頷いて、「ゆこう」と言った。
「どこへ?」
「外」
少女は、片言でしかしゃべらない。しゃべりつつ、どこか眠たそうな目をしていた。
足のふらつきはようやく収まったが、その足取りは、フワフワと夢見心地な感じがした。そして、玄関に向かうのではなく、壁だけのほうに向かって行った。
「お、おい。外に行くならこっちじゃないのか?」
蛍太郎はあわてて少女の手を引き、玄関の方を指し示す。少女は小首を傾げたが、やがて頷いた。頷きはしたが、何事かを理解したという感じは受けず「まあ何でもいい」といった、気だるさがこもった頷きの様に思えた。
蛍太郎は、少女を導きつつ、ポーチに干していたTシャツを拾い上げると、身に着けた。少女の散髪に悪戦苦闘している間に、Tシャツはすっかり乾いていた。
少女は、蛍太郎が服を着ている間にも、立ったままで寝てしまいそうな目つきをしていたので、手を引いて玄関から外に導き出す。
ドアから外に出ると「あ」と言ううめき声が聞こえた。
振り返ると、少女が上の方を見上げて、初めて感情がこもった眼で空を見上げていた。
「これが青空か?」
声にも感情がこもっていた。感動に近い心の動きがあらわれていた。青い瞳が、喜びを表しながら青い空を見上げていた。
その様子から、少女はこれまで空を見た事がなかったのだろうと想像がついた。いや、この小屋から出た事もなかったのではないか?
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