第3話 地獄 1
落ちていく。
暗闇の中を、どこまでも。
周囲の闇は、深く、濃く、体中に纏わりつくように黒かった。
自分の手足さえも見えない、真の暗闇だった。
一条の光もささない闇の中を果てしなく落ちて行く。
一向に地面に激突する気配がない。
もうどれくらい落ち続けているのだろうか・・・。
時間の感覚が全く掴めなかった。
人は、極限状態になると、すべてがスローモーションのように感じられる事があるというが、今の蛍太郎の状態がそれなのだろうか。
かなり長い間落ち続けているような気がしているが、実際には数秒しか経っていないのだろうか。
一寸先すら見通せない、塗り込めた闇の中では、自分が上を向いているのか、下を向いているのかも分からず、落ちているのかどうかさえ分からなかった。
確かに落ちていたはずなのだが、いつの頃からか、それが疑わしくなって来ていた。
落下に伴う、体が空気を切り裂いていく感覚が無くなっていたのである。
もしかしたら、自分はとっくに地面に激突して死んでしまっているのではないか。死んだ事に気付かずに、魂だけ彷徨っているのではないか、と考えてしまう。
手足をジタバタと動かしてみるが、何も触れるものがない。声を出してみたが、闇に吸い込まれるようで、こだまも返っては来ない。
落ち始めた時の、絶望的なパニックからは立ち直っていたが、頭が冷えたところで、蛍太郎にはどうする事も出来ない状況であるのには変わらなかった。
いつ地面と激突するかという恐怖は心を占めていて、こんな恐ろしい思いをするなら、気付かないぐらい呆気なく死んでいた方がましだと、この状況を呪っていた。
気を失うなり、発狂するなりできれば楽なのにと思った。
しかし、それも叶わず、結局は諦めて、なるに任せるしかなかった。
さらに長い間、蛍太郎は暗闇の中を落ちて行った。
どれくらいそんな状況が続いたのか、気付くと、地面に倒れ伏していた。
いつから地面があったのか気付かなかったぐらい、静かに着地していた。
蛍太郎は、恐る恐る上体を起こしてみる。
体を動かしながら異常はないかと確かめるが、どこも怪我はしていない。
いや、厳密にはどこもかしこも怪我だらけで、体を起しただけでいたるところが悲鳴をあげていた。しかしそれは、
落下による怪我はしていない。
そして、自分がまだ生きているのだと確信して安堵した。
体はだるく、負傷や疲労の色は濃かったが、ヨロヨロと立ち上がった。
何かに掴まりたかったが、手さぐりしても、近くには何も触れる物がなかった。伸ばした自分の手も見えない暗闇に、たちまち平衡感覚を崩して倒れこんでしまった。
地面は固い土のようで、微妙に温かかった。地熱によるものなのか、闇の中の気温は生暖かく感じた。
外界の夏の日射しと比べると、ぬるくすら感じるが、蒸し蒸ししていて汗が滲んでくる。
しかし、この不快さを纏い付かせるような生暖かさが、却って肌を粟立たせる様な感じだった。
地面を手さぐりしながら、四つん這いで進んでいくと、地面がゆるい坂になっているのがわかった。
蛍太郎は、上るでも下るでもなく、横に移動してみた。
すると、少し進むと先に進めなくなった。
壁があったわけではなく、手には何も触れていないのだが、なぜか少しも進む事ができないのだ。
何かを掴めるわけでもないし、ぶつかる感覚もなく、ただ進む事が出来なくなる。
止むを得ず、上るか下るかの選択となった。上れば地上に出られるかもしれない、という考えが頭をよぎったが、同時に、横移動の時の様に、見えない何かに塞がれているのではと、どこか確信めいた思いがあった。
その為、蛍太郎には、下っていく選択肢しかなかった。
同時に、明確に決断をしたのではなく、ただ何かに導かれる様に、「下って行かなければならない」という感覚が頭をかすめ、思考力を奪ってしまったかのようだった。
その時、あの蛍太郎を呼ぶ不思議な声は聞こえていなかったが、その声の主が、この暗闇の道の先にいるのだろうという予感があった。
少し進むと下って行く先の方から、声が聞こえてきた。
その声は、頭の中に響く例の声ではなく、人の声だった。
「おい!森田。しっかりしろ」
「ここどこなの?」
「おーい!川島、笹川さん、水野さん。こっちだ」
「千鶴!無事だったの?怪我はない?」
「根岸さん、立てる?」
「山里君は?ねえ、山里君は?山里君も落ちて行ったのよ。きっと近くにいるはずよ」
「藤原は?いないのか?」
「よし、二人を探すか。本庄とその二人は森田と根岸さんを見ててくれ」
みんなの声だ。
みんな無事だったのか。
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