第10話 潜入 6

 それから、毎夕にはジーンと蛍太郎の剣の訓練が始まった。正規の訓練が終わると、すぐにジーンが蛍太郎のテントを訪れる。それから訓練が始まる。

 時間で言うと四時から五時まで。五時には夕食となるので中断して、それから日暮れまでの一時間ほどを費やして剣の訓練をする。完全に一対一の指導であったが、すぐに見学者が増えてきた。


「すげぇ!何だよ、今の剣捌きは!」

「剣もすごいが、足捌きも見事だ!デコボコの地面を滑るように移動してやがる!」

「見切りがすげぇ!百人長、紙一重で交わしてる」

「ボウズの方もかなりの腕だ!」

 蛍太郎の剣はジーンに振らされているだけなのだが、見学者には達人にでも見えるのかも知れない。

 見学者たちは、すぐに側で、見よう見まねで剣を振り回し出す。そして、蛍太郎入隊後一週間で、夕方は剣技の訓練の時間となってしまった。


 大勢の兵士たちが夕食を急いで掻き込むと、おのおの剣を手に訓練場とされている、なだらかな丘に集まるようになっていた。

 ジーンは、いくら頼まれても蛍太郎にしか指導はしなかったが、見よう見まねと、互いに教え合って、素人集団だった急造部隊は、実践に耐えられる力を急速に付けつつあった。

 ジーンの訓練は、剣技のみならず、槍術、弓術、体術にも及んだのだ。蛍太郎に教えを請おうとする者まで少なくは無かった。


「これはまずいな・・・・・・」

 蛍太郎は内心で焦りを感じていた。自分たちの目的は、あくまでもルシオール奪還である。それに、ルシオールを兵器として使用する事にはキエルアが関わっているのだ。

 潜入している蛍太郎たちにとっては、目立つ事は絶対に避けなければならない。

 しかし、あのカリスマは目立つ事から逃れられそうも無い。

「あいつは当てにしない方がいいぜ」

 ヴァンが囁いた言葉の意味を、深い実感と共に理解した。



 訓練はこれまでにした方が良さそうだ。

 そう思った時、騎乗した三人の騎士が丘を駆け上がって来るのが見えた。丘に集まった数百人がそちらを見る。

 三騎の騎士たちはジーンの方めがけて駆けて来た。馬のいななきと共に、ジーンの目の前で馬を止める。

「ふむ。貴殿が噂の百人長だな」

 一人の騎士が演技掛かった調子で声高らかに言い放つ。きらびやかな重鎧。大きな盾と、顔を覆う大兜。緋色のマントが背に流れており、身分の高そうな騎士であった。

 連れ立つ二人も同様の格好をしている。一歩後ろに控えているので、直属の部下なのだろう。

 ジーンは無言で三人を見る。特に威圧するでもなく、自然体で涼しげに立っている。

「私はアズロイル公爵閣下の軍、赤角騎士団の左将軍レヴィニア・マルケスと申す」

 大兜の面あてを押し上げて、よく通る大音声で、堂々たる名乗りを上げる騎士は、まだ若く、覇気と自信に溢れて見えた。

「聞けば貴様、一介の傭兵にして類い希なる剣技を操り、瞬く間に百人長に抜擢されたとそうだな。それほどの者であれば、我が麾下にも欲しいものだ。だが、噂が真実であるとも限らぬ故、貴様の力を試させてはくれぬだろうか?」


 一方的な要求のみを告げると、左将軍レヴィニアはひらりと乗騎から飛び降りると腰の剣をぬいた。

 細身の直剣である。重い鎧を身に着けているにもかかわらず、その重量を感じさせない身のこなしは、男の身分が、飾りでは無いだけの実力者である事を、如実に物語っていた。

 一方のジーンは無言のまま立っている。

 訓練の最中だったので、鞘を持たずに抜剣しているが、その手はダラリと下に垂らしており、抵抗するそぶりすら感じさせないたたずまいだ。

「私が貴様の力を認めれば、さらなる出世も望めよう。さあ!存分に力を示せ!」


 周囲に集まっていた兵士たちが息をのむ。

 突然始まった試合に自然に輪が出来、試合うだけのスペースが出来る。

 突然の事過ぎて、蛍太郎もボンヤリ見ている事しか出来なかった。

 頭の隅で「止めなきゃ」と思ったが、それを意識した瞬間に左将軍レヴィニアが動いた。

「シュアァァァ!!」

 鋭い気合いと共に大きく踏み込んだレヴィニアは、ダラリと垂れたジーンの剣を持つ手首めがけて切りつける。レヴィニアは剣技を極めている皆伝者である。

 脱力したジーンの、無防備に見える構えが危険極まりないものである事にはすぐに気付いていた。

 そこで、油断して攻め込んだと見せかけて、すぐに出足を一瞬止めた。フェイントである。

 ジーンの手首が翻る。

 ジーンの剣は、虚しく空を斬るはずであった。

 フェイントを見せたレヴィニアが、ジーンの剣をかいくぐって肩口に斬りかかる。余裕を見せて、肩に軽傷を負わせる程度で終わらせるつもりだったのだ。

 しかし、現実には何が起こったのかさっぱり分からない。気付いたら世界は横倒しになっていた。体に痛みは全くないのに横倒しに地面に倒れ込んでいた。しかも、大兜が地面に付かないようにジーンが側頭部に手を添えて片膝を付いて傍らにいた。

「な!?」

 レヴィニアには絶句する事しか出来ない。

「失礼しました。お怪我はありませんか、左将軍閣下」

 優しげに傍らで微笑むジーンには、悪意も敵意も微塵も感じさせない清廉さがあった。

 何が起こったかは分からない。

 しかし、自分がこの男に敗れたと言う事だけははっきり分かった。

 そして、負けて尚、嫌な気分にならないのはこの男の醸し出す雰囲気なのだろうか?

 悔しい気持ちはあるが、復讐しようという気持ちにはならない。後でもっと悔しさが込み上げてくるのかも知れないが、今はさっぱりした気持ちになっている。

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