第10話 潜入 7
「ぬ。心配ない」
左将軍レヴィニアはジーンの手を借りながらすっくと立つ。
「突然の非礼な申し込みに応じていただき感謝する。そして、いかなる技によって私が敗れたのか、いずれ教えていただければありがたい」
若い左将軍は苦笑混じりに言った。敗北の言葉ですら、この男は声高らかに喧伝する。
この男も快男児である。その様子に、心配顔で見守っていた蛍太郎も胸をなで下ろした。
敗北感による復讐にでも出られたら、とんでもない厄介事になっただろうが、どうやら面倒にはならずに済みそうだ。
「百人長の名を聞かせてもらえないかな」
レヴィニアが問う。ジーンたちは当然偽名を使って入隊している。
「センコウ・キシ」
ジーンが答えた。日本語である。日本語で蛍太郎が名前をつけたのだが、ジーンの名乗りを聞くと、蛍太郎はえらく恥ずかしい気持ちになる。
何とセンスが無いのだろうか。
もし日本人がこの名乗りを聞いたら吹き出してしまうのでは無いだろうか?
エレス人にとっては珍しい響きの音なので、エレス人の二人は喜んでいるのだが・・・・・・。ちなみにヴァンは「ヤミノ・コウモリ」で、蛍太郎は「イッパン・ジン」である。「キシ」の発音が難しいので、「キティ」となったり「コウモリ」が「コモリー」と発音しているのが、日本人が聞けば可愛らしく聞こえる。
それがより一層、安直な名前を付けてしまった蛍太郎の罪悪感を刺激するのだ。
志願者を集うテントで、ジーンが本名を書きかけたので、慌てて止めて、勢いでつけた名前だったので、実に適当極まりない。
「センコウ・・・・・・キシ。うむ。美しい響きの名だ。覚えておこう」
左将軍閣下が、鎧をきらめかせつつ馬に飛び乗ってそう言った時は、周囲からは感動にも似たどよめきが起こったほど劇的なシーンだった。
蛍太郎は心の中で「ごめんなさい!ごめんなさい!ほんっとうにごめんなさい!」と懸命に何かに謝っていた。
レヴィニアたちが去った後はジーンの周りに人だかりが出来ていた。今まで何となく近づくのがためらわれていたものが、人々の興奮によって取り払われたようである。
「すごいじゃないですか!」
「キシ百人長!さっきの技は何だったんですか?」
「近い将来、国軍将軍にもなれますよ!そうしたら、俺はあんたの下で戦いたい!」
ジーンは苦笑しつつ軽く手を挙げると、自分を取り囲む連中を下がらせた。
「今のは簡単な体術だ。相手の踏み込みが止まった瞬間に踏み込んで腕を取って、突進する力を流して体を崩しただけだ。相手の油断につけ込んだだけで、運良く勝てただけだよ」
ジーンは実に簡単に説明したが、格闘漫画などで、知識だけはある蛍太郎には、ジーンが言った事の困難さが容易に分かった。
その日はそれで訓練が終了となってしまったので、蛍太郎はジーンと別れた後テントに戻った。
しばらくするとヴァンが戻ってきて、予定より早くに帰っていた蛍太郎に驚いた表情を向ける。
蛍太郎の使っているテントは三人用だったので、当初はジーンも含めての三人で使っていたが、ジーンが引き抜かれてからは他に入る者も無くヴァンと二人で使っている。
蛍太郎がヴァンに、今日あった出来事を説明すると、ヴァンは頭を抱えた。
「う゛ぁあああああ~!あいつは本当のアホだ!マジでやっちまったなぁ・・・」
「いや。でも、話の分かる感じの人でしたし、大丈夫じゃ無いかな~」
蛍太郎がジーンの弁護をする。ヴァンは人差し指をたてて左右に振りながら「チッチッチッ」と舌打ちをする。エレスでもこんな表現をするものなのだなぁと、頭の片隅で感心しつつも、ヴァンの様子に不安を感じる。
「良くも悪くもあいつは人を惹きつける才能がある。それ以上の実力もある。そっちに関しちゃあ底が知れねぇ。でもな。あいつの弱点は世間ずれした直情さにある。そこに惚れ込んじまう人間がいるんだが・・・・・・」
それはヴァン自身の事なのだろうか。
「奴は目立ち過ぎちまった。公爵の直属に気に入られちまったからにはあいつはすぐにでももっと遠くに行っちまう。逆に言えばルシオール殿に近づけるって事だ」
「じゃあ・・・・・・」
いいじゃないか、と、言いそうになったがすぐにもう一つの存在に気付いて「あっ!」と声を上げた。すかさずヴァンが頷く。
「そう。ルシオール殿に近づけば、あの魔導師がすぐに気付くだろうさ」
そうなっては、ルシオールもキエルアも、きっと姿を隠してしまうだろう。
「悪いが、あいつは今回リタイヤだ!」
ヴァンの言った事はすぐに現実となった。
翌日にはジーンはアズロイル直属の軍に呼ばれ、赤角騎士団の千人長となるように言われた。
そして、そのまま姿を眩まさざるを得なかった。
「喜劇だな」
一連のジーンの失態をヴァンが一言で評した。
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