第1話 平穏 7

 登り道は、思いのほか険しかった。蛍太郎はスニーカーだったが、サンダルの者には歩きにくい所もあった。

 階段もあったが、一段一段が高く、幅も狭かったので、手摺のない所では少し怖かった。

 しかし男子たちにはそんな所こそがアピールタイムになるようで、女子たちになにくれとなく手を貸したり声を掛けたりしていた。

 モグモグしゃべる森田も、いつも以上に多弁で、積極的に手を差し伸べていた。


 蛍太郎が手を差し伸べると、それにつかまった美奈は、そのまま千鶴の手を持って来て蛍太郎とつながせた。

「私の千鶴を頼んだよ」

 美奈がウインクして見せた。

 そこからは千鶴も意を決したかのように、掴んだ手を放さなかった。結果、手をつないで歩く形となった。

 

 ギュッと握ってくる千鶴の小さな手のひらは汗をかきはじめていた。蛍太郎の手のひらも汗をかいていて、なんだか恥ずかしい気がした。

 一度離してもらって手を拭きたかったが、そうは言えず、お互いだまって手をつないでいた。

 心臓が口から飛び出しそうなのは、険しい山道を登って来たからだけではなかった。

「あ、あのぉ。山里君、ごめんね」

 千鶴がやっとしゃべった。

「い、いや。いいよ。道、危ないしね」

「ありがとう」

 千鶴はエヘヘと笑った。

 

 気付くと小夜子はずっと先を一人で歩いていた。

美奈も、他の連中を引きつけて、やや歩調を落して離れ気味に後方を歩いていた。

 蛍太郎は、千鶴と二人で歩く形になっていた。

「眼鏡ないけど、大丈夫?」

 キラキラした大きな眼に吸いつけられて、そんな質問をしていた。

「うん。ちょっと見えづらいけど・・・」

 そして、控え目に訊ねてきた。

「・・・・・・変かな?」

 まるで計算されたかのような上目づかいに、小首を傾げる仕草が、蛍太郎の心を無防備にさせたようだった。深く考えることもせず、つい「かわいいよ」と答えていた。

 言った後で、自分でも驚き混乱していた。

 言われた千鶴のほうも混乱の極みのようで、しっかり掴んでいた手を放し、顔を覆ってブンブン頭を振りだした。

「ごめん。変な意味じゃないんだ」

 千鶴は、相変わらず頭を振りながら、それでもなんとか返事をした。

「ううん。ありがとう」

 そして、緊張が限界に達したかのように、安全基地である美奈のほうに駆け戻って行った。


 

 それから間もなく頂上に着いた。

 赤松の木が数本生えていて、あとはゴロゴロした岩がむき出しの頂上だった。


 赤松に囲まれるように、朱がほとんど剥がれおちた、背の低い鳥居があり、その奥に人の背丈にも満たない位の小さなおやしろがあった。そのお社の前には、貯金箱のような小さなさい銭箱が置かれていた。

 どちらも古びていて、ところどころ木が割れていた。


 神社自体にはそれ程心惹かれるものは感じられなかったが、頂上から見渡す景色は見応えがあった。

 東を見れば、青々と煌めく太平洋が一面に広がり、遠くのほうには漁船も何隻か見つける事が出来た。水平線のすぐ上には巨大な入道雲が立ち昇り、真っ白な巨体を誇示していた。

 南には岬が海に向かって伸びていて、尖った先端に白い灯台が建っていた。

 北は本土と海が半々で展開している。

西には漁港と、蛍太郎たちの住む街並みが眺められた。双眼鏡があれば、自分の家も見つけられただろうか。

 みんなそれぞれに頂上からの景色を堪能しているようだった。


 その時、蛍太郎の視界の端に、誰かが岩陰に座り込むのが見えた。

 他の連中とは離れた所だったので、なんとなく気になり、様子を見に行った。

 岩の上から覗き込むと、小夜子が膝を抱え込んで俯いて座り込んでいた。その肩が小刻みに震えていた。

「根岸さん、大丈夫?」

 蛍太郎の声に、肩がビクッと反応した。恐る恐る見上げた小夜子の顔は、涙に濡れていた。

 小夜子はバツが悪そうに必死に目をこすりながら「大丈夫」と弱々しげに答えた。蛍太郎は、ハンカチなど持っていなかったが、それでもポケットを探りつつ、小夜子の横に腰をおろした。

「ごめん。きっと俺のせいだろうね」

 我ながら自惚れたセリフだと思った。言っている自分が堪らなく恥ずかしかった。

「そんな事ない。私がバカなだけだから」

 そう言って、小夜子は自分の膝の間に頭を落した。しゃくりあげる声が聞こえた。また泣き出したようだった。それでも、途切れ途切れになりつつも、小夜子は自分の気持ちを蛍太郎にぶつけてきた。

「私バカみたいでしょ。こんな集まりに参加したりして、山里君に近づこうとして。私ってダサいから、一生懸命おしゃれに見えるように、昨日あわててパーマかけに行ったり・・・・・・。一生懸命だったのよ。話すのだって、顔を見るのだって。でもダメ。私は田中さんみたいに可愛くないし、一人きりで応援してくれる友達もいないし。ごめんね、山里君。でも、こんなに人を好きになったの初めてだったの。だから必死だったの。山里君って、いつも誰とも話そうとしないし、みんなも見ているから、学校じゃ声さえ掛けられなかった。だから、今日はがんばろうかと思ってた。でも、田中さんと川島さんが相手じゃ、私なんか話にならないと思ったら、悲しくて、情けなくなってきちゃって・・・・・・。」

 それだけ一気に話すと、またしゃくり声をあげた。


「私、何でこんな所にいるんだろう・・・・・・」

 ポツリとそう呟くと、小夜子はまた肩を震わせて泣きだした。

 蛍太郎は、云うべき言葉を探して空を見上げた。

 今まで、妹の死を理由に多くの事から逃げて来た蛍太郎である。今日、人からどう思われているのかを知り、好意を寄せられている事も知った。

 嬉しい思いもあるが、過去を重く引きずっている蛍太郎にとって戸惑いの気持ちばかりというのが現状である。千鶴にせよ小夜子にせよ、その思いに対して、今の蛍太郎が何らかの回答を示すのはとても無責任な事のように思えた。

 だから、言葉も出ずに黙り込んでしまった。




 その時、声が頭の中に響いた。

 蛍太郎を呼ぶ、地の底から頭に直接響く、淋しげな声だ。

 その声は、これまでよりも、はっきり、強く呼びかけて来ていた。

 言葉としてはっきり聞こえてきた。


『ここに来て』

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