第2話 崩壊 1
『来て』
その呼び声は、少女の声のように聞こえた。
耳鳴りがして、頭がぼうっとなった。
すぐ隣にいる小夜子には聞こえていない。
小夜子は、相変わらずしゃくり声をあげながら泣いていた。
そして、また声が響いた。
『来て、早く』
その刹那。
世界が強烈な白光と化した。全身を引き裂かれるような激しい空気の振動に続き、魂までも引き裂くような、激しい轟音が鳴り響いた。
蛍太郎は、自分の身に何が起こったのか理解できないまま、全身を地面に打ち付けられたようで、無我夢中で手近な物にしがみついて、地面の激震に耐えた。
白光色に視覚を奪われ、轟音に聴覚を狂わされ、天地が逆さまになったかのような錯覚にとらわれて、立ち上がることは不可能だった。体感的にはもう数分はそうしていた気がするが、実際には十数秒だったのかも知れない。
ようやく地面の震動が収まり、白一色に焼かれた網膜もほかの色を思い出した様で、徐々に周囲の景色が見えてきた。
鼓膜は未だに悲鳴を上げ続けているが、何とか上半身を起き上がらせる事に成功した。周囲の様子を窺って唖然とする。
さっきまでいた、頂上のお社あたりがそっくりなくなって、山を真っ二つにする巨大な裂け目が出来ていた。
裂け目の近くの地面は焦げ、赤松の一本は所々に小さな火が樹皮をなめるようにまとわりついていた。
少し離れた所に小夜子が地面に生えた草を握りしめたまま、同じ様に頭を持ち上げて様子を窺っていた。その顔はすっかり血の気を失っていた。
蛍太郎は慎重に立ち上がり、中腰のまま近寄って行き、小夜子を助け起こした。
「大丈夫?」
そう問うた自分の声が、未だに機能を取り戻し得ない鼓膜の奥で鈍く反響する。
小夜子は、呆然として何も答えられず、蛍太郎の腕を痛いほど握りしめていた。蛍太郎と同様、聴覚を奪われ、蛍太郎の声が届いていないのかも知れない。
見ると、むき出しの足や、肘には擦り傷ができていた。蛍太郎は、長そで長ズボンだったため、特に怪我をせずにすんでいた。
腕時計を見るとガラスが砕けていて、十三時三十六分で壊れて止まっていた。
「みんなは?」
そう思った時、呼び声が激しい耳鳴りの中、聞こえてきた。
「おーい。みんな無事か?」
川辺の声だ。
蛍太郎は、小夜子を支えるようにしながら、声のした方に向かう。
耳はまだ、キンキンと甲高いサイレンのような耳鳴りばかりだが、蛍太郎の頭に直接呼びかける声は、あいかわらず「来て」と繰り返している気がする。しかし、今は「声」の事を気にしている状況ではなさそうだ。
神社の裏手に川辺たちがいた。皆、一様に青ざめていて、顔や体に擦り傷を作っていた。
点呼すると、ここには川辺、美奈、千鶴、夏帆、結衣、それと小夜子と蛍太郎がいる。そして、真っ二つに引き裂かれた反対側の斜面に、多田、藤原、森田が久恵と由香をかばいつつ集まっているのが見える。
「そっちは全員無事か?」
川辺の呼び声に、多田が手を振って答える。距離にして十メートルほどだが、その間に走る巨大で深淵な裂け目は、決定的に二つの集団を分断していた。とは言え、全員の姿を確認して、とりあえずは安心した。
自分たちの身に何が起きたのかは、正確にはわからなかった。
地震かとも思ったが、閃光と、あまりに激しい轟音が、地震という結論に違和感を覚えさせる。
蛍太郎の右腕に千鶴がしがみついてきた。その千鶴の肩を美奈が抱きしめかばっている。
蛍太郎に「守ってあげて」と目で訴えてくる。こんな時でも美奈は千鶴の事を一番に考えているようだった。
蛍太郎のもう一方の腕に寄り添っていた小夜子の手に力が込められたのを、蛍太郎は気付いたが、今はそれどころではない。
「・・・・・・今のって、地震だったの?」
誰かがつぶやいた。
「いや、違う・・・・・・」
川辺が空を仰ぎ見る。そこでようやく全員が気付いた。激しい白光のため、視覚が正常な機能をなかなか取り戻していなかったとはいえ、それに気が付かなかったのは、全員が全員、異常な事態に動揺していたためだろう。
まだ昼時だというのに、辺りは黄昏時よりもさらに暗くなっており、ついさっきまで快晴だった空が信じられないほど一瞬のうちに曇天に覆われてしまっていた。その雲は不吉な気配ばかり覚えるほど黒々として分厚く、空一面を重苦しい空気で支配していた。
殺気を感じさせるような大気中の緊張感は、大気全体が発電機にでもなったかのような、常識外れの静電気を帯びているためだろう。怪しくうごめく黒雲の暗幕を時々透かすように白い光が漏れ出てくる。
轟音による後遺症の耳鳴りで気づかなかったが、すべてを押しつぶすような極低音のうなり声が暗黒雲のあちこちから終始漏れ出ている。
「・・・・・・雷・・・・・・か?」
蛍太郎がつぶやいた。それに答えるかのように、空が再び白い光に支配され、続いて空気全体を激しく振動させつつ雷鳴が鬨の声を上げる。
雷は海に落ち、海面を無数の蛇が行くかのように、分裂して走っていった。想像さえし得なかった規模の落雷である。海水が蒸発するのではと思えるほどの巨大な光の柱だった。
山の下のほう、砂浜の方から無数の悲鳴が上がり、人々が混乱して右往左往する様が見えた。その落雷を合図とするかのように、立て続けに巨大な稲光が、天の蓋のような曇天を支える柱であるが如く、無数に降り注ぐ。
海だけでなく、砂浜や海を隔てた本土にまで衝き立っていた。
轟音と衝撃波で思わず吹き飛ばされてしまいそうだった。実際に数人転んでしまっていた。顔の皮膚がビリビリ引き攣れ、髪の毛先まで神経が通ったように、頭皮が痺れる。
蛍太郎にしがみついてかろうじて立っていた小夜子もヘナヘナとその場に腰を落としてしまった。
「みんな、かたまってその場に伏せろ!」
川辺が指示をする。全員がとっさにその場に伏せる。
「そうだ。ここは危険だ。出来るだけ低い所に避難しよう」
対岸の多田が叫ぶ。それに答えるように美奈が対岸の多田たちにも聞こえるように言う。
「この島は、昔、日本軍に要塞として使われていたから、まだいくつか防空壕やトンネル基地跡があるはずよ。そこに避難しましょう」
「そうだけど、下へ降りる道は、この裂け目のそっち側だ!」
蛍太郎たちが上ってきた登山道は一本道で、真っ二つに割られた島のこちら、本土側にあった。多田たちがいる太平洋側には道はなく、崖のような急斜面が岩だらけの海岸までずっと続いているだけである。
裂け目の向こう側は、島の半分ではなく、縦に裂かれた島でも、わずかな面積しかない。
切り立った崖に、稲妻によってか、切り裂かれた断面を見せる深淵なるクレバスに挟まれた、わずかな空間。
今にも全体が崩れ落ちてしまいそうだった。
これが砂浜でやる「旗倒し」の砂遊びだったら、ここまで土台を削られてなお頂上の旗を倒さずにいるなら、それは遊びの域を超えた名人芸に他ならないだろう。
その状況は、実際にその場にいる多田たち以上に、対岸にいる蛍太郎たちには明らかに見て取れた。
「何とかこの割れ目を越える方法はないか?」
蛍太郎たちが方法を考え、辺りを探ろうとした時、またしても状況が激変する。
方向に一貫性のない突風が辺り構わず吹き乱れだした。
地面に伏せていなかったら、簡単に空に舞い上げられていたかも知れない程の強烈な風だった。
同時に空から小石ほどの雹が、バラバラと降ってきた。
隠れる場所がない蛍太郎たちを容赦なく打ち据える。
蛍太郎は小夜子、千鶴、そして千鶴をかばおうとする美奈の上に覆い被さって出来るだけかばおうとする。
降り注ぐ雹の中には、直径三センチ以上の物もあり、そんな物が背中に当たると思いっきり殴られたような衝撃が走り、目眩と嘔吐感がこみ上げてくるのを懸命に我慢しなければならなかった。そんな大きな物が頭に当たらなかったのが、せめてもの幸運だった。
雹は突然に始まり、そして突然に止んだ。
しかし、誰も安堵感に包まれなかった。誰もが予感したとおり、雹が止んだのは、正に嵐の前の静けさに他ならなかった。
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