第6話 魔導師の館 3
メイドからの報告をキエルアの弟子が受けている時、キエルアは誘拐の実行者たちからの報告を受けていた。
報告とは、誘拐実行時のルシオールや蛍太郎の様子や、道中での様子などである。
他にも、館に到着するまでかかった予算も大分水増しされて報告されていた。
さも大変な任務だったように報告する実行者たちに、キエルアは気前よく金貨の詰まった袋を投げて渡す。
「ご苦労だった。これは報酬だ。後の旅は他の者が引き継ぐ。お前たちはしばらくこの町で羽を伸ばすと良い。また仕事の時は声をかけよう」
実行者たちは袋の重さに、思わず息をのむと、卑屈な笑顔を顔に貼り付けて言った。
「へへへ・・・・・・。また頼みますよ、旦那ぁ」
実行者たちがキエルアの部屋から出て行く。
キエルアはフン、と鼻を鳴らしてから、誰もいない室内で手を振った。その合図が何を意味するのかは、不幸な実行者たちが、その命をもって知る事になる。
そこへ、弟子が入室して来て、メイドからの「ルシオール入眠」の報告をする。
キエルアにとってのゴミ掃除も済んだ所で、ようやく深淵の魔王との面会をキエルアが決心した。
眠っているとはいえ恐怖と緊張は消えない。
キエルアは、メイドとルシオールのいる部屋のドアをそっと開けた。
室内にはランプが小さな光源として頼りなくたゆたっていた。
部屋のドアが開けられると、すぐにメイドが立ち上がってお辞儀をして主人を迎える。
「こちらです」
メイドの案内に、キエルアは頷いて答える。
ルシオールは衝立の向こうのベッドに寝かされていた。
衝立を越えると、見まごう事のない黄金色の輝く髪と、白磁のような白い肌に、この世のものと思われないような美貌の寝顔の持ち主、ルシオールがそこにいた。
豪華な装飾が施された天蓋付きのベッドの上に横たわった少女は、身じろぎ一つせず、目覚める気配さえ全く見せないので、まるで人形の様だが、規則正しく小さな寝息を立てているので、それが生あるものである事が判別できた。
生あるものではあっても、人間でないことをキエルアは重々承知している。そのため美しい寝顔ではあるが、その美を堪能する気持ちは全くなかった。
むしろ、禍々しいものでも見つけたかのように顔をゆがめると、すぐに部屋を後にした。
そして、困惑顔のまま部屋の外まで見送るメイドに、手を振って部屋に戻させると、深くため息をついた。
「まずは良し」
そのまま執務室に戻りかけたところで、キエルアは一つの報告に思い至った。
そして、ルシオールのいる部屋にとって返す。
ドアを開けると、間を置かずに戻ってきた主人に飛び上がって驚き、出迎えに駆けつけようとして椅子に足をぶつけたメイドが、涙目ながら必死に叫び声を飲み込んだ。
キエルアはそのメイドを厳しい目で見つめる。
見つめられたメイドは、自分の粗相に主人が怒っているものと思い、青ざめつつ「ご用でしょうか?」と訪ねた。
しかし、キエルアは何事かを命じるでもなく、思案顔でメイドを見る。そして口の中で「こいつでいいか」とつぶやくと、メイドに尋ねた。
「貴様は『これ』に名前を名乗ったか?」
「これ」である所の、ベッドで眠っている少女をあごで指し示す。メイドは必死に記憶を探るが、どうやら一度も名乗っていない事に気が付いた。
「ももも、申し訳ありません。私、まだ名前をお伝えしておりませんでした」
高貴な身分の賓客に対して、たかがメイドが名を告げることは失礼なのではないかと思い、伝えていなかったのだ。
実際に、名乗った事でひどい折檻を受けた事がある仲間を何人も知っている。
しかし、名乗るべきか否かは、結局の所、その受け手である「高貴な身分の方」の気分次第なので、訪ねられるまで名乗らない方が無難な対応だった。
さらに、メイドは自分の雇い主であるキエルアに対しても、名前を名乗っていない。
雇い主であるため、自分の名前を知っていても不思議ではないが、知らない可能性や、関心が無く忘れている可能性もかなり高い。
しかし、ここで再び名前を告げる事が、親切である以上に、賢そうなこの主への侮辱であると捉えられる可能性も、やはり高い気がする。
メイドがかつて無いくらい必死に無駄な思考を巡らせているのを尻目に、キエルアは少し考え込む。メイドにとってはこの仕草からも、あらぬ憶測が頭の中を駆け巡り、今にも頭から煙を吐き出してしまいそうになった。
キエルアは薄い唇の端をつり上げて、意地の悪そうな表情で笑った。
「ならば都合が良い。貴様は『これ』が次に起きたら自分の名前を名乗れ」
メイドは目をしばたたせて頷いた。このボンヤリとしたメイドにはキエルアの笑みが暖かみのある微笑みに見えていた。
「は、はい。かしこまりました」
キエルアの笑みは、更に皮肉めいた歪みを生じていた。
「ただし、貴様の名はこれからリザリエ・シュルステンとなる。間違ってもこれまでの名は今後一切使うな。『これ』がなんと言おうと、貴様はリザリエ・シュルステンと言い張るのだぞ」
メイドは、主人の意図が全く分からないなりに必死に頷いた。
落ち着いた頃に、このメイドは、主人に新しい名前を戴く名誉を受けたのだと思い、喜ぶのであった。
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