第2話 千鶴 2

 千鶴は赤白のチェック柄のワンピースに生なりの麻レースのカーデガン。日焼け対策の帽子は今は手に持っている。荷物は籐製のバスケット型の小さなカバンだけ。

 足はサンダルではあるが、海で遊ぶ準備をしているようには見えない。

 海の近くの街に住んでいるのに、わざわざ歩いて見に来るのもおかしい。

「そうなんだ」

 山里は特に不審がる様子もなく千鶴の言葉を飲み込んだ。

 ホッとしたものの、自分への関心が薄いのだろうと思うとショックを受けてしまう。


「山里君は?」

 知っているのに白々しくも聞き返さなくてはいけない。

「ああ。ちょっとそこの喫茶店でダラダラしてた」

 ついさっき千鶴が出てきた喫茶店を指さす。

 気まずさが顔に出そうだったので、表情の変化をごまかすために手に持っていた帽子をかぶる。すると、山里が「あ」という。

 何事かと山里の顔を窺うと、視線が帽子のつばを抑えている千鶴の手元に向かっている。そこには山里にもらった黄色いハンカチが、帽子のつばと一緒に握られていた。

「あ」

 千鶴は自分の顔がみるみる真っ赤になっていってるのを感じた。汗が噴き出てくる。

「使ってくれてるんだ。なんか、無理矢理押し付けたみたいで悪いなぁと思ってたんだけど、嬉しいよ」

 山里が笑った。さっきの微笑みよりも自然な笑顔だった。千鶴の胸がどうしようもなく痛む。苦しくって切なくって、嬉しくって、悲しい。

 複雑な思いが一挙に到来する。

 自分の顔を見られたくない。少しうつむいて大きなつばで顔を隠す。

「うん。使ってるよ。大切に、大切にする。私の宝物だもん」

 千鶴は口の中でつぶやく。そのつぶやきは山里の耳には届かない。


 それから少し一緒に歩いた。時間にして一分ほどの短い時間。

 交差点で「じゃあ、俺、こっちだから」と山里が無情な挨拶をする。

「うん。また、学校でね」

 千鶴は自分の内心を隠して精一杯の笑顔を贈る。

 山里はややぎこちない笑顔で「また」とだけ言うと背を向けて行ってしまった。

 

 千鶴は知らなかったが、背を向けた山里は「びっくりした。田中さん、すごくかわいかったなぁ」とつぶやいていた。




 家に帰ってすぐに美奈に電話すると、何かいろいろ怒られてしまった千鶴である。いずれにせよ、もう山里をつけ回すような真似はしないでおこうと自分に言い聞かせた。

 しかし、好きな気持ちは益々募り、本当に自分が抑えられるのかは自信がない。

 千鶴は初めて味わう、整理不可能な様々な感情のどれもが愛おしいと感じていた。

 他にも山里の事を好きだという子たちもこんな気持ちを味わっているのだろうか?

 これまで自分を好きに思ってくれた男子たちも、あのストーカーにまでなってしまった彼も同じ気持ちだったのだろうか?

 今なら彼の気持ちが少しは理解できた。

 少し、申し訳ない気持ちになる。

 「辛かったよね」とも思ってしまう。でも、自分はもう方法は間違えたくなかった。


 小夜子の顔が思い浮かぶ。小夜子も千鶴と同じ感情を味わっているのだろうか?共感は覚えるが、親しみよりも、焦燥感がわいてくる。

 絶対に自分より山里に近しい存在なのだ。そして、普段は眼鏡と、真面目で堅い態度で、ちょっと近寄りがたい印象があるが、本当はとても美人で、中学の時などは明るく、友達も多かった人気者なのだと知っている。

 千鶴にとっては看過できない強力なライバルに思えた。

 





 小夜子が山里の転入を知ったのは、ほかの生徒より、一週間ほど前だった。

 放課後、担任に呼び出されて、東京からの転入生が来る、と、伝えられた。担任は、生徒に積極的に関わろうとしない事務的な先生であり、山里の面倒を見る気は全くなかった様だ。

「東京の学校とうちでは、授業の進み具合が違うらしいの。あなた、チェックしてわからないところがあったら教えてあげてちょうだい」と言われた。

 小夜子は「なんで私が」と思ったが、机に置きっ放しの編入書類の写真に目が行った。一目惚れであった。


 そもそも、小夜子は東京への憧れが強い。

 高校も東京、それは無理でも、もっと都心の学校に一人暮らしをしてでも入りたかった。小夜子にはそれが十分出来るだけの学力があった。

 しかし、親に反対された。経済的な事情もあった。

 そのため、地元の高校にやむなく通っている。

 しかし、大学受験では東京の大学を受ける事を、親と約束していた。

 その為に、努力をしている。

 高校に入ってから、友達も特に作らず、勉強に打ち込んできていた。


 本来なら他人の勉強に時間を割くのはもったいない。

 しかし、山里蛍太郎が気になって仕方が無い。

 担任からの命令という「大義名分」もある。


 詳しく聞くと、担任は隠すでもなく、山里の事情を話してくれた。

「だからって、こんな時期に編入してこなくってもいいのに」と、明らかに面倒だとしか感じていない発言を、隠す気も無く生徒の前で発する。

 小夜子もこの担任は嫌いだ。受験で有利になるからと委員長をやってみたが、事ある毎に面倒事を押しつけられてしまう。しかし、今度の面倒事は素敵ではないか。


「じゃあ、出来るだけ頑張ってみます」

 素っ気ない態度で返事をしたが、胸は期待と興奮で高鳴っている。修学旅行で東京に行った時の興奮を思い出す。

「早く会いたい」

 小夜子は心の中で繰り返し、長く苦しい一週間を送ったのだ。

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