第三巻 時の輪
第1話 初夏 1
楽しみにしていたゴールデンウィークも、別段変わったイベントもなければ、どこかへ旅行に行ったわけでもなく、気づけばあっと言う間に過ぎ去ってしまい、もっと積極的に何かを楽しめば良かったと後悔するばかりだった。
今日から、また始まる学校へ行くのが恨めしい思いがする。
とはいえ、本当に何もなかったわけではない。
親友の川島美奈と電車に乗って、地元の子たちが「街」と呼んでいる、二駅先のビル街に出かけた。ビル街といっても駅ビルのほか、東口側に三棟の五階建ての百貨店が連なっているだけで、ほかは閉店している所も目立つ商店街があるばかりである。
そこへ行ったのも、目的がある訳ではなく、お店をぶらぶら見て回り、ドーナツ屋でダラダラとおしゃべりを楽しんだだけである。
若者が遊ぶ場所と言えばこの周辺のみに限られた田舎であるため、同級生とも度々すれ違う。挨拶するでも、合流するでもなく、美奈と二人だけで楽しんだ一日であった。
それはそれで楽しかったのだが、他に思い出のないゴールデンウィークとなってしまったのは何とも淋しい。
そして、すっかり花が散ってしまった桜の並木を通って学校の門に入った。
南の方では「新緑のまぶしい季節」なのだろうが、こちらはまだ黄緑色の新緑が出て来たばかりなので、瑞々しい緑の葉が日の光に照らされて生命力の限りに輝いている様子を見るのは、まだ少し先の事になるだろう。
「おはよ、千鶴」
ぼんやりと桜の木を見上げていた千鶴は、声をかけられて驚いた。
振り向くと美奈が立っていた。屈託のない笑顔で千鶴を見つめる。身長差が20センチ近くあるので、千鶴は美奈を見上げる形となる。
美奈は他の友達と登校してきたようだが、千鶴を見かけてこちらに来たようだ。
「また、気を遣わせてる」と、少し申し訳なく思いつつ、美奈が自分の事を特別扱いしてくれているのが素直に嬉しかった。
「久しぶり・・・・・・でもないか」
千鶴が言うと、美奈は頬を膨らませた。
「ひどい、千鶴!私は三日も会えなくて淋しかったって言うのに」
美奈は冗談を言って抱き付いてくる。
「あはは」と乾いた笑いを返しつつ、美奈の背中をポンポン叩いて慰めるような仕草をする。
美奈はなかなか離れず、さらになにやら鼻をひくつかせた。
「美奈?」
「んふふ~。千鶴は相変わらずいい香り~。離したくないよ~」
「ちょっと、美奈、おじさんっぽい!」
千鶴が笑うと、美奈もようやく手を離して笑う。
「行こっか」
「うん」
美奈がいるから千鶴は学校に通えるのだと実感する。美奈に手を引かれるととても安心する。
美奈はまるで、千鶴にとって王子様の様だった。
小学校の時からの友達で、中学も同じ学校。
地方故に高校の選択肢も限られていて、自然と同じ地元の高校になり、一年の時は違うクラスだったが、二年から同じクラスとなって現在に至っている。高校最後の年も同じクラスでいられるのは幸運だった。
もちろん千鶴には他にも友達はいるが、本当に気が置けないのは美奈だけであった。
二人で玄関に入ると、自然な動きで美奈が千鶴の下駄箱から上履きを取り出してくれる。そして、ふざけているにもかかわらず自然な動きにまで昇華された仕草で、上履きを千鶴の前に揃えて置き「どうぞ、姫」とキメ顔で千鶴にかしずく。
もうこのやり取りが日常となっているので、千鶴も「くるしゅ~ない」とまじめくさって言う。
そして、二人でクスクス笑いながら所属するクラス3-3の部屋に向かう。
三年生は教室が一階にある。以前は三階にあったそうだが「一番偉い学年であるはずの三年生が、えっちらおっちら三階まで階段を上らねば教室に行けないとはけしからん」という先輩がいたらしく、かつて、生徒総会で議題に上がり激論が巻き起こったそうだ。
先生たちは何年が何階でもどうでも良いらしく、生徒の自主性に任せると生徒会に丸投げした結果、生息階層をかけて、体育祭で勝負して決めたらしい。
普段は三学年合同での7クラス対抗戦なのだが、この年は学年対抗となった。
一階には食堂も購買もあるので、やはり人気が高い。
そこで一階を取り合ったのだが、優勝はやはり三年生。
意外だったのが、二位が一年生で、三位は二年生だったのだ。二年生が不甲斐なかったといえばそれまでなのだが、その年の一年生が、後の大会出場者続出のスポーツ当たり年だったのが不運であった。
正直なところ、一年生は本気で優勝を取りに来ていて、三年生は、辛くも面目を保てたといったところである。
そんなわけで、今も、一階は三年生だが、二階に一年生、三階に二年生という、不思議な教室配置となっている。
「おはよう」
二人そろってクラスに入ると、明るい返事が多数返ってくる。男子も笑顔で挨拶してくる。みな好意的な態度で、嫌味なところが感じられない。
いじめもない良いクラスだと思う。
しかし、席に座ると小さくため息が出てしまう。
美奈は自分の席に着かず、まずは千鶴とホームルームまで過ごすのが習慣だ。
毎朝こうして美奈と過ごすから、朝の時間はほかのクラスメイトは千鶴に話しかけてこない。
美奈はこの効果を狙って、登校からずっと千鶴から離れないでいてくれるのだ。
「本当に千鶴はかわいいよ」
美奈が千鶴のくせっ毛をクリクリと指に巻き付けながら言う。遠目から見ている女子からも男子からも黄色い悲鳴が上がる。
クラスの外から覗いている下級生女子の「美奈お姉様~」や、「あ~!やばい妄想が止まらない~」と他クラスの男子。
「俺もあれやってみたい!」と、かみ殺したような悲鳴。
クラス内はすっかり慣れているようで、微笑ましく見ている。少なくとも表面上は。
千鶴自身も、最初は真っ赤になって、美奈に文句を言ったが、もうすっかり慣れてしまったので、ギャラリーに二人で手を振ってやる。
このクラスには、他クラスや下級生のギャラリーが多い。これが主に千鶴のせいであり、第二に美奈のせいである。
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