第3話 地獄 5

 羽根のある化け物が宙を滑るように滑空してきた。その巨体を感じさせない滑らかな飛行だった。翼のある化け物は、その顔も体も猿のようで、この化け物たちの群れの中では、一番人間に近い姿といえた。

 猿の化け物は、音もなく滑空してきて、一番後ろを走っていた夏帆をその足に捕らえた。そして、さらに腕をのばして結衣も捕まえる。

 化け物は、二人を見つめて淫猥な笑みを浮かべると、舌なめずりをした。

 そして翼を激しく打つと、高く浮かび上がった。上空で旋回しながら、腕に捕らえた結衣に顔を近づけてクンクンと匂いをかぎ、水着にシャツを引っかけただけのその体を、上から下までなめるように見て、満足そうに唸った。

 そして、二人を捕らえたまま、翼を羽ばたかせて飛び去って行った。

 後には、二人の悲鳴が尾を引いて虚しくこだまする。



 多田が、蛍太郎の目の前まで逃げて来た。

 蛍太郎は多田に向かって手を伸ばした。しかし、その手は多田の体をすり抜けてしまった。さらに、多田に手をひかれた久恵や、美奈、千鶴も、蛍太郎の体をすり抜けて、蛍太郎の存在に気付く事すらなく走り抜けて行く。

 頭の片隅ではそうなりそうな気がしていたものの、改めて残酷な現実に直面し、絶望感に押しつぶされそうになる。


 蛍太郎は、もしかすると自分自身がとっくに死んでいて、幽霊にでもなっているのではないかと、本気で思い始めていた。

 そうすると、いつから死んでいたのだろうか。

 やはり地割れに落ちた時点だろうか。

 しかし、ここが地獄だとすると、なぜ自分は小夜子や川辺の様に地獄の悪鬼に苦しめられずにいるのだろうか?

 

 そもそも、自分が地獄に落ちるのは理解できる。妹を殺した罪があるのだ。しかし、他のみんなは地獄に落ちて、これほど無残な目に合わなければならないような罪を犯しているはずがない。

 理不尽だ。

 そんな、無意味ながら当然な疑問が浮かんで来た。しかし、その逡巡は一瞬の事だった。


 蛍太郎のすぐ横を、ドリルのような頭をした怪物が通り過ぎて行く。その化け物も、やはり蛍太郎には目もくれない。

 逃げて行く多田たちが不意に足を止めて立ち尽くしてしまう。

 多田たちの目の前には、今までで一番巨大な、二階建ての建物以上に大きな化け物が立ちふさがっていた。


 クジラのような体だが、恐竜のような頑強そうな足が四本生えており、背なかには人と変わらぬ大きさの、人型の上半身だけが生えていた。

 まるでクジラにまたがった人間の様でもあった。その人型の部分の頭には、角のようなものが目の上から後ろに、なびくように長く伸びていた。

 人型の部分の顔が、多田と久恵を見つけると、嬉しそうに笑い、小さな人型の体からは想像もつかないような、大気を震わせる雄叫びをあげた。追って来ていたドリルのような化け物や、小夜子を食らっていた化け物たちもビクッと体を震わせた。

 

 多田は観念したように、久恵の方を向き、何かを久恵に告げる。そして、久恵の体をきつく抱き締めた。混乱の極みにあった久恵だが、やがて、泣きじゃくりながら多田の背に手を回すと、目を堅く閉じた。多田がこっちを見て笑ったように見えた。

 その瞬間、巨大なクジラのような化け物の、バスさえも飲み込んでしまいそうな口が、二人の姿を飲み込んでいった。

 人型の顔は、轟音の様な哄笑をあたり一面に響かせていた。化け物たちも金縛りにあったように、硬直し、身を縮めていた。


「行くよ、千鶴!」

「え?み、美奈?」

「今しかないわ!逃げるのよ!」

 化け物たちが動きを止めている瞬間を逃さず、美奈が千鶴の手を引いて、ドリルのような化け物の横をすり抜けて蛍太郎の方へ戻って来た。美奈から見て右の方には、化け物の姿がなく、人一人がやっと通れるような狭い岩の小道になっていた。そこに逃げ込むつもりのようだ。

 しかし、化け物の横を走り抜けたとたん、美奈の首から上が消え去っていた。首から赤い柱を吹き上げながら、美奈の体は千鶴の手を引いて数歩走ると、前のめりに地面に倒れた。美奈の体がピクピク痙攣していた。千鶴も美奈の体と共に倒れこんだ。

 激しく地面に転倒したが、千鶴はすぐに起き上がった。そして、美奈の体に起きた異変を悟ると、絶叫して地面を這う。

「きゃあああああっ!」

 美奈の体に手を伸ばし、触れようとするが、現実を拒絶する心理からか触れられず、手をわななかせる。

「いやあ!美奈!美奈ぁ!」

 今やこの空間に生存しているのは千鶴だけである。

「うそでしょ。お願い」

 泣き叫ぶが、美奈はもう動かない。

 化け物がドリルの先端から、赤い液体を滴らせた、長い触手の様なものを垂らしていた。その触手の様なもので、美奈の首をもぎ取ったのだ。美奈の頭はどこへ行ったのだろう。周囲を探しても見当たらない。

 千鶴は後ろ向きに這って、ズリズリと遠ざかろうとするが、遅々として進まない。

 千鶴は、もう蛍太郎のすぐ目の前にいる。それでも蛍太郎は見ている事しかできない。閉じ込められた空間の中で絶叫し、気が狂わんばかりに暴れまわっていた。

「田中さん!田中さん!お願いだ!こっちに来てくれ!」

「やめろ!化け物め!」

「ちくしょう!殺してやる!呪ってやる!」

 いくら叫ぼうと、暴れようと、蛍太郎は見えない空間に捕らえられたまま、凄惨な殺戮を見続けなければならなかった。

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