第7話 虚構 3
「では準備しよう。姫は着替えをしなくちゃ行けないね」
男は寝間着のままの姿のルシオールを見て、ウインクすると、メイドに手を振って部屋から出て行った。
「ルシオール様。お召し替えをいたしましょう。今日はいかがなさいますか?」
メイドはルシオールを名前で呼ぶ。時々お嬢様とも言うが、男のように「姫」とは呼ばない。
男が「姫」というのは、ルシオールをからかっているのだろうか?
ルシオールは、あまりその呼び方は好きではなかった。
ぼんやりそんな事を考えていると、メイドがルシオールの顔をのぞき込む。
「いかがなさいますか?」とは、自分で着替えるか、手伝うかの二択である。
ルシオールの服は、メイドも男も知らないうちに、自分たちで用意していない服に替わっている事がある。
男は最初は随分といぶかっていたが、メイドは「不思議ですねぇ」と言うだけで、それ以上の詮索もしなければ、不思議以外の何の感情も抱いていないようである。
グラーダでは服が替わるたびに大騒ぎしていた人たちがいた事を思い出し、ルシオールはこのメイドの態度が、とても楽だと感じた。
こうした服は、ルシオールが黒い靄から創り出して身に着けていたのであるが、そのデザインはどこから来ているのかはルシオールは意識していない。
蛍太郎は、ルシオールが創り出す服によっては頭を抱えたり、真っ赤になったり、喜んだり、いろんな反応を見せてくれた。
どの反応も、自分に対してはとても好意的だったので、服を変える事が好きだった。
しかし、ここでは「よくお似合いです」以外の反応がないので若干つまらない。
自然と服のレパートリーは少なくなって、お決まりの服ばかりを創り出すようになってしまっていた。
そもそも、受信すべきデータの発信者がいないので、最近では服を創り出すのも億劫になってきている。
「服を用意してくれ」
ルシオールが頼むと、メイドは顔を輝かせてどんな服を着せようかとはしゃぐように、大きなクローゼットに向かった。十分ほどしてメイドは生成りのワンピース型ドレスを用意してきた。つばの大きな帽子もセットである。鼻歌交じりのメイドに任せて、ルシオールは大人しく服を着せてもらう。
「お似合いですよ」
メイドは満足げに言ったが、ルシオールは特に感銘を受ける事はなく、コクリと小さく頷くのみである。
「少し遊んで待っていてくださいね。準備が出来ましたらお呼びしますから」
メイドは弁当やら何やらの準備に部屋を出て行った。
ルシオールは小さくため息をついた。よくは分からないが、この生活がとてもしんどい。
違和感を感じて否定し、記憶が薄れていて否定した事の正体が分からなくなりつつある事に、耐えようもない焦燥を感じつつも、ではいったいなぜ自分が薄れ行く記憶を大切にしたいと思っているのかも分からない。
自分がこの生活で感じる不快な思いとは、自分のこだわりが原因なのだ。なぜこだわるのかも分からないのに、そのこだわりを守ろうと否定する。
この頃では、形ばかりの否定になっているような気がしている。
内心では、早くどうでも良くなってほしいのかも知れない。そう思う度に、やはり胸が締め付けられるような、杭で打たれているかのような痛みが押し寄せてくる。
否定と焦燥と疑問が絶えず押し寄せてくるこの生活は、とてもしんどいものだった。
「ケータロー・・・・・・。リザリエ・・・・・・。」
つぶやいてみたが、記憶の中の彼らは、もう姿がぼやけてしまっている。
そして、一部は、今そうと名乗っている男とメイドが混じってしまっている。
・・・・・・眠い。
眠さがこの忘却を加速させるのだ。
早く起きなければ。
目覚めなければ・・・・・・。
次に蛍太郎と出会う事が出来たら、その時はしっかり目覚めるだろう。
それは、なんとなく確信している。
ドアがノックされる。
「着替えは済ませたかい、ルシオール?」
返事を待たずにドアが開かれた。
男が入ってくると、着替えを終えてぼんやりと立ち尽くしているルシオールを見て、顔をほころばせる。
「よく似合っているじゃないか」
感銘を覚えない台詞だが、ルシオールは小さく頷いた。「何をむくれているんだい?今日はきっとデカい魚を釣り上げてみせるから。」
明るい笑顔で男が言うと、ルシオールの手を取った。
男がルシオールに触れたのは、この館で初めて会った日に、手を取っての挨拶をした時のみだったので、ルシオールは驚いて手を引っ込めた。
男は苦笑して、再びルシオールの手を取った。
そして、腰をかがめてルシオールの目をのぞき込んでささやく。
「お待たせしたね、『ルシィ』」
ルシオールの鼓動が一度高く鳴った。
「ルシィ」
懐かしい響きだ。記憶が濁って曖昧になり、握りつぶした卵を殻ごと混ぜたように、全てが雑に入り交じっていく。
全ての意識が混濁していく。
そして、深く濃い靄の中に入り込んでいくような微睡みに沈んでいく。
そして、ルシオールは返事をしていた。
「行こう。ケータロー」
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