第10話 潜入 2

 薄暗い食堂の、さらに一番奥の席である。

 席にいたのはジーンだけでなく、黒髪長髪、痩身の男も同席していた。

 男は蛍太郎たちに目を向ける事なく、手を挙げるだけの挨拶をした。

 蛍太郎は軽く会釈を返すと、表情を強張らせたまま席に付き、リザリエがその隣に腰を下ろす。


 強大な力を持つ魔導師でさえ、ジーンには敵わないという。事実、砂漠の国グラーダでは、一国の主席魔道顧問官であるキエルアでさえ、ジーンには一目も二目も置いていた。

 相対して座るリザリエの表情が緊張を隠せない。


「まずは、君たちに謝らなければならないな」

 ジーンは言うなり立ち上がる。隣にいる黒髪の男が驚いたようにジーンを見上げる。

 ジーンがその男の腕を掴むと、無理矢理引き上げて立たせた。

 そして、深々と頭を下げる。

 「げっ」と呻く男の頭を掴むと、同じように無理矢理ながら頭を下げさせた。

「君たちをつけていた事を詫びよう。申し訳なかった」

 顔を上げたジーンは真摯な瞳を向ける。

「さらに、君たちの小さな魔王。ルシオール殿を連れ戻せなかった事をお詫びする」

 再び頭を下げたが、今度は小さく頭を下げた。

 それから席に座り直す。二人はすでに食事をしていたので、テーブルにあるグラスに口をつける。

「君たちも食事にするんだろ?何か頼むといい」

 不満を隠せない蛍太郎の様子に、気を止める様子も見せずに、ジーンは屈託のない調子で言った。しかし、蛍太郎は思ったままの事を口にする。

「ひどいじゃないですか、ジーンさん。俺たちの事を尾行していたのは仕方が無いとして、ルシオールが攫われた時に助けてくれても良かったのに。あれから俺たちがどれだけ苦労したかも知っていたんでしょ?」

 すると、今度はジーンが憮然とした表情となった。

「私が謝ったのは、君たちを追跡していた事。これは君も理解していると思うが、ルシオール殿の力は放置するには危険すぎる。それはまさに、誘拐された事で充分分かっているだろ?それに、これから起こる戦では、危険性が実証されるかも知れないのだ」

 ルシオールの力を知れば、悪用しようとする人間は、この世界には少なくあるまい。

 悪用出来る力が、好き勝手に世界を歩き回る危険。

 

 これは、地球での核装備している原子力潜水艦が、自由航行権を得て、自家用車並みのセキュリティー管理のまま、世界の海を海中、海上問わずに遊覧しているようなものだ。

 もちろん、核ミサイルの発射キーは刺さったままで、入力コードも入力済み。おまけに、発射ボタンのある部屋は誰でも入れる。そう想像すると、とてもではないが片時として安心して暮らす事など出来ない。

 これは、蛍太郎の認識がこれまでいかに甘かったのかをいやが上にも悟らせてしまう想像だ。


「次に、ルシオール殿を連れ戻せなかった事」

 ジーンが続ける。

「私はルシオール殿が連れ去られた時に、追跡をした。その時点で救出するのは難しくなかった。しかし、私は私の使命を優先させてしまった。その点を君に詫びたのだ。私にとっては優先すべき使命だったが、君にとっては違ったはずだ。だからそれを詫びた。結局使命は果たせなかったのだが、それは私が個人的に反省すべき点だ」

 ジーンの瞳が強く光る。真摯で、とても厳しい視線を蛍太郎に向ける。蛍太郎の胸の奥が激しく動揺する。

「ルシオール殿が誘拐されたのは、これは君の責任だ。その後苦しんだのも、まさに、君の責任からによるのではないか?」

 ジーンの言葉が胸の奥底に刺さる。

 確かな正論であり、その正論にジーンの信念や魂が籠もっている。

 蛍太郎は、自分の不用意な発言や、他者に責任を押しつけようとした自分の心を恥じた。

 ジーンという人物の不思議さは、強く言われても不快感がなく、こうして反省した後に、次に前進しようとする意志を与えてくれる事だ。圧倒的なカリスマ性とはこうした力を持つ人物なのではないだろうか?


「あの、すみませんでした。俺、かなり甘ったれですね・・・・・・」

 膝の上で握りしめられていた拳がわななく。

 隣に座るリザリエが気遣わしげに、その手に自分の手を重ねた。その様子を見たジーンが微笑む。

「いや、謝る必要は無いよ。甘かったのは私も一緒さ」

 ジーンは手を挙げると、店員を呼んだ。すでにたくさん食べて、飲んでいる様子なのに、次々と料理や飲み物を注文する。

「君たちも好きな物を頼むといい。支払いならすでに済ませてある」

 黒髪の男も、遠慮無く次々と注文している。やせた体でどれだけ食べられるのかと心配になるくらいの量だ。

 蛍太郎たちも注文をする。注文をするのはリザリエの役だ。

 その様子をじっと見ていたジーンが、おもむろに口を開く。

「ケータロー君。君はエレスの言葉の勉強を続けているかい?」

「え?」

 唐突な質問に蛍太郎は戸惑いつつ答えた。

「い、いえ。グラーダにいた時は勉強しましたが、今はそれどころではなくて・・・・・・」

 すると、ジーンは真剣な表情で諭すように言った。

「いけないな。君は言葉や文字の勉強を真剣にするべきだ」

「は、はあ」

 話の内容が見えてこない。多少の文字や言葉は覚えたが、少なくとも言葉ではルシオールの魔力の加護を受けているので、自動的に翻訳されるので困っていない。

「あ!」

 蛍太郎は時々エレス語が分からなくなる事を思い出す。精神的におかしくなると、その事さえも頭から抜けてしまうが、今ならその恐ろしさがよく分かった。

「そう。君はルシオール殿の加護の一部は失ったようだね。でも、全部ではない。君とルシオール殿は今も確かにつながっている。しかし、これから先の事は分かるまい。また、ルシオール殿を取り戻せたとしても、この世界で暮らしていくなら、自分の真の言葉で話さなくてはいけない。言葉は大切にするべきだと、私は思う」

 蛍太郎の胸に熱が灯る。

 ジーンに言われて、未だにルシオールとどこかでつながっているのだと感じられた事が嬉しかった。


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