第10話 潜入 1
「言ってしまった」
突然の結婚申し込みをしてしまった後で、蛍太郎は激しく懊悩した。後悔はしていない。
しかし、ちょっと前までは単なる高校生だったし、生活能力もないまま、無責任な行動を取ってしまったと思わざるを得ない。
リザリエに対する愛情は確かに持っている。
これまでは意識しないように努めていたが、リザリエに対する好意は確かにあった。
それが、ここへきてリザリエからの思いも掛けない告白。
その愛情の深さと強さを知った今、蛍太郎の思いも高まっていった。
ルシオールとリザリエと三人で暮らす生活。少し前までは確かにあった生活を、今は望んで止まない。
プロポーズしたのは間違いの無い行動だったと思うが、その後どう生活していくのかを考えると、頭に浮かぶ言葉は「ヒモ」だった。
リザリエが働けば、蛍太郎が働く何倍も、いや何十倍、何百倍も稼ぐ事が出来る事実。
共に働いたとしても、何となく肩身が狭い気分になるのではないかと思ってしまうのは、蛍太郎の住んでいた世界の感覚なのだろうか・・・・・・。
そうした事を抜きにしても、自分が結婚する姿はなかなかに想像できない。子どもが出来たとしたら、自分は父親になる。・・・・・・さらに想像が出来ない。
なぜプロポーズしたのだろう。間違いではない。間違いではないのだが・・・・・・やはり、勢いだったという気がしてならない。
勢いなんかで結婚の申し込みをして良かったのだろうか?
いや、こういう事は、勢い無しでは出来ない気もする。
しかし、無責任なのではないか?
俺はヒモになるのか。いいなぁ・・・・・・。いや、ダメだろ、男として・・・・・・。
蛍太郎の思考は、リスの回す回転車の如く勢いよく回転し、そのエネルギーを何かに変換する事もなく、ひたすら浪費していて、実りがない事甚だしかった。
しかも、思考がどんどん支離滅裂になっていくのを、どこか俯瞰した自分が認識していた。
一方、リザリエは別の意味で妄想を逞しくしていた。
直前にしていた名前の話の流れから、すでに子どもの名前候補を脳内で展開していた。
そこに至る経緯までも、妄想を膨らませていた。
時間にして、二人が口づけを交わしてから、いまだ十秒も経っていないので、蛍太郎の腕の中には、リザリエが抱きしめられている。蛍太郎がかいているのは、火照って出た汗なのか、冷や汗なのか・・・・・・。
リザリエの顎を伝い墜ちているのは、涙なのかヨダレなのか・・・・・・。
二人の目が合う。照れたように笑って、慌てて体を離した。
こうしてお互いの瞬間的思考を明らかにしてしまうと、世界はそれほど輝きばかりで満ちているようには見えなくなってしまうのが不思議だ・・・・・・。
とは言え、これは幸福なエピソードだったと言えよう。
蛍太郎にはさっきまでになかった、確かな強い意志の力が宿った。リザリエにも大きな変化が訪れたに違いない。表情に力が籠もっている。
明日の朝、蛍太郎は兵士志願所のテントに行く。しばらく二人は離ればなれになってしまうが、お互いに出来る事を全力でして、確かな幸せの待つ未来にたどり着くのだ。
しばしの別れの前の最後に共にする食事を取ろうと、二人は宿の食堂に向かった。
二人が空いている席を探して食堂内を見回すと、手招きする者がいた。薄暗いランプに照らされた食堂内でも、どこか輝いて見える雰囲気を持つ美丈夫。
見間違いようのない存在感と、同性でありながら神々しさを感じさせる程の美男子。白銀の騎士ジーン・ペンダートンが、気さくな笑顔を向けていた。
どうしてここに?
大変な奇遇・・・・・・ではない。確信のある出会いだという事は蛍太郎にも瞬時に理解できた。
隣にいるリザリエも驚きつつも、「やっぱり」という表情をしていた。つまり、自分たちは監視されていたという事になる。
世界を滅ぼしかねない「深淵の魔王」「魔王の中の魔王」ルシオールを、無許可で連れ出したのだ。
これまで追っ手が来なかったのは、捕らえてどうなる相手ではなかったからだとは思うが、それでも野放しにする事が出来なかったのは当然だ。
その追跡者がジーンだったのは驚きであった。
しかし、問題はいつから見張っていたのか?
ルシオールが攫われた時には、なぜ助けてくれなかったのか?
ジーンであれば、何らかの援助はしてくれる、そんな人物だと思っていただけに、筋違いなのは分かっていても腹が立つ。
蛍太郎の表情が強張っていくのを、少し離れたところにいるジーンも見て感じ取ったようで、苦笑を浮かべた。
蛍太郎はリザリエとうなずき合い、ジーンの招きに応じる事にした。
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