第9話 獣の狂気 7
買い求めた鎧、籠手、具足、兜、盾。防具はみな軽量な物ではあるが、質は良い。
刀も装飾はほとんど無い無骨なデザインながらに、実用的な良品である。初陣の傭兵としては、かなりの装備である。
出資はもちろんリザリエで、費用に糸目は付けなかった。仕上げにおまじないまで掛けてもらったのだ。ありがたく、頭が下がる思いがした。
今更ながら、なんで自分にここまでしてくれるのか不安になる。
リザリエが自分への好意を言葉にして伝えてくれて、自分は愚かな行為をした上に、リザリエの思いに対して、何も答えられていない。
死んだ友人の事。その中には自分に思いを寄せてくれていた人も幾人かいる。特に千鶴に対する後ろめたさを感じて止まない。
死の間際まで蛍太郎の名を呼び続けていた千鶴を見殺しにして自分だけが助かった。望んだ訳ではないが、助かった時に自分はホッとしなかっただろうか?
化け物に食い殺されるのが自分でなくて良かったと思わないでいられただろうか?
その時はそれどころではないパニックの中にあったが、振り返ると何一つ自信が持てない。
自分がいかに汚く、醜く、卑しく、身勝手な存在であるのか。
さらに、悪夢の中で覚えた興奮。
これでは自分が化け物である。そうした思考で、蛍太郎の精神はどんどん病んでいき、どこまでも深い奈落に落ちていくのである。
にもかかわらず、今、ここで、こんなに美しく、知性的で、思いやりのある女性に愛されて良いのだろうか?
自分に幸せになる権利などあるのだろうか?
蛍太郎は悩まずにはいられなかった。
しかし、蛍太郎は一つの覚悟を決めた。ルシオールと、自分と、リザリエのために、他人を傷付ける覚悟。身勝手な覚悟だし、正当化できない覚悟である。
それでも、蛍太郎にとっては大きな前進だった。その一つの身勝手な覚悟が、次の一歩も踏み出す力を与えてくれていた。
「リザリエ?」
「あ、はい?」
リザリエと蛍太郎の目が合う。蛍太郎の瞳に宿る力に、リザリエの鼓動が一つ高鳴った。
リザリエの強い願い。それは薄い望みの上にあるささやかな願い。それに対しての答えが今訪れるのだという予感。
表情がこわばるのを感じる。全身の筋肉が硬直してしまう。次の蛍太郎の声を聞くと、自分の体が壊れてしまうのではないかという恐怖すら感じる一方で、一語一句聞き逃すまいと聴覚神経が全力で稼働する実感。
極度の緊張から、血の気が引いていくのを感じる。
世界から色が失われていく。目眩が起こり、まっすぐ立っているのが困難になった。
時間にしてみれば、ほんの数秒の時間であったが、リザリエにはとてつもなく長く感じた。
しばしの無言は、無限の拷問のようであり、次に訪れる転機への必要な準備期間であった。
しかし、その沈黙もようやく破られる時が来た。
「ルシオールを連れて帰ったら・・・・・・結婚しよう」
急速に世界に色が戻り、冷たくなっていた顔に熱気がこもる。
手足は震えるが、痺れたような感覚は無くなった。
目が熱くなり、気が付くと涙が次から次へと溢れてくる。涙は頬を濡らし、顎を伝い、服の胸元を濡らしていた。
息が詰まる。
何か言わなければ行けないのに言葉が出てこない。
知性的であれと願いを込めて「リザリエ」と名付けられたにも関わらず、一切理性的、知性的な言葉が思いつかない。
リザリエは思考を捨てて蛍太郎に駆け寄った。
そして、蛍太郎の胸に飛び込み、その胸に顔を埋めると、ようやく「はい」と返事する事が出来た。
蛍太郎が、リザリエの頬をなでた。どちらからというわけではなく、自然と顔が近づき、お互いの唇が触れ合った。
世界はこんなにも輝きに満ちているのだと、リザリエは無上の喜びを感じていた。
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