第7話 虚構 5
二人は今、アズロイル公爵領の最も大きな都ディルケスに来ていた。
そこの仮住まいとなっている小さな家に帰ると、蛍太郎は小さくため息をついた。
小さな家ではあるが、グラーダ国の一般的な家よりはよほど大きく、造りも複雑である。
基本は石造りだが、木製の梁や柱、扉と、木の割合も多く、漆喰などが組み合わされて、より複雑な構造となっていた。
部屋数も必要に応じて別れており、二階建て、三階建ての建物も多い。窓にはガラスが入っており、国の気候の差による必要性の問題もあるが、グラーダ国との技術レベルの差も浮き彫りになっているようだった。
「おかえりなさい。今日はいかがでしたか、ケータロー様」
リザリエが奥の部屋から出迎えに出てきた。
「仕事も情報も得られなかったよ」
言っている事が、リストラされて職探しをしているサラリーマンのようだと、蛍太郎は苦笑した。
実際、彼らもこんな気分なのかも知れない。
だとすると、家に帰る度にこの居たたまれない、何とも自嘲的な気分になるわけで、その心労が察せられるというものだ。
「そうですか。お疲れ様でした。さ、ご飯にいたしましょう」
リザリエは思いやりの籠もった笑顔で、蛍太郎を居間へ促す。
その優しさを感じるにつれて、自分の不甲斐なさを感じてしまうのだから、なんと苦しいループなのだろうか。
「それにしても夫婦みたいな会話だな」
何度目かわからない内心のつぶやきを、リザリエに聞こえないように漏らした。
だとしても自分の身分は「ヒモ」でしかない苦い実感がある。リザリエの蓄えやまだまだ余裕があるし、魔法での治療院はかなりの利益を上げる仕事であり、さらに蓄えは増え続けているので、蛍太郎が働く必要など本来無いのだが、情報収集がままならず、気分も鬱(ふさ)ぎがちなので気分転換のためにも始める事にしたのだ。
しかし、それがより落ち込ませる原因となっているのは本末転倒と言うよりほかないが、蛍太郎は後には引けないという、妙な意地が邪魔をして方針変更が出来ないままでいる。
リザリエはそれを心配しつつも、自分が心配している事を悟られせない様に、あえて明るく振る舞っていた。
実際、リザリエの笑顔や暖かい言葉、態度に蛍太郎の心が慰められた事は数え切れない。
「今夜はおいしいお肉が手に入りましたよ」
食欲が落ちている蛍太郎だが、肉料理と聞くとのどが鳴った。
よく出来た人間とはいるもので、リザリエの手料理はとてもおいしかった。室内からはシチューの甘い香りが漂ってきていた。
「もうすぐ出来ますから、座って待っていてください」
リザリエが、鼻歌交じりにキッチンに向かった。
魔法が使えても料理は手でやるものだ。魔法は万能ではない上に、使う用途がかなり偏っている。その用途は戦向きのものが多く人々の生活に密着するような便利なものは限られていた。
たとえば明かりの魔法。
周囲が明るくなるが、夜に室内を灯すのならランプで事足りる上に、魔法使いの数の少なさと、使用する魔力(マナ)の事を考えれば、普段は使われない魔法となる。
治療の魔法はあるが、怪我には効くが、病気となるとその効果は著しく下がってしまう。
結果、薬師や、民間療法レベルではあるが医者も重要な職業である。
また、魔法使いの花形は戦の場であるため、魔法治療院を目指す魔法使いは少ない。治療魔法が得意な魔法使いは戦場での回復役として王宮に仕える道を選ぶ場合がほとんどであるし、引く手数多だというのが世界の現状である。
そんな世界で、田舎で小さな治療院を開く事を目指している希有な魔法使いがリザリエであるのだから、蛍太郎も頭が下がってしまう。
ボンヤリとそんな事を考えているうちに、料理は完成し、蛍太郎の前に並べられた。
多分、鶏肉の入ったシチューに、少しの野菜と、近くのパン屋で作られた、焼きたてのパンが並んでいる。
「いただきます」
蛍太郎は長年の習慣で手を合わせると、シチューをすくい口に運ぶ。リザリエの故郷であるこのグレンネックには、「いただきます」とは言うが、手を合わせる習慣はない。
しかし、蛍太郎と過ごすうちに、自然と手を合わせる事が身についてしまった。
「いただきます」
リザリエも料理を口に運ぶ。我ながらおいしく出来たと思う。シチューなら食欲の落ちている蛍太郎も食べやすいはずだ。蛍太郎の様子を窺う。蛍太郎は数口シチューを啜っているが表情も変わらず、無言である。最初は、調子の良い時はよく料理を褒めてくれていたが、この頃は食べる事が苦痛であるかのように無言で、しかもあまり食べない。
リザリエは蛍太郎の身を心から心配して日々思い悩んでいた。
「グッ!?」
突然、蛍太郎が口元を押さえて立ち上がる。そして、そのままトイレに懸け込んだ。リザリエは慌てて後を追うが、彼女には今は何も出来ない。
木の扉を隔てた向こうで蛍太郎の苦しむ声が聞こえるのを、止まらない不安感を押し殺しながら待つ事しか出来ない。思わず涙がこみ上げそうになる。
蛍太郎の顔色はどんどん悪くなり、やつれていく。
扉を開けて出てきた蛍太郎は、色を失った唇で、弱々しく自嘲気味の笑みを浮かべた。
「ごめん。食べられそうもない」
「では、お茶にしましょう」
リザリエは、気丈にも微笑んで見せて、蛍太郎の背中をさすりながらテーブルへ誘う。蛍太郎は気付かないが、リザリエもやつれてきていた。
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