第1話 初夏 7
「あの。ごめんなさい、山里君」
「うん?」
「思いっきりぶつかっちゃって。山里君は痛くなかった?」
山里は大きなゴミ袋を持って千鶴の隣を歩く。
「まあ、ビックリしたけど・・・・・・えっと、田中さん?ほどじゃないかな」
山里は無表情で淡々と話す。しかし、千鶴は驚いていた。
「私の事知ってるの?」
「え?そりゃあ、同じクラスだし・・・・・・」
「でも、『さっき初めまして』って」
そう言われたので、てっきり、山里は、自分の事なんか知らないと思っていた。
「ああ。初めて話すからどうしようかと思ったんだ。確かに変だったな」
山里は頬を赤らめた。思ったより怖い人ではなかったと、千鶴は安堵した。すると、好奇心が沸いてきた。
「教室に残って何してたの?」
「勉強だよ。前の学校と範囲が違ってる教科がいくつもあるから」
「そうなんだ」
「まあ、数学とかはなんとかなるけど、世界史が致命的に違ってて参ってる」
「へえ」
「向こうでは主に西洋史やってたのに、こっちは中国史メインで」
「ああ。うちの先生が三国志マニアだかららしいよ」
千鶴は軽く笑ったが、山里は軽く肩をすくめただけだった。さりげない仕草がとてもおしゃれに見えた。
二人は靴に履き替え、校舎を出て裏に回る。
やがてゴミ置き場につき、扉を開けてゴミを放り込む。
「ありがとう、手伝ってくれて」
千鶴が言うと、山里は初めて軽く笑った。
笑顔に力付けられて、千鶴は質問をした。
「ねえ、なんで山里君はこんな田舎に引っ越してきたの?お父さんの仕事の関係?」
「ああ、いや」
そこで言い淀んだが、再び肩を少しすくめて言った。
「妹がいてさ。家の近くで事故に遭って死んじゃったんだ。だからさ・・・・・・」
千鶴は息を飲んだ。山里が淋しそうな、それでいてどこか自嘲気味な笑顔を見せた。
なんて事を聞いてしまったのだろうかと、自分を責めても、もう発した言葉は戻らない。涙が出て来た。
「ご、ごめんなさい。私、とんでもない事を」
「あ。き、気にしないで。こっちこそ、嫌な事を聞かせちゃった。忘れてくれていいよ」
山里が懸命に慰めようとするが、山里の切なそうな笑顔がまぶたに焼き付いて、涙が止まらない。未だ握りしめている、黄色い花柄のハンカチで目を覆う。
その夜、千鶴は今まで感じた事がない感情に悩まされた。
薄いピンクのカーテン。白いパイプのベッド。机には友達との写真。本棚には勉強関係以外は漫画。昔買ってもらったぬいぐるみは洋服ダンス上に並んでいる。きれいに整っている女の子らしい部屋の中で、携帯電話を片手に一人で転がっていた。
携帯は美奈にかけるか、かけないかで握りしめている。
溢れる様々な感情が整理出来ないし、理解できない。
まずは激しい後悔。無神経な事を言ってしまった事。ぶつかってしまった事。恥ずかしい姿を見られてしまった事。泣き出してしまった事。
次に、山里との会話を最初から思い出す。
変な事を言わなかったか?気分を悪くする様な態度をとらなかったか?それで言うと、自分からぶつかっておいて「誰?」と言ったり、「ひは」なんて変な悲鳴を上げてしまった事は、相当印象が悪かったに違いない。
それと、山里を怖がっていた事は、彼に対して失礼だったと思う。
千鶴に対して、目線を合わせようとしてくれたり、ゴミ捨てを手伝ってくれたりして、とても親切だった。
彼が無愛想なのは、今はなぜだかよくわかっていた。
妹の死のショックからまだまだ立ち直れていないのだ。
そして、その時の切なそうな笑顔がよみがえる。すると千鶴もたまらなくかわいそうな気持ちになり胸が締め付けられる。何とか力になってあげたい気持ちになる。
「俺の事は気にしないでいいから。気をつけて帰るんだよ」
やっと泣き止んだ千鶴を、山里は校門まで送り、子どもを諭すような言い方をして見送った。
家が山里と反対方向だった事が恨めしくてたまらなかった。
なぜ、自分はあの時、反対方向に行く自分が恨めしく思えたのだろうか?
そして、机の上にある黄色い花柄のハンカチをぼんやり見る。帰ってすぐに洗濯して、大急ぎで乾かして、アイロンを掛けたハンカチは、机の上で、綺麗に畳まれて、可愛らしい模様の入ったビニール袋に入っている。
「これ、妹さんのかな・・・・・・」
翌日、千鶴はハンカチを、山里に返した。
「き、昨日はありがとう。これ、洗濯したから」
ついでにもう一つ、かわいい紙の包みを取り出した。
「これ、お詫びとお礼。良かったら使って?」
精一杯の笑顔を向ける。
昨日の帰りに足を伸ばして「街」にいって見繕ってきたハンカチだった。白地に水色の格子模様のハンカチだ。
テスト期間直前なのに、随分と余裕ある行動を取ってしまったものだと、千鶴は我ながら思う。
山里は包みを受け取ると、中身を見て驚いた表情をした。
「わざわざ?なんか悪いよ」
そう言うと、落ち着かな気に自分の体を探って、鞄を開けようとしたが、返された自分のハンカチを見て、千鶴の顔を見返すと、そのハンカチを差し出した。
「じゃあ、このハンカチをあげるよ」
千鶴は驚いて目を見開いた。頭の中に色々な思いがよぎる。妹の大事なハンカチではないのかと警鐘が鳴る。
「・・・・・・って、これじゃ、変か」
と、手を引っ込めようとする山里の手を掴んで止めて、黄色い花柄のハンカチを受け取った自分に気付かない。
「あ、ありがとう!」
理性も分別も吹き飛んでしまった。
席に戻ると一気に汗が噴き出る。ハンカチを握りしめている手から力を抜く事が出来ない。
顔が赤くなっているのが自覚できる。
ハンカチを奪い取るようなまねをしてしまったが、その時の山里の反応など、とても確認する事が出来ない。
胸が痛い。でも、すごく嬉しい。自分はどうしてしまったのだろうか。
「あれあれ?」
美奈が千鶴の顔をのぞき込む。
「な~にがあったのかねぇ・・・・・・」
美奈がつぶやくが、とても今は話せそうもない。でも、もう一人ではどうしたらいいのかわからない。
「美奈。今日の帰りに付き合って?」
「もちろん、しっかりお付き合いしますよ、僕の姫君」
ちょっと剣呑な雰囲気の美奈には気づかず、千鶴はホッと胸をなで下ろした。
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