第12話 消失 4

 なぜもっと早くに気付かなかったのか?

 憎い。憎い。

 綺麗な顔をして、無垢な振りをして蛍太郎を騙していたのだ。

 

 多田の顔が思い浮かぶ。川辺、藤原。

 小夜子、美奈。

 そして千鶴。

 あの大島で、そして地獄で殺されていった友人たちの顔が、声が思い出される。

「・・・・・・よくも。よくも!!」

 蛍太郎はヨロヨロと立ち上がる。

 蛍太郎に庇われて意識を失っていたリザリエが、地面に落とされて気がつく。

「うっ。うう。ケータロー様?」

 仰ぎ見た蛍太郎の顔は、醜い憎悪に歪んでいた。

 リザリエを驚かせたのは、その憎悪の視線が、黒い靄に捕らえられて白目を剥いているキエルアにでは無く、ルシオールに向けられていた事だ。

「ケ、ケータロー!違うのだ!話を聞いてくれ!!」

 そう言ったものの、ルシオールにも真実は分からない。だからそれ以上言葉が続かない。

「俺の故郷を破壊して、俺の友達を殺したのはお前だったのか!ルシオール!!」

 ルシオールは悲しくて仕方が無かった。涙が溢れる。

「やめろ!!泣いた振りなんかするな!!」

「違うのだ・・・・・・。信じてくれ。嫌わないでくれ・・・・・・」

 ルシオールが助けを求めるように両手を差し出す。

 だが、ルシオールの意志に反して、黒い靄が蛍太郎の方に動く。

 蛍太郎が身構えてルシオールを睨み付ける。

「俺の事も殺す気か?!ああいいさ!!さっさと俺を殺せば良い!!」


 蛍太郎の精神も、もう限界だった。

 ルシオールが苦しいように、蛍太郎も苦しんでいた。

 愛おしいルシオールが、諸悪の根源で、友人たちを殺した。ルシオールを憎みたくないのに、どうしようもなく憎しみが湧いてくる。

 幸せだったはずだ。

 それに、これからもっと幸せになるはずだったのだ。


 だが、幸せは呆気なく崩れ去ってしまった。

 今は絶望しか無い。

 いっそ、ルシオールに殺されてしまった方がどれだけ救いになるか・・・・・・。

 愛しいルシオール。俺の大切なルシオール。

 だが、口をついて出たのは、憎しみの言葉だった。


「俺はお前なんか大っ嫌いだ!!二度とお前の事なんか見たくない!!」

 

「ケィ・・・・・・タロー・・・・・・」

 ルシオールは力なく地面に膝を付く。その表情は絶望に打ちひしがれていた。

「やだ!そんな、そんな事、言わないでくれ・・・・・・」

 リザリエがつぶれた足を押して蛍太郎にしがみつこうとする。

「ケータロー様!いけません!!」

 だが、蛍太郎の言葉は止まらなかった。

「俺を帰せ!!元いた世界に帰せ!!俺はこんな世界にはいたくない!!」

 それはリザリエの存在も否定する言葉だった。

 リザリエの動きも止まった。


 次の瞬間。

 蛍太郎の体が、地面に吸い込まれるように沈み込み、消えてしまった。

「ケータローーーーーーーッッ!!!!」

 ルシオールが叫ぶ。

「ケータロー様ぁぁーーー!!」

 リザリエも叫ぶ。

 だが、蛍太郎の姿は、もうこの世界のどこにも無かった。



◇    ◇



 しばらくリザリエも、ルシオールも放心状態だった。

 黒い靄も納まって、キエルアは生きたまま解放された。


 村人たちが恐る恐る近づいてくる。




 翌日。

 傷の治療を終えたリザリエは、放心状態のルシオールを連れて村を後にする。

 すでに治療を終えたが、絶対安静で、かつ正気を失っている廃人同然のキエルアも連れて。

 

 慰謝料と、弁償金、それと、馬車と馬の代金をまとめて支払い、逃げるように村を後にしたのである。

 行き先はグラーダ国。

 もうそこしか頼るところは無い。


「ああ。ああ」

 初老の師は、まるで赤子の様に空を見て笑う。

 よだれが口の端に垂れているので、リザリエは馭者台から身を乗り出して拭いてやる。

「先生。寒くなるから、毛布を掛けていてください」

 そう言うと、赤子の様になった師匠は、嬉しそうに毛布に潜り込む。

 その隣では、ずっと空を見上げたまま、何一つ口を効かず、何一つ表情を動かさないルシオールがいた。

 宝石のようだった目が濁って見える。

 

 皆、絶望に打ちひしがれている。

 師匠の精神は崩壊してしまった。

 リザリエにはそれが羨ましかった。

 リザリエの絶望も深かった。

 誰もが絶望と悲しみに捕らわれている。


 救いの無い物語である。

 


 馬車はグラーダを目指す。

 皮肉な事に、空だけは青く美しく晴れ渡っていた。



◇    ◇



 ルシオールが貰った小さなルシオール人形は、一日悩んだ末、「ポチ」と名付けられた。

 そのポチは、そのまま野薔薇館ヒスリースベルンのルシオールの寝室に、髪をまとめて縛ってつるされていた。そうしている限りルシオール人形は動かない。

 だが、このポチは、誰も知らぬ間に消えていて、今はこの世のどこにも無い。



  

   深淵のルシオール第二巻

      - 完 -

        第三巻に続く

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