第2話 負けられぬ戦い

 整備された街道を一頭の巨馬が風を切って駆ける。その迫力はすれ違う人間が漏れなく二度見をするほど。


 この馬は、装備と合わせてチャーリーが用意してくれたものだ。何やらおかしな飼料を与え続けたせいで、とんでもなく成長した仔馬なのである。

 今はまだ貴族保有の名馬という言い訳が通用しなくもないだろうが、早晩化け物扱いになることは間違いない。


 せっかく用意してくれたのだからと借りて来たが、余りの目立ちっぷりに俺は些かの後悔を覚え始める。


「気持ち良いね!」


 腕の間で歓声を上げるのは、もちろんこの相棒だ。もじゃもじゃ改め、くりくりの巻き毛で俺の首元をくすぐってくる。

 姫様の元から離れるにあたって、石鹸やら何やら色々がめてきやがったらしい。


「まぁな……」


 揺れる感情を抑え込み、俺は無愛想に返事をする。

 こんな所で敵に襲われることなどないが、油断するわけにはいかないのだ。


     ◇


 何事もない数日の旅路を経て、俺たちは街道の分岐点に辿り着く。

 公国方面に向かう道は二つ。温泉の街を経由して山越えをする最短経路と、少し遠回りをして平地を進む経路だ。この馬であれば、どちらを選んでも所要日数は変わらないと思われる。

 したがって、好きな道のほうを選べばいいのだが……


「もちろん、山越えだよね?」


 温泉に興味津々の相棒は、当然山越えを希望する。しかし、それには一つ問題がある。


「……俺たちの手持ちでは、たぶんろくな宿に泊まれないぞ」


 出立してから気づいたのだが、俺たちは姫様から前金を貰うのを失念していた。後日補填してもらえるとはいえ、往路で路銀を使い果たすわけにはいかない。


「えぇ……でも、温泉だよ?イネスは興味ないの?」


 妙にしなを作ってこちらに振り返るが、そんな平べったいちんちくりんの胴体でやっても何の効果もない。

 頭を鷲掴みにして前を向かせる。


 先日の殴り合いを経て、俺たちは互いの気持ちに気づいてはいる。

 しかし、今に至っても、どちらも決定的な言葉を発することはない。その後の力関係に影響してしまうからだ。

 膠着状態に焦れたこいつは、時折こうして攻勢をかけてはくるのだが、俺は全く相手にしていない。

 ……口が裂けても言わないが、こいつの良さはそういうのじゃないのだ。


 無理を続ける相棒はさておいて、話を進める。


「かといって、もう一方の道も気が進まないんだよな……」


 遠回りの道を選べば、おそらく今夜はとある中規模の街に泊まることになる。流通の拠点となっているその街には、俺の実家があるのだ。

 冒険者になったことすら知らせていないのに、いきなり女連れで帰るのは幾ら何でも気まず過ぎる。

 本来なら旅程を調整してその街を素通りするつもりだったのだが、馬の脚が想像以上で予定が狂ってしまったのだ。


 そんな事情を話してやると、くねくねとしていた相棒がふいに真面目な顔になる。


「さすがに、それは帰省一択でしょ。宿代の事もあるけど、出来る時にはちゃんと顔を見せておかないと」


 ……そうだった。こいつの前で言っていい台詞ではなかった。

 己の迂闊さに項垂れる俺に向かって、相棒が弾んだ声を投げかける。


「それに、挨拶しておかないとね!」


 まあ、挨拶くらいは好きにしてくれ……


     ◇


 これが徒歩の旅であったなら重い足取りのせいで到着が遅れていただろうが、生憎と俺たちの旅の共は化け物馬だ。

 日が落ちるよりも早く、故郷の街の門前に到着した。


「結構、賑やかなところだね」


 この街は王国における流通の拠点となっているので、住民の数に比して外から来た人間のほうが多い。

 しつこい客引きと質問を連発する相棒を適当にあしらいつつ、懐かしさを覚える街並みを歩く。


 そして、辿り着いたのは街外れの一軒の宿屋。さほど大きくもなく一等地からも離れているが、自慢の料理のおかげでそれなり繁盛している。

 店の周辺まで綺麗に掃き清められているのは経営者のこだわりだ。


「……さて」


 気は重いが、ここまで来てぐずぐずするつもりはない。覚悟を決めて、扉を押した。


     ◇


「お、イネスか」


 カウンターの向こうから俺たちを出迎えたのは、父ではなく兄のアランだ。

 客席のほうを見回すも、そちらで給仕をしているのは近所のおばちゃんだ。母も妹もいない。


「他のみんなは仕入れで遠出していてな。帰ってきて早々に悪いが、お前も手伝ってくれないか?」


 些か想定外の状況に戸惑っていたので、むしろそれはそれで有り難い。


「ん、連れがいるのか。もし良かったら、給仕のほうを手伝ってくれると助かる」


 相棒の様子を窺うが、何だかこいつも乗り気のようだ。


 そんなわけで、隅に荷を下ろした俺たちはそれぞれの仕事を始めた。


     ◇


 ちょうど夕飯時だったので、さほど大きくもない食堂に、近隣の住民がひっきりなしに押し寄せてくる。勝手知ったる厨房の中、俺は兄の隣で鍋を振るう。

 あの執事の老爺のエルバートさんに仕込まれていたのだろう。あいつもしっかり給仕の仕事をこなしている。

 ちょこちょこ貰っていやがるお駄賃については、あとで徴収しなければならない。


「元気にしていたか?」


 黙々とまな板に向かっていた兄が、唐突に口を開く。


「……まあ、それなりに」


 何度か死にかけてはいるが、今はそれなりに元気だ。

 先日来の身体の異変は、テレンスとの死闘の後にすっかり影を潜めた。やはり、色々と溜め込んでいたのが良くなかったのだろう。

 相棒相手の稽古で発散することで、むしろ俺の実力は向上した。あのときの感覚も、多少ではあるが再現することに成功している。


「悪かったと思っているんだ。俺がここの後を継ぐことに決めたせいで、お前は居心地が悪くなったんだろう?」


 そう言う感情もなかったわけではない。しかし、家を出ることを決めたのは自分だ。


「そんなの、気にしなくていい。今はそれなりに楽しくやってるからな」


 客席の間をくるくると駆け回る相棒に目をやる。

 望んで冒険者になったわけではないが、駆け出しとしてはかなり稼げているし、面白いやつらにも出会えた。

 たまに死にかけたりはするが、今となっては冒険者になったことに後悔はない。


「あぁ……『血染めの農民』だったか?」


 いきなり飛び出した予想外の言葉に、俺は盛大に炒め物をこぼしてしまう。


「おいおい、ここの客層を忘れたのか?父さんたちも、とっくに知ってるぜ」


 それを忘れたわけではないが、まさかこの街にまで噂が届いているとは思わなかった。

 冒険者になったことを告げる必要はなくなったが、これは恥ずかしい。


「……しかし、意外だったな。まさか、お前がなぁ」


 固まる俺に向かって微笑む兄。

 まぁ、兄からすればそうだろう。俺は大きくなってからは荒っぽい常連客を嫌っていたし、好んで不安定な仕事に就くとは思っていなかったはずだ。


「これでも、それなりの腕なんだぜ。この間も……」


 勢いづいて武勇伝を語ろうとするも、それは包丁でばっさりと切り落とされる。


「いや、そっちじゃない。お前はもっと色々でかいのが好みのはずだろう。いつもそういう客を目で追ってたじゃないか」


 ……おい、やめてくれ。他人からならともかく、親兄弟からそんな指摘を受けるのは一番堪える。


 そこで会話は打ち切りとし、俺は無心で鍋を振るった。

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