第2話 望まぬ再会

「…参った」


 息も絶え絶えに地面に転がる。結局、見せ場といえるのは最初の一撃だけで、全く歯が立たなかった。

 前に突き出した長剣と防御用と割り切った短剣の二段構え。長柄の間合いの利も両端を使った手数も、その守りを崩すことは出来なかった。無理矢理接近戦に持ち込んだところで、今度は左手の短剣が攻撃に転じて牙を剥いていただろう。


 俺の首筋に木剣を添えるアリサがにこやかに見下ろしている。


「なかなか強くなってるじゃない。これならあの子の相棒としても恥ずかしくないわね」


 遅ればせながら気づくが、こいつがダナの面倒を見てくれているらしい。…あいつ、まだ子供のふりをしていやがるのだろうか。

 様子を聞こうとして、はたと気づく。


「…そういえば、仕事はいいのか?」


 あっ、と声を上げて駆けていくアリサ。木剣を放り投げて放置していた籠の中身を確かめている。何やら姫様への届け物でも入っているのだろう。

 随分と長い間やりあっていたので、もうとっくに正午は過ぎているはずだ。


「私は姫様の屋敷に戻るわ。貴方が狙われていることも一応報告しておくわね」


 俺もいそいそと帰り支度を始めたところに重々しい声がかけられた。


「…こんなところで何をしている」


 今一番会いたくなかった騎士キーロン。空き地の入口で凶相を浮かべている。


「昼間から騒いでいるとの通報を受けて駆けつけてみれば、貴様か。白昼堂々と女子を襲うとは…やはり外道だったな」


 何やら大変な誤解が起きている。そいつは俺よりも強いぞ。

 アリサも遺跡の一件で顔を合わせているはずだが、無駄に洗練された佇まいのおかげで元冒険者だとは思われていないようだ。


「…何のことかわかりませんが、お久しぶりです。ここで鍛錬をしていただけなのですが、いけませんでしたか?」


 俺の言い訳に騎士の顔がさらに歪む。


「そうか、なら俺が稽古をつけてやろう。一人での鍛錬など大した実にならんだろうからな」


 がらがらと真剣を抜き放つ騎士。こちらに歩み寄りながらさらに言い募る。


「…貴様のせいで私は要職を外されて王都の警邏に回された。これ以上悪さが出来ぬよう、息の根を止めてやる」


 稽古と言った舌の根も乾かぬうちに殺害予告をする騎士。やつは通報で駆けつけているうえに目撃者もいない。ここで死体をつくっても、どうとでも言い逃れられるだろう。


「死ね!」


 一切の躊躇が感じられない頸部への薙ぎ払い。傾けた木槍で受け流そうとするが、がりがりと柄が削られる。慌てて片手を離し、指を切り落とされるのを紙一重で躱した。

 息つく間もなく放たれた回し蹴りには防御が間に合わず、脇腹に直撃を受けてしまう。空き地の地面を削りながら大きく吹き飛ばされる。

 すぐさま立とうとするが、膝に力が入らない。四つん這いで反吐をはく俺に、ざりざりと土を踏む音が近づいてくる。

 …処刑の刃はまだ振り下ろされない。


「何だ、娘。どけ!」


 地に伏す俺からは見えないが、アリサが立ち塞がってくれているらしい。

 どうにか援護は出来ないかと顔を上げると、取り残された籐籠が見えた。何とか手離さずにいた木槍を伸ばし、穂先を持ち手に引っ掛ける。

 そのまま騎士にぶつけてやろうとするが…この籠、やたらと重い。先ほどの模擬戦でも使わなかった雷術で筋肉を強制動員し、無理矢理に身体を捻り上げた。


 まっすぐ飛翔する籐籠。アリサに気を取られていた騎士の頭部に直撃する。がつん、と妙に重い音が響いた。


「ぐわぁっ!」


 騎士は顔を押さえて悶絶している。頭部への打撃ではなく、籠の中身が痛手を与えたようだ。上半身は血のように赤い汁にまみれている。

 …やたらと美味そうな匂い、これは煮込み料理か?まだもうもうと湯気が上がっているのは、あの籠に魔術具でも仕込まれていたのだろう。

 あの姫様、貴重な護衛に何を運ばせているんだ…


 今ならやつに止めを刺せるだろうが、さすがにそれをやってしまうと事態の収拾がつかない。申し訳ないが、ここはアリサに任せる。

 昼食を台無しにした姫様に心の中に詫びながら、空き地から逃げ出した。


     ◇


 後方から甲高い笛の音が聞こえた。あの騎士が増援を呼んだのか?

 未だ痛む脇腹を押さえながら必死に足を動かす。


 大通りまであと一歩というところで、騎士の二人組が路地に駆け込んできた。薄汚れた俺は不審の目を向けられるが…


「襲われました。あちらの空き地で騎士様が!」


 …嘘はついてないぞ。

 上手く誤解してくれた騎士たちは俺を放って路地の奥に走っていく。咄嗟の誤魔化しは成功したが、そう長くは持たない。


 風術で土埃を払って大通りにでる。ここからは走って目立つより喧騒に紛れたほうがいいだろう。

 逸る気持ちを抑えて貴族街の出口に向かった。しかし…


「…ここも押さえられたか」


 朝に通ったときとは打って変わって、厳戒体制が敷かれている通用門。さっきの笛の音を受けての検問を始めたらしい。さすがにまだ人相までは伝わっていないと思うが、何事もなく通過できるとは思えない。


 貴族街からの脱出は断念して、通りの反対側の路地に飛び込んだ。


     ◇


 古びた街並みを進む。大通りから一筋入っただけで随分と雰囲気が変わった。掃除などは行き届いているが、全く人気がない。


「…旧市街ってやつか?」


 後日観光に来ようと思っていた区域だ。うろ覚えの観光地図を頭に描きながら、どんどん奥に踏み入って行く。


 雰囲気のある建物も疎らになって来たころ、石碑が立ち並ぶ広大な空間に辿り着いた。中央には崩れかけた煉瓦造りの礼拝堂が建っている。墓地だ。

 墓地といえば教会の管轄。ここならば騎士たちも容易には踏み込めないだろう。

 当面の隠れ家にするべく、墓石の間を縫って礼拝堂に向かった。


     ◇


 重厚な扉は軽い力で押し開けられた。外観に反して手入れが行き届いているらしい。壁の破れもなく、昼間なのに真っ暗だ。

 指先に火を灯す。


「何だ、ここ…」


 礼拝堂には不似合いな金属板で覆われた縦長の空間。天井は高くて見えないが、両側の壁には何やら文字がびっしりと刻まれている。奥側の壁には、ここからでははっきりと識別できないが絵描かれているようだ。

 部屋の中央は円形に一段高くなっている。祭壇のように飾り付けられているが、礼拝堂にしてはどうにも妙な造りだ。孤島の遺跡に雰囲気が似ている。


 立ち尽くしていても仕方がないので、入口の扉を閉めて中に踏み入る。

 まずは右側の壁に沿って進んでみることにした。


「…神代文字だな」


 遺跡の内部や発見された遺物で稀に見られる、現代のものとは異なる文字。それだとはわかるのだが、俺は数字や簡単な単語しか知らない。

 何とか知っている文字を拾っていくが、そんなことをしていても当然内容は理解できない。

 ほどほどのところで諦めて奥の壁に向かった。


「こっちは分かるぞ」


 心細さからか、つい独り言を吐いてしまう。

 壁に描かれているのは、人体の一部が獣のようになった奇怪な生物。頭部が異形に変じているだけではなく、背に翼が生えていたり

、手脚の数が増えていたり。

 見る人によっては神々しいと感じるのかもしれないが、人型の魔獣とまみえた俺としては不吉なものだ。

 規則的に並ぶ図とそれに付随して書かれた文章は、芸術作品というよりも図鑑の一頁に見える。

 羊や蜥蜴もあるのかと壁画を見上げていると…


「ぐぇっ!」


 首筋を掴まれて不気味な壁画にどかんと叩きつけられた。火術の明かりが途切れ、周囲が闇に落ちる。

 見通しが悪かったので風術も使っていたが、一切気配を感じなかったぞ…!

 俺の考えを見透かしたように嗄れた声が耳元で囁く。


「そのような稚拙な術を破ることなど容易い。このまま表に埋葬してやろう」


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