第3話 首吊り

 闇の中、耳元で囁かれる声は老婆のもの。この婆さん、どういう膂力をしてやがる。感触からして片腕で俺の体重を釣り上げているぞ。


「どうした、盗っ人。足掻かんのか?」


 猛禽のごとき指先が食い込む喉元は、弁明の言葉を吐くことすら許されない。…これでは、窒息の前に首の骨が折られる!


「…あら」


 文字通り足で宙を掻くことしかできなかった俺は、唐突に床へと投げ出された。

 再び指先に火を灯し、咳き込みながら後ろを振り返ると、頬に手を当てる上品な老婦人。腰は伸びて矍鑠とした印象を受けるが、化け物じみた様子はない。


「坊や、ルシアンナちゃんの縁者かしら?」


 底知れない人物に刃向かう気は起きず、こくこくと頷く。借り物の服にそれと分かる意匠があったようだが、真っ暗闇でも見えていたのか?


「あらあら、ごめんなさいね。さぁ、お話は後にしてあっちで治療しましょう」


 人一人殺しかけた割りには随分と軽い口調で歩き去る老婦人。俺が調べていた側とは逆の壁にはいつの間にか出口が出来ている。


 謎の人物に訳の分からない状況だが、姫様の知り合いなら悪いようにはされないだろう。

 涎まみれの口元を拭い、俺も後に続いた。


     ◇


 礼拝堂のような空間から出ると、木張りの廊下が続いていた。どうやら神代の遺跡を覆うように礼拝堂が建てられているらしい。

 壁にはいくつか扉があるが、その一つが開いたままになっている。覗き込むとにこにこ笑顔の老婦人。


「さぁ、早くいらっしゃい。怪我は首だけではないようだし、そこに横になりなさい」


 促されるままに部屋に入って横になると、すぐさま服が捲り上げられた。俺の腹に手を当てた老婦人が目を閉じる。


「うぉっ!」


 全身に浸透する強烈な魔力に思わず声を上げる。この一瞬で治療は終了らしい。たしかに、首と脇腹の負傷どころか模擬戦の疲れも吹き飛んでいる。

 この人、相当な凄腕だ。


「一応これで怪我は治ったけれど、身体に良くないものを溜め込んでるわね。若いけど、凄腕の冒険者なのかしら」


 断じて凄腕ではないが、心当たりはある。あの赤黒い液体、今まで発見されたことはないらしいが、もしかしたら霧状にでもなって各所の遺跡に充満しているのかもしれない。

古株の冒険者ともなれば、知らずに大量に吸い込んでしまうはずだ。


「気をつけなさい。あまり溜めすぎると発狂するか血を吐いて死ぬから。身体に不調を感じたらすぐに引退なさいね」


 相変わらずのにこにこ顔で引退宣告をする老婦人。この人がそう言うなら、きっと対処方法はないのだろう。今のところ、むしろ体調はいいのだが…


「さぁ!そんな話はやめにして、ルシアンナちゃんのことを聞かせてちょうだい。あの子、最近全然顔を見せないんだから」


 随分と楽しい婆さんだ……先ほど地獄の底から響くような声で威圧してきた人とは思えない。

 絶好調になった身体をベッドから下ろし、茶の準備を手伝い始めた。


     ◇


「…というわけでして」


 高そうな香りがする茶を片手に、俺は姫様との縁と今日の出来事を語り終えた。


「それなら、ほとぼりが冷めるまでここにいなさいな。騎士が来ても私がどうにかしてあげるわ」


 老婦人、もといペトゥラさんが力強く頷く。この人は姫様の魔術の師匠だそうで、今は教会の中枢から距離を置いているものの相当な有力者らしい。

 この人の腕力と権力なら安心だ。有り難くお言葉に甘えることにして頭を下げる。


「それより、その赤い水のことをもっと詳しく聞かせて欲しいわね。ルシアンナちゃん、そんな面白そうなもの秘密にするなんて」


 がばりと身を乗り出すペトゥラさん。どうやら、信仰篤い聖職者というよりも研究肌の人らしい。教会の人はみんなそうなのだろうか?

 その辺りについて質問してみると…


「大半は神代人に感謝の祈りを捧げる敬虔な信者よ。残りは信者の支持を基盤にして権力を振るう俗物が殆どで、私のように神代技術を純粋に研究する人間は異端なの」


 なるほど、宗教団体とはいえ、大組織にはよくある構図だ。

 俺がしたり顔をしていると、ペトゥラさんが可愛らしく片目を瞑る。


「でも、祈りというのも馬鹿にしたものじゃないのよ。信仰心と魔術には密接に関係があるんだから」


 初耳の話だったので詳しく聞いてみる。この人独自の説らしいが、強い気持ちや思い入れで魔術の効果が増すらしい。俺が色々な系統に適性を持つわりに魔力が弱いのも頷ける。

 何かしらに幸運を祈ることはよくあるのだが、それにも効果があったのかもしれない。


「さて、随分と話し込んでしまったわね。少し早いけれど、夕食の準備をしてくるわ。坊やは礼拝堂を見物してくるといいわ。ここも結構面白いのよ」


 今日は色々あったので、朝から何も食べていない。何から何まで世話になることに恐縮しつつも、勧めに従った。


     ◇


 簡単な説明ののち、分厚い手帳を受け取って礼拝堂に戻る。

 この施設、一応礼拝堂で合っているらしい。かつては信者のための長椅子がぎっしりと並んでいたが、あの人が研究のために取っ払ってしまったそうだ。


 今度は火術で明かりを灯すのではなく、入口付近の壁に描かれた図形に手を当てて魔力を流す。

 静謐な空間に光が満ちた。


「おぉ…」


 思わず声が漏れる。

 高い天井に張り巡らされた光る管。金属製の床と壁にも光の粒が走り回っていて、孤島の遺跡を彷彿とさせる。

 ペトゥラさんの話では、この遺跡は神代でもかなり古い部類のものとのこと。神代の遺跡は新しいものより古いもののほうが高度な技術が使われているらしい。何とも不思議な話だ。


 まず向かったのは、まだ見ていなかった中央の祭壇らしき場所。先ほどの作業で機能を取り戻したらしく、幾重にも描かれた同心円の軌道上を星のような光点が瞬きながらくるくると回っている。

 膝ほどの高さの壇上に上がってみると、俺の足跡を刻むようにぼんやりと光が灯った。

 …何とも幻想的な場所だが、特に何が起こるでもない。しばらく足元の星の軌跡を眺めたあと、次の場所に向かった。


 神代文字がびっしりと書き込まれた側面の壁。その前に立った俺は、使い込まれた手帳を開く。これはペトゥラさんの研究成果が記された資料だ。辞書と呼べるほどのものではないが、これがあればある程度なら神代文字が読めるだろうとのこと。

 壁面と紙面を見比べること、しばし…


「なるほど……わからん」


 手帳のおかげである程度単語の意味はわかるが、現代の言葉とは文法が異なるようだ。内容を理解するには至らない。

 何とか読めた「幸運」「富」「美食あるいは美酒」といった単語に心が躍らされる。

 …この遺跡、元々何の施設だったのだろうか。少なくとも礼拝堂ではなさそうだ。


 続いて向かったのは、奥側の壁画の前。こちらには大きな変化がある。


「これは凄いな…」


 壁画が動いている。とは言っても、異形の生物の羽が上下していたり、四本足が歩行の動きをしていたりといった程度。凄い技術だが、面白い以上の感想はない。

 絵の横の説明文らしきものを読み解いてみるが、「空を飛ぶ」だの「足が速い」だのといった内容。そりゃそうだろう…


 研究する価値がある遺跡なのだろうが、前提となる知識が不足しているので理解しきれない。

 そろそろ充てがわれた居室に戻ろうとしたところで首元に衝撃。


「ぐべっ!」


 壁画に叩きつけられるたのは先ほどと同じだが、より容赦ない強烈な締め上げ。首元にに手をやれば、触れるのは老婦人の手ではなく指先までびっしりと毛が生えた獣皮のような手触り。何だこいつ…!


 このまま縊り殺されるのかと思いきや、今度は全身を襲う浮遊感。片腕でぶん投げられたのか。

 みるみるうちに迫る天井。…この高さはまずい!


 風術で必死に減速を試みるも、俺が落下したのは中央の祭壇の角だった。腰元を強かにぶつけ、不吉な音が全身を伝う。それを追って爆発する激痛。


「ぎっ…!」


 明滅する視界に映る俺の脚もあらぬ方向に捻じ曲がっているが、そちらは何も感じない。

 続いて、喉元に再度の衝撃。床に張り付けにされる。

 …ここでようやく襲撃者の顔が見えた。


「虎…?」


 俺を見下ろす虎顔の男。その巨体の上半身は裸で縞模様の毛皮を晒している。下半身はゆったりとした衣装で隠れているが、おそらくは同じだろう。

 手に持つのは刺又。青ざめた硝子のような素材で出来た先端部で俺の首を押さえ込んでいる。

 首にちくりとした痛みが走った。


「ぐっ…」


 全身から力が抜けていく。負傷の影響だけではなく、何かが急速に吸い出されているようだ。

 虚ろな目を向ければ、刺又の先端部が紫色に変わっている。吸い出されているのは気力や魔力などではなく、血だ。


 今日はやたらと首を狙われる一日だ、とぼんやり考えているうちに意識が暗転した。




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