第3章 地下闘技場 〜虎穴の主と暗殺執事〜

第1話 予期せぬ再会

「やっぱり人が多いな…」


 久々に歩く王都の往来。まだ早朝であるにもかかわらず、仕事に向かう人々がひっきりなしに行き交っている。本来ならば、俺もその一人になっているはずだったのだが…

 都会暮らしの彼らの服装は、随分と洗練されているように見える。


 とはいえ、今の俺も人混みに紛れて目立つことはない。着ているのは借りっぱなしの執事服。俺が冒険者だとは、誰も思わないだろう。


 あの二人を姫様に預けた俺は、すぐ辺境に帰る気にもなれずだらだらと過ごしている。散々死にかけたので多少は構わないだろう。

 どのみちチャーリーに頼んだ装備が完成するまでは動けないのだ。前回王都に来たときは登用試験の前だったので、ろくに観光もできていない。会いたい人もいるし、ちょうどいい。


     ◇


 貴族街を通り抜けた俺がやってきたのは、王城の隣の建物。騎士団の詰所だ。

 上手い具合に誰かの使いだと勘違いしてくれたのか、門番に用向きを告げるとすぐに中の一室に通された。圧迫感のある石造りの小部屋に懐かしさを覚える。


 簡素な椅子に腰を落ち着けてほどなく、ノックののちに扉が開いた。現れたのは、壮年の騎士。俺に冒険者を勧めた…というか、そうなるように誘導した人だ。


「誰かと思えば…たしかイネス君だったね。どうしてそんな格好をしているんだい?」


 首を傾げながら席に着く騎士。

 俺の羊毛服は死闘を経て黒焦げのずたぼろになってしまった。「再生」とやらの限界を越えてしまったらしく、元に戻る気配もない。そのぼろ切れは装備の材料とともにチャーリーに押しつけたので、今はこの執事服しか着る物はないのだ。


「べつに深い意味はないです。…それより、先日は良い方を紹介してくださってありがとうございました。お蔭様で無事に冒険者を始めることができました」


 この人にランダル先輩とロディ先輩を紹介してもらわなければ、冒険者稼業を軌道に乗せることはできなかっただろう。これまでの活動で何人も冒険者を見てきたが、あそこまで面倒見のいい人はそうそういない。

 この人にも何か思惑があって紹介してくれたのだとは思うが、有り難いことには変わりない。


「あぁ、気にしなくていいさ。彼らからも礼の手紙が届いていたよ。有能な若者を紹介してくれてありがとう、と。……『血染めの農民』だったっけ?」


 …あのおっさんは順調に俺の二つ名を広めているらしい。しかし、二つ名の元になった農具は、ガキとの『斬首刑』によって完全に破壊されてしまった。真っ二つに割れた穂先だけは回収してきたので、チャーリーがナイフか何かに生まれ変わらせるはずだ。

 したがって、その二つ名で呼ばれることはもうない…はずだ。


 あまり掘り下げられたくもないので、話題を変える。


「そういえば、あの先輩方とはどういうご関係なのですか?随分と親しいご様子ですが」


 あぁ、と寂しそうな顔をする騎士。


「ランダルは元騎士で、ロディは元諜報員なんだよ。二人とも政治的なごたごたで所属を抜けたところを、ランダルの弟に誘われて冒険者を始めたんだ。彼らの腕前はよく知っているから、王国軍で雇って高難度の遺跡に潜ってもらっていたんだけどね…」


 …なるほど、その任務の途中でランダルさんの弟が行方不明になってしまったわけか。気落ちした先輩方のために、今でも色々と心を砕いているのだろう。


「そうでしたか。お二人は元気でしたよ。今でも若手の面倒を見ていると思います」


 俺が『羊の街』を離れる際、テオはもう少し先輩方の下で経験を積むと言っていた。父親の足跡を辿る前に一人旅の心得を学びたいとのことだったが、そろそろ公国に向けて旅立ったのだろうか。


「それなら良かった。『羊の街』の利権は教会のほうに取られてしまったから、気軽に会いに行くわけにもいかなくてね」


 詳しく聞いてみると、『放牧場』の遺跡の一件以降、姫様が頑張って『羊の街』の利権を丸ごと乗っ取ったらしい。

 教会と王国軍の険悪さを考えると揉め事の種になりそうだし、成功を羨んだ姫様の弟も何かしでかすかもしれない。…まぁ、俺には関係のないことだが。

 一通りの話が終わり、騎士が席を立つ。


「今日は顔を見られて良かったよ。…あぁ、そういえば、キーロンという騎士を覚えているかな?先日の合同調査団で代表を務めていた者だが、彼が君を殺すと息巻いていたから気をつけなさい」


 朗らかにとんでもないことを告げて去っていく騎士。「殴る」とか「痛めつける」とかじゃなく「殺す」気なのかよ!

 登用試験の一件はともかく、遺跡で半殺しにしたことは知られていないはずだが…他にまだ何か機嫌を損ねることがあったのだろうか。

 何にせよ、今の俺は完全な丸腰で、騎士団の詰所の中で孤立無援の状態。

 洒落にならない状況に慌てて退散した。


     ◇


「そこの使用人、待ちなさい」


 詰所から飛び出した途端、背後から鋭い声がかけられる。思わず心臓が飛び跳ねたが、聞き覚えのある女の声だ。


「…久しぶりだな」


 背後に立っていたのは普段着に身を包むアリサだった。肘に籐籠まで下げており、今日は護衛の仕事なのだろう。都会の人々に混じっても目を惹くお洒落さんだ。

 先日は不在で会えなかったので、久しぶりに話したいところだが…ここで長話するのはまずい。

 強引に袖を引くと形の良い眉が潜められる。


「ちょっと、いきなり何?」


 構わず歩き始める。真っ昼間の往来で襲われることはないと思うが、殺されなくても捕縛されて帝国に送還される可能性がある。


「詳しく話すと長くなるが…とりあえず命を狙われてるんだ」


 慌てて歩き出したものの、貴族街の土地勘はない。アリサはおろおろする俺に呆れつつも先導を始めた。


     ◇


 連れて来られたのは貴族街の外れの広大な空き地。屋敷が立ち並ぶ通りの裏にあり、人気は全くない。何本もの木剣や木槍が打ち捨てられ、ところどころ土が露出している。兵士が訓練でもしていたのだろうか。

 …できれば貴族街から出たかったところだが、まぁここなら大丈夫だろう。


 朽ちかけた材木に腰を下ろし、事情を掻い摘んで説明する。

 アリサは眉間を揉んでため息をついた。


「…また面倒なことになってるわね。いっそ貴方も姫様のお世話になったら?」


 たしかにそれも一つの手だが、すでに姫様にはチャーリーとダナの件で迷惑をかけている。それに俺なんかに貴族の使用人が務まるとも思えない。


「そういえば、お前の普段はそんな格好なのか…なかなか似合ってるな」


 無遠慮に上から下まで眺め回してやると、少し赤くなったアリサが捲し立てる。


「これも仕事着よ!姫様は私のことを重用してくださって、時々護衛以外の仕事も任されているの。…べつにいいでしょ?」


 眼福なので勿論構わない。しつこい俺の視線に耐えかねたアリサは、立ち上がって指を突きつける。


「ちょうどいいわ。私がどれだけ腕を上げたか見せてあげる。…ついでに、貴方があの子の相棒に相応しいか見極めてあげるわ」


 唐突に始まる模擬戦の流れ。俺としてはもう居候先に帰って寝たい気分だが、多忙らしいこいつと会う機会はそうそうないかもしれない。

 立ち上がって尻の埃を払った。


     ◇


 地面に転がる得物を選ぶ。少し悩んだのちに俺が拾い上げたのは、程よい長さの木槍。

 あのオールがどう生まれ変わるのか不明だが、長さを生かすならこういったものになるだろう。水かきを研げば剣にもなると思うが、チャーリーの前で使っていたのはピッチフォークとオールだけだ。詳細はやつにお任せにしたが、有能なあいつならきっと俺に合った得物を仕上げてくれるだろう。


 木槍を振って重心を確かめる俺の隣で、アリサが拾い上げたのは標準的な長さの木剣と短剣を模した木剣の二本。

 どう扱うのか知らないが、始まればわかるだろう。


 少し距離をとり、執事と侍女が向かい合った。


     ◇


 半身になって右手の剣先を俺の喉元に向けるアリサ。左手の短剣はだらりと下げたまま。片手の刺突を主体にした立ち回りは以前と変わらないらしい。

 対する俺は、基本の中段ではなく、握りを逆にして柄を肩に担ぐ変則的な構え。過去の模擬戦ではほとんど勝てていないので、小細工を弄するしかないのだ。


 初手は俺から。担いだ得物を振り下ろして叩き潰す……と思わせてからの石突きでの一撃。柄を手の内で滑らせて最小の予備動作で突く。


「ちょっ…!」


 上手く機先を制したものの、上体を反らして躱される。しかし、体制は崩した。そのまま穂先で土を掬い上げ…ようとして、思い留まった。

 綺麗な服を着たこいつを土まみれにするのは忍びない。


 その躊躇を手加減と受け取ったのか、アリサが忌々しげな目を向けてくる。戦意も高く、鋭く踏み込んできた。

 相変わらず目で追うのがやっとの突きを、柄の中ほどで何とかいなす。これまでの経験で俺も多少は腕が上がっているようだ。


 せっかくの機会だ。小細工はここまでにするか。

 興が乗ってきた俺は、真正面から打ち合いを始めた。


 




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