陰謀

 何やらいい匂いがして目を覚ます。律儀な居候が宿賃代わりに朝食を作ってくれたらしい。


 三日前から暮らし始めたこの新居は王都の外れの一軒家。辺鄙な立地とはいえ、工房つきの物件を即日用意できるとは伯爵家の財力は凄まじい。


 まだ着慣れぬ異国の衣装を纏い、料理が冷めないうちにと階下に降りた。


     ◇


「おはよう!」


 元気よく挨拶してみるが、返事はない。テーブルの上にはやたらと品数の多い朝食と「人に会ってくる」のメモ書き。

 まともな厨房で料理するのは久しぶりだと張り切っていたことを思い出しながら、有り難くいただく。


 見かけに反した帝国風の味付けに、料理人のことを思う。

 こういう気遣いをする機転は利くくせに、どこか抜けた憎めない男。普段は悪ぶっているくせに、お人好しの恩人だ。


 きざったらしく去っていったはずの彼がひょっこりと現れたのは昨日の夕方。姫様の屋敷の門番からここのことを聞きつけて、宿賃を浮かすべく居候しにやって来たのだ。

 姫様の屋敷まで戻ったのならば、そのまま逗留すれば良さそうなものだが…まぁ、気まずいのだろう。


 もう冒険はこりごりとのことで、しばらくはだらだら王都観光をすると高らかに宣言していた。そのくせ、昨晩のうちに装備の新調を依頼していたので、そう遠くないうちに辺境に戻るだろう。

 …しかし、自分の装備のことなのに全部お任せというのは無頓着過ぎないだろうか。技術者に完全な自由を与えることの浅はかさは、私の渾身の作品で痛感してもらおう。


     ◇


 食事を終えて寛いでいると、玄関の扉が叩かれた。まだ知り合いもいない異国の地で訪ねてくる人物など限られている。

 慌てて出迎えたのは、家主たる姫様だ。


 手回しのいいことに、有能な料理人は茶菓子まで用意しておいてくれた。茶を淹れるのだけは私のほうが上手いので、それらでお持て成しする。

 どうやら高貴なお方の舌にも及第点の出来だったようで胸を撫で下ろす。


「ご馳走様でした。……さて、いかがですか?ここでの暮らしは」


 姫様自ら、わざわざ様子を見に来てくださったのか。帝国には貴族と呼ばれる身分はないので、いまいちよくわかっていないが…きっと姫様は特別だろう。


「お蔭様で快適に過ごしております。…良い料理人も入りましたので」


 なるほど、と茶菓子の載っていた皿を見て柔らかに微笑む姫様。

 このくらいの軽口は許されるみたいたが、どのような距離感で接すればいいのか判断が難しい。

 そう言えば、あの男と姫様の距離感もよくわからない。『放牧場』とやらで一緒に冒険した仲だとは聞いたが、詳しいことは決して話そうとしないのだ。


「それならば重畳です。生活が落ち着いたのでしたら、そろそろお願いしたい仕事があるのですが」


 まぁ、お忙しいらしい姫様が平民の様子を見るためだけに足を運ぶはずはないか。私としても、そろそろ物作りへの欲求が高まって来たところなので是非もない。

 勿論お引き受けします、と頷くと、姫様はテーブルに小さな硝子瓶を置いた。


「お願いしたいのは二つ。まずは、これについて調べていただきたいのです。…何だかお分かりになりますか?」


 硝子瓶の中では赤黒い血のような液体が不気味に揺らめいている。初めて目にするものだが、おそらくアレだろう。


「最近遺跡で見つかったという、再生の力を持つ液体ですね。何やら物騒な副作用もあるそうですが…」


 あの二人から話を聞いて興味を持ってはいたのだ。私もそれなりに神代の知識はあるつもりだが、そんなに強力な薬効をもつ液体など初めて聞いた。

 人型の魔獣とともに立て続けに発見されたこの液体。辺境の奥地では何が起こっているのだろうか…


「そのとおりです。これは『放牧場』の遺跡の再調査で回収させたものです。貴方にお願いしたいのは、効能の検証と副作用をもたらす成分の分離。…お願いできますか?」


 専門とは言えない分野だが、出来ないこともない。この研究が成功すれば、きっと多くの人が救われるだろう。

 即答でお引き受けすると、姫様は花が咲いたように笑顔を見せた。本当にお優しい方だ。


「よかったですわ。…つづいて、もう一つお願いしたいのは『神器』の作製です」


 予想外の言葉が飛び出て来て混乱する。帝国人の私でも『神器』というのは知っているが…


「『神器』を作る、というのはどういう事ですか?…あれは教会で代々受け継がれている秘宝で、『聖女』に任命された女性に授与されるものだと聞いていますが」


 私の当然の疑問に、姫様の可憐な笑顔が不敵なものに変わる。


「ええ。ですから、それを貴方が作るのですよ。貴方が作った魔術具を新たな『神器』として教会に奉納し、その功績で『聖女』に任命されたわたくしがその『神器』を賜るのです。根回しと後始末はこの『聖女』お任せくださいまし」


 澄まし顔に戻ってカップを傾ける姫様。先ほどまで、内心では正に『聖女』のようなお方だと思っていたのに…存外に気が合うかもしれない。

 私も不敵に笑って片手を差し出す。


「お任せください。ただ、『神器』と呼べる出来になるかは材料次第ですので、そちらの手配はよろしくお願いします」


 さすがに気安く過ぎたか?と思ったが、嫋やかな手でしっかりと握り返された。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね。…もう後には引けませんわよ?」


 姫様が脅しをかけてくるが、『神器』への挑戦なんていう技術者冥利に尽きる仕事を断るわけがない。


「引きませんよ。…ところで、自分で『聖女』を名乗るのってどんな気分なんですか?」


 この軽口は許されなかった。握られた手がぎりぎりと軋み始める。


「…潰しますわよ?」


     ◇


 平謝りして握り潰すのは勘弁してもらい、お茶のお代わりとともに話題を変える。


「そう言えば、ダナ君の様子はどうですか?上手く馴染めそうでしょうか?」


 物騒な空気を引っ込めた姫様が優雅にカップを傾ける。


「ええ。ちょうど歳が近い同性の護衛がおりましたので、その者に世話を任せました。共通の知人の話題ですぐに打ち解けたようです。…やはり冒険者になることを諦めてはいないようですが」


 本当に罪な男だ。無神経な居候を思い出して苦笑いする。

 同じことを考えていたのか、茶菓子の皿を眺めていた姫様が顔を上げた。


「そういえば、あの男はどうしていますか?今はいないようですが」


「今日は何やら人に会いに行ったらしいです。しばらくは王都に滞在するようですが、そのうちまた辺境に戻るでしょう。武器や防具の注文していましたので」


 姫様が注文の内容に興味を持たれたようなので、彼が残した注文書とも言えないメモ書きを取りに行く。

 テーブルの上に並べると、それを見た姫様が頭を抱えた。


「…何ですか、これは。片手でも両手でも扱える武器、詳細はお任せ。軽装の防具、これも詳細はお任せ。できれば程よい大きさの盾も欲しいとありますが、両手で武器を扱うときはどうするつもりなでしょうか?」


 あの男は思いつくことを全部ぶちまけたようで、それらの整合性など考えていない。


「まぁ、腕のふるい甲斐があります。彼には恩がありますので、全力を尽くすつもりですよ」


 そこで姫様は再び悪辣な笑みを浮かべる。


「そういえば、わたくしも彼に今回の褒賞を渡していませんでした。こちらからも素材を提供いたしますし、防具についてはうちの針子を使うとよろしいですわ」


 そのまま仕様の詳細を詰めていく私たち。随分と悪乗りが進んでしまっているが、悪いのはいい加減な注文をした彼だ。

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