第15話 奇跡

 勝利の喜びを分かち合うべき相棒は、満足げに天を仰いで目を閉じている。芋虫のように這ってじりじりと近づく。


「おい、生きてたら返事しろ!」


 俺の要求を聞き届けたガキはこてりと顔を横に向け、瞑目したままにこりと笑った。


「…勝ったね、相棒」


 ふざけて呼んだ相棒という言葉が随分と琴線に触れたせいで、あんな無茶をさせてしまったようだ。

 言いたいことを言ったガキはふうっと息を吐き、薄っぺらい胸板の上下が止まった。…おいおい、それはないだろう。

 芋虫の姿勢のまま身をよじって小さい身体に頭を載せる。か弱い鼓動はまだ聞こえるが、呼吸は途絶えたままだ。


 慟哭に顔を歪めんとしたところで、クレーターに溜まる赤黒い液体が視界の端をよぎる。…副作用はあるだろうが、何もしないよりはましだ。

 壊れた身体の悲鳴をねじ伏せてガキの襟首を引っ掴む。本日何度めかの悪あがきを始めるべく、よろよろと立ち上がった。


     ◇


 ガキの軽い身体を赤黒い液面に放り込む。その波紋を踏み越えて俺も水溜りに入り、頭を膝に乗せてやった。

 少し迷ったが、赤黒い液体を手で掬って口の中に流し込む。意識のない人間にこんな事するのは良くないんだろうが…


 やがて、ガキの喉がこくりと動く。鼻と口がぶしゅっと水音を立てて噴水をつくったかと思うと、しっかりとした呼吸が再開された。…凄いな、この液体。あとはこの小さな頭が蜥蜴に変わらなければいいのだが。

 もじゃもじゃ頭をクレーターの縁に載せ、俺も身体を伸ばす。そう言えばしばらく風呂に入ってないな、とぼんやり考えながら目を閉じた。


 そうしているうちに身体に幾分か筋力と魔力が戻ってきたので身を起こす。外傷の具合を診てやろうと、ガキの上着をひっぺがした。あばらの浮いた生白い身体は、多少の古傷があるだけで火傷はない。

 自分の身体を見下ろす。ぼろぼろの羊毛服の破れ目から、奇妙な文様が焼き刻まれた皮膚が見える。…随分と負傷の程度が違う。何でだ?

 手に掴んでいたガキのマントを見てみれば、少し溶けてはいるもののしっかり原型を留めている。もしかして、この素材には雷を防ぐ特性でもあったのだろうか?

 俺は戦いの序盤でマントを脱ぎ捨ててしまった。ずっと着ていればもっと軽傷で済んだのかもしれない。遺跡の破壊に続いて、また俺の判断が裏目に出たようだ。


「…まぁ、勝ったんだしどうでもいいか」


 独りごちて、手拭いを頭に載せた。


     ◇


 手持ち無沙汰で足をばたばたさせていると、波飛沫が顔にかかったガキが意識を取り戻した。


「…ねぇ、裸に剥かれてるんだけど」


 目覚めて早々、しょうもない事を気にするガキに手で追い打ちの波をかけてやる。ガキは自分の着衣を目で探したが、手が届かないところに置かれているのを見つけると、すぐに諦めた。まだ身体は動かないらしい。


「…大冒険だったな」


 うん、と短く返されて、会話は途切れる。思い出は完全に共有しているので、それ以上話す必要もない。

 このあとは浜辺に戻って干からびるまでだらだら暮らすだけだが、親父さんへの土産話をはたっぷりつくってやれたので良しとしよう。


 心地よい沈黙を続けているうちに、ふと戦いの前の会話を思い出す。


「そういえば、何か謝らないといけないことがあるとか言ってたな?お前」


 あー、と気まずげに頬をかくガキ。やがて意を決したように、とんでもないことを告白し始めた。


「…実は僕、イネスより一つ歳上なんだ」


 はぁ?!そのちびっこのような面と身体でか?どんな生活を送っていればそんなことになるんだ…

 想定していなかった角度からの一撃に口をばくぱくとさせていると、もじゃもじゃ頭をがばさりと下げられた。


「ごめんね…子供のふりをしてるとご飯を奢ってくれたりするお人好しがいたから」


 上げられた顔には小憎たらしい笑みが浮かんでいる。怒る気にもなれず、脱力する俺。さすがにもうガキとは呼べないが、扱いは変えないことを決意する。


「…まぁいい。浜に戻ったら酒でも飲もうぜ」


 成人しているというなら飲ませても構わないだろう。消毒用の蒸留酒の残量を思い出しながら、再び頭をクレーターの縁に下ろした。


     ◇


 そんなやりとりをしたあと、一眠りした俺たちは浜辺に戻るべく重い身体を持ち上げた。随分と長居してしまったが、ここまでは浸水してこないようで助かった。


 ダナはまだ本調子ではないらしく、のろのろと着衣を整えたところで力尽きた。仕方がないので背嚢の代わりに背負ってやる。荷物はまた後で取りに来ればいい。…時間はいくらでもある。


 ごきぶりのように壁に張り付いて地上を目指す。背中で笑うダナ。…こいつに頭を下げるのは癪だが、あとでコツでも教えてもらおう。今更新しい技能を身につけても仕方ないが、暇つぶしにはなる。


 下らないやりとりをしているうちに平坦な通路に辿り着く。ダナは自分で歩こうとするが、背中から下ろしてやらない。年齢詐称の意趣返しのように子供扱いしてやる。


「宴会のために体力を残しておけよ」


 長時間遺跡に潜っていた上にぐっすり寝てしまったので、今の時刻はさっぱり分からない。まぁ、気にする者もいないので、何時から飲んでも構わないだろう。


 やがて出口の光が見えてきた。眩さからして、真っ昼間だ。これなら魚なり野草なりも採れる。献立を考えながら円い洞穴から頭を出すと、予想だにしていなかった事態に直面した。


「動くな!」


 携行砲をこちらに向けるのは、洞穴の脇の階段に片膝をつく帝国兵士。眼下の砂浜には、揃いの軍服が隊列を組み始めている。

 そこに響く渋い声の号令。


「総員、待て!」


 駆け寄ってくるヒゲさん。奇跡のような救援に、満面の笑顔で両手を挙げた。


     ◇


 砂浜の開けた場所に張られた天幕の中、テーブルの上には高そうな陶器に注がれた茶が湯気を立てている。久方ぶりの文化的な生活を味わい、ほうっと息を吐く。

 なお、ダナは軍の術師のまともな治療を受けるため別行動だ。


「まさか、救助に来ていただけるとは思っていませんでした」


 向かいに座って優雅にカップを傾けるヒゲさんに頭を下げる。


「うん、実はね…」


 ヒゲさんの語るところによると、飛竜の巨像が放った閃光は『帝国砦』の近海で魚を捕っていた漁師からも見えたらしい。報告を受けた帝国軍は調査の実施を決定。独断専行した部隊の救援などは認められないが、未知の現象の調査のためならばと軍船が三隻も派遣されることになった。

 この島との関連を確信していたヒゲさんは、派遣部隊の指揮に志願してくれたそうだ。


「…つまり、もう一日二日大人しく待っていれば救助が来てくれたということですか」


 あの死闘は何だったんだ、とがっくりと項垂れる。この島に来てから、判断が裏目に出てばっかりだ。

 ははは、と笑ったヒゲさんは、カップを置いて腕を組む。


「まぁ、助かったんだからいいじゃないか。…それで何があったんだね?岩壁のうえで冒険者らしき遺体を見つけたから、君たちのことも絶望視していたんだが…」


 少し口を湿らせたのち、俺たちの大冒険譚を語る。話を進めるたびにヒゲさんの顔は引きつっていく。


「…ちょっと待ってくれ。君たちが遺跡の機能を破壊してくれていなければ、私たちの船団も飛竜の巨像とやらに木っ端微塵にされていたのではないかね?」


 …言われてみれば、たしかに彼らが無事に上陸して活動しているのは不思議なことだ。あの飛竜の巨像の動力も、俺たちが台無しにした遺跡のものと共通していたということなのだろう。

 俺たちの死闘にも意味があったのなら何よりだ。


「駆け出し冒険者の功績としては破格だね。…そうだ、岩壁のうえを調査している兵士たちを直ぐに呼び戻せ!」


 てきぱきと指示を出し始めたヒゲさんを横目ににまにまする。破格の功績か…意図していなかったとはいえ、調査船団の命を救ったうえに、高難度の遺跡の情報も持ち帰ったのだ。たんまり褒賞がいただけるに違いない。

 皮算用を始めたところに、治療が終わったらしいダナが顔を覗かせた。ヒゲさんにぺこりと頭を下げたあと、勝手に自分の茶を淹れ始める。随分と遠慮がなくなったものだ。

 指示を出し終えたヒゲさんがダナを見て喜色を浮かべる。


「おぉ、ダナ君。もう大丈夫なのかね?さすがは『モグラ』の子だね!」


 謎の言葉に疑問符を浮かべるが、すぐに親父さんの二つ名だろうと思い至る。ヒゲさんもこの親子のことを見知っていたらしい。

 再び席に着いたヒゲさんは、組んだ指に顎を乗せて一転深刻な顔に変わる。


「…さて、二人揃ったところで伝えなければならないことがある。現状、君たちの立場は非常にまずい状況にある」


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