第14話 猛禽

 乾坤一擲の一撃は、間一髪のところで挟み込まれた右腕を、肩口から吹き飛ばすに留まった。

 勢いそのままに、魔術や射撃も絡めて攻め立てているが、依然として仕留めるには至らない。

 息が尽きた瞬間に叩き込まれた前蹴りで、俺は篝火を巻き込みながら吹き飛ばされる。


「……くそ!」


 服の裾の火を消しながら悪態をつく。


 肩の傷の出血が止まったのみならず、異様に膨張した胸部と大腿。襟首の辺りには細かい羽毛まで生えている。

 生命の危機に瀕したせいか、突如としてテオの身体が変容し始めたのだ。


 壁となっているのは、馬鹿げた膂力ではなく、異常な見切りの精度。

 俺のどんな攻撃も正確に目で追って、紙一重の回避とともに反撃を差し込んでくる。

 そのくせ、反撃自体は技の欠片も感じさせない力任せのもので、読みにくい分どうしても防御が遅れてしまう。


 俺が大きな隙を見せているにも関わらず、テオは少し離れたところで待ち構えている。

 余裕のつもりか、あくまで床の大穴を守るつもりなのか……


「……っ!」


 睨み合ううちに、いつしかテオの白目が金色に染まっていることに気づく。

 黄色く濁っていたのは、酒の影響かと思っていたが……明らかに違う。


「そういうことなら……」


 光と影の境界に立つテオに背を向けて、俺は走り出す。

 見切りの絡繰は、動物的な勘でも気配の察知でもない。純粋な視力だ。


 その猛禽の目。鷹か梟か、どちらか確かめてやる!


     ◇


「これで、最後だ!」


 俺が篝火の支柱を蹴倒すと、死んだ遺跡の広間が闇に沈む。

 二、三本倒したところで追走の足が鈍ったところを見ると、どうやら夜行性ではないらしい。

 猫仮面を懐から取り出して装着すると、鶏のように小刻みに首を動かして辺りを見回すテオの姿が見えた。


 これで視覚は封じてやったが、まだ油断は出来ない。

 他の感覚が鈍いとは限らないし、闇に適応してさらに変容しやがる可能性もある。

 無視して大穴に向かえば、背を突かれかねない。


 呼吸を整えて、次の一撃に備える。

 先ほどは感情に任せてつい威力を重視してしまったが、今度は切っ先を少し食い込ませるだけでいい。

 威力のほうは、腰の後ろの魔術具を限界を超えて作動させることで補うのだ。


 かたかたと鳴り始めた魔術具の振動音に反応したテオが、こちらに身体を向ける。

 完全な不意打ちとは行かなかったが、まぁ仕方がない。


 俺は繰り返して来た型稽古を思い出しながら、最小限の予備動作で踏み出した。


     ◇


「うぉっ!」


 一歩踏み出したところで、飛来する剣。

 何とか躱せたが、出足を挫かれた俺は思わずたたらを踏む。

 その行儀の悪い戦い方、一体誰の真似だ?


 体勢を立て直す間も無く距離を詰められ、全く嬉しくない抱擁。

 ぐるりと巻きつく隻腕に引き寄せられて、分厚い胸肉に押し付けられる。


 俺はあばらを砕かれながらも必死に剣を突き立てようとするが、体勢の問題からどうしても届かない。

 ……真っ当に剣で打倒されるのならともかく、こんな決着など我慢ならない。


 柄を手放し、右手を腰の後ろに回す。暴走直前の圧力容器が手のひらを焼くが、今更知ったことか。

 互いの身体の間に左手をねじ込んで強引に隙間をこじ開け、ベルトを半回転させる。


「……こんなの、食らったことあるか?」


 俺は腹の前の熱源に、残る魔力を全て注ぎ込んだ。


     ◇


 大量の血反吐をぶち撒けることで、自分が生きていることを確認する。

 『密林の遺跡』でエノーラの死体に食らわせたのとほぼ同じ、捨て身の自爆技だ。

 いくつもの金属片が腹に突き刺さっているが、思っていたより被害は少ない。


 発動の瞬間、俺が想像したのは姫様所有の障壁の首飾り。あの原理不明の魔術具だ。

 防御に割いた魔力は僅かだったので完全にとは行かなかったが、何とか再現出来たようだ。

 ……『雷獣』の一撃とやらを防げたのも、おそらくは無意識に使ったこの技のおかげ。

 何事もやってみるものだ。


 とはいえ、すぐに動けるほど怪我は浅くない。

 顔を起こしてテオの様子を確認すると、俺と同様、やつは血溜まりの中にうつ伏せに倒れていた。

 ……まだ僅かに身動きがある。今ので果たして心を折ってやれだろうか。


 俺が過去に『人獣化』を目の当たりにしたのは、モリス君のときとレンデルのおっさんのときの二度。

 いずれのときも、勝負が決した段階で元に戻ってくれた。

 もしテオに戦意が残っていたとしても、心を折るまで根気良く付き合ってやる時間の余裕はない。

 そのときは……止めを刺すしかない。


 ともあれ、まずは怪我を治して動けるようにならなければ。

 俺は残り滓のような魔力を掻き集めて、治療を開始する。


 そのとき、大穴からけたたましい羽ばたきの音が響いた。


     ◇


 地の底から突如現れた異形の群れは、昇降機の筒の周囲をくるくる旋回する。

 それは腕が翼に変化した子供のような影。


「……まさか」


 どう見ても魔獣ではない。あれがシリルの言っていた『実験体』というやつか?!


 非道さと悍ましさに戦慄し、思わず治療の手が止まる。

 盛大に隙を晒してしまうが……彼らは、こちらに向かってはこない。

 俺とテオを一瞥したあと、大きく羽ばたいて天井の穴に消えていった。


 ……何が何だか分からないが、助かった。

 彼らの乱入で場が乱されなかったことに胸を撫で下ろしていると、大穴のほうからまた別の気配を感じた。

 今度は何だ?!


「……くそ、逃げられたか」


 闇から現れて舌打ちをするのは、猫仮面を被ったロディさん。

 彼がそれを身につけているということは、元の持ち主は……


 跳ね上がる心臓を、血塗れの手で押さえつける。


     ◇


「ロディさん、ちょっと待ってください!」


 ぴょんと飛び出た、小さな身体の猫仮面。


 ……ロディさんが被る仮面は、べつに形見でも何でもなく、ただの予備らしい。

 一体いくつ持って来やがったんだ?

 

 額の汗を拭うダナに、怪我をしている様子もなければ、身体から羽毛が生えていることもない。

 ロディさんが間に合ったのか、自力で何とかしたのか不明だが……とにかく無事だ。


 それを理解した途端、上げかけていた腰がすとんと抜けてへたり込む。

 どす黒く淀んだ感情も、声を聞いただけで霧散してしまった。


「お前はまたずたぼろだな。で、あっちがテオか……」


 ロディさんの険しい視線の先では、いつの間にか立ち上がったテオが、こちらを睨みつけている。

 服が弾け飛ぶほどの筋肉の膨張と、上体が水平になるほどの極端な前傾姿勢。

 口腔の形状まで変化し始めているのか、よだれを止めどなく垂れ流している。


「鶏冠はまだ生えていないから、間に合うかも……」


 ダナの言葉の意味するところは分からないが、明らかに根拠がある口振り。

 囚われている間にちゃっかり情報を集めていたのだろう。


 未だへたり込む俺の前に二人が立ち、テオを見据える。

 俺はその間に割って入り、前に出た。


 ダナの「大丈夫なの?」の視線に、力強い頷きを返す。

 俺自身、完全に緊張の糸が切れたつもりでいたのだが、淀んだ感情に代わって沸き立つ熱がどうにも抑えきれない。


 ……女の前で格好を付けたいという、しょうもない意地。

 このまま三人掛かりで片をつけるべきなのだろうが、我を通させてもらうぞ。


 剣が近くに見当たらないので、篝火の支柱を拾い上げる。

 何の変哲も無いただの鉄の棒だが、これで十分。

 ……どういうわけか、全く負ける気がしない。


「そろそろ決着をつけてやる!」


 溢れる熱を咆哮に乗せ、俺は走り出した。

 

 


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