第15話 幕引き
俺の動きに反応したテオは、前傾姿勢はそのままに駝鳥の如き突進を開始する。
凄まじい速さだが、それだけ。真正面から突っ込んでくる魔獣など、うんざりするほど相手してきた。
俺は支柱の下端を床に押し付けて、上端でテオの臍に狙いを定めた。
「ぐぅっ!」
呻き声を上げつつも、暴れる支柱を押さえ切る。
テオは身体を腰からくの字に折り曲げられて、俺の顔によだれを撒き散らす。
「汚いぞ!」
そのまま首筋に噛み付こうとするテオの口に、左腕を差し込む。
輪郭が変わるほどに肥大した咬筋も、ダナと揃いの腕輪には全く歯が立たない。
腕を齧らせたまま跳躍。振り上げられた隻腕を潜り抜けて背後に回る。
両脚をテオの腰を絡ませて、おぶさるような姿勢。俺は残る両腕で、肩と首を同時に極めてやった。
「グエェッ!」
正に絞められた鶏のような奇声を上げたテオは、広間を縦横無尽に走り出す。
……この体勢なら根比べでも負けないと思うが、まずい。
このままでは、そのうち床の大穴に諸共落ちてしまう。
俺は渾身の力で背を反らせるとともに、テオの耳元で絶叫した。
「お前を待っているやつがいるだろう!」
どちらが決定打になったのか。散々暴れ回っていたテオが立ち止まり、どさりと崩れ落ちる。
わざわざ後ろ向きに倒れやがったので、床との間に挟まれた俺は、盛大に舌を噛んでしまった。
涙目になりながら、分厚い筋肉の下から這い出す。
首を絞め上げていた腕には、抜けた羽毛がびっしりとこびり付いている。
……今度こそ、心もへし折ってやれただろう。
「お疲れ様」
テオの顔を覗き込む俺の隣、いつもの位置にダナが収まる。
今回は本当に色々手痛い失敗ばかりだったが……最後の最後に、少しは格好が付けられただろうか?
感想を聞くべく、視線を向ける。
「……何て言うか、泥臭いね」
俺はくりくりの巻き毛を、ぐしゃぐしゃに掻き回した。
◇
「……そろそろ、いいか?」
俺たちがしょうもない争いを繰り広げている間に、ロディさんが後始末をしておいてくれた。
テオは厳重な拘束を施したうえで、ダナの背嚢に詰め込まれている。
未だ意識が戻っていないが、膨張した身体はすっかり元通り。
切り落とした腕も、『人獣化』の影響が残っているうちに処置したおかげで、何とか繋がったようだ。
「帰る前に少し打ち合わせをしておくぞ。道中、間違いなく制圧部隊と出くわすからな」
……そうだった。結局、何がどうなったのか、詳しいところはまだ聞けていない。
床に腰を下ろし、ロディさんの仕切りで情報交換を行う。
「まず、俺が実験室とやらの階層についたときには、シリルはすでに逃げた後だった」
幸か不幸か、ロディさんとシリルがやり合うことにはならなかったらしい。
「で、代わりにダナが大暴れしていて……もう、どの部屋も滅茶苦茶でな。俺が必死に宥めつつ、研究資料を掻き集めてきたわけだ」
自身の活躍を語られているにも関わらず、ダナの表情は暗い。
……おそらくは、何か良くないものを見たせいだろう。
怪しげな薬品、実験体、異形化した子供。断片的な情報だけでも、ある程度の想像はつく。
俺は袖を掴む小さな手に、自分の手を重ねた。
◇
続いて説明されたのは、本日乗り込んできた制圧部隊について。
セレステとクライドから事情を聞いたロディさんは、自分たちだけ救出に向かうのではなく、少し離れた地域を巡回している精鋭部隊に助けを求めた。
この辺りを治める領主は『義勇軍』寄りの立ち位置なので、アジトに襲撃などかければ面倒な事になるのは確実。
そこで、その精鋭部隊を矢面に立てることにしたそうだ。
とある兄妹が『義勇軍』に攫われた、という報告を聞いた彼らは、大いに発奮して救出を約束。
すぐさま軍を整え、このアジトの制圧に乗り出した……という成り行きだったらしい。
……それだけ聞けば立派な話だが、どうにも不自然。
たかだか二人攫われた程度で、精鋭部隊が動いてくれるものなのだろうか?
俺が首を傾げているのに気づいたロディさんが、裏の事情を教えてくれる。
「まぁ、お前らの救出云々はただの建前だろう。領主の意向に逆らって『義勇軍』を潰すには、それなりの名目が必要だからな」
……随分とややこしい状況だったらしい。
陰ながら『義勇軍』を支援する領主に、その領主に表面的には従いつつも『義勇軍』を潰したい精鋭部隊の人間。
そこに、『義勇軍』の制圧を手伝うと見せかけて、思いっきり妨害するセレステとクライドが加わったわけだ。
「……そういう訳だから、お前らは救出された兄妹だ。向こうも薄々事情は察しているだろうが、余計なことは話さずに礼だけ言っておけ」
シリルとその研究の件については、ロディさんが上手いこと報告してくれるらしい。
その他、細かい口裏合わせを終わらせた俺たちは、出口に向かって移動を開始した。
◇
随分と話し込んでしまったせいで、制圧部隊の人員は廃坑内にまで進攻して来ていた。
兄妹の救出という名目については末端の兵士まで伝わっていたようで、俺とダナは兵士とすれ違うたびに、ばしばしと背中を叩かれる。
そんな労いを適当な愛想笑いでやり過ごし、とうとう廃坑の外に到着。
久々に陽光を浴びて、今度こそ緊張の糸が切れそうになる。
しかし、まだ最後の一仕事が残っている。
坑道入口の前の広場、新たに張られた大きなテントは、移設された制圧部隊の本陣だ。
この中で、制圧部隊の指揮官が報告を待っている。
ロディさん曰く、指揮官の名前は『雷獣』ジョアン。アリサの親父さんだ。
◇
「無事に助けられたようだな」
微かな笑みを向けるのは、どこかアリサに似た雰囲気を持つ細身の騎士。
べつに威圧されているわけでもないのに、肌がぴりぴりと刺激される。
……間違っても、地方巡回の指揮官程度の風格ではない。
「ありがとうございました。お陰様で、二人とも大した怪我もありません」
ダナのどでかい背嚢の中には、折り畳んだ男も一人入っているが、それは秘密だ。
「……大した怪我もなく、か」
俺に向けられる視線が、若干の鋭さを帯びる。
……例の一撃を放つとき、やっぱり俺の姿が見えていたのだろうか。
「……まぁいい。ロディと言ったか、報告を頼む」
その件については深く追求されることもなく、話題は『義勇軍』の末路に変わる。
ロディさんは、シリルとともにテオも逃走したという筋書きにしたようだ。
加えて、シリルの怪しげな実験についても簡単に報告する。
ただし、俺たちが研究資料を持ち出していることについては伏せておくらしい。
「なるほど、承知した。首謀者を逃したことについては、気にしなくていい。私の立場では、討ってしまっても面倒だからな」
そう言いつつ、『雷獣』は何故かダナに視線を向ける。
……これは、ばれているな。
「アジトの位置を突き止めた事と言い、制圧に助勢してくれた事と言い、今回は随分と助かった」
礼を言いつつも、後半の言葉には妙に棘がある。
セレステもクライドも、どれだけ無茶をやりやがったんだ?
「我々はアジトの後始末と、その実験とやらの調査に入る。お前たちは帰っていいぞ」
そうして、針の筵のような時間が終わる。
最後にもう一度頭を下げて去ろうとするところに、これまでと一変して、暖かみを感じさせる言葉が投げかけられた。
「……娘を、よろしく頼む」
何から何まで、全てお見通しだったらしい。
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