第8話 配られた手札

 見晴らしの良い丘の頂上に到着すると、他の面々は探すまでもなく見つかった。


 何とか混戦に持ち込もうとする苔人形どもをセレステが引き撃ちの魔術で凌ぎ、そこにおっさん二人が競い合うように救援に向かっているという状況。

 俺たちが手を貸す必要もなさそうなので、頂上からこちらの存在を知らせるのみに留めることとする。


 そして、ほどなくして眼下の三人が合流。

 同時に苔人形どもも兵を引き上げて一旦仕切り直す動きを見せたため、俺とダナも仲間たちと合流するべく丘の麓に向かった。


     ◇


 まだ危機から脱したわけではないが、全員の無事が確認できたことで互いの顔には自然と笑みが浮かぶ。

 手短に情報を擦り合わせ、苔人形の布陣が整うまでの間に最後の会話を交わす。


「俺の予想はダナから聞いたよな?お互い相方に不満はあるだろうが、そうなった時には……まぁ頑張ろうや」


 ランダルさんとしては、当然ロディさんやレンデルさんと組んで羊男に挑みたかっただろう。

 俺としても、慣れ親しんだ相棒のほうが連携の面で望ましかったのは言うまでもない。


 とはいえ、不満を漏らしたところでどうしようもなく、代わりに俺はニッと笑っておく。


「手元の札で勝負するしかないですからね。いつも通りにやりますよ」


 それはある意味、俺の冒険者としての信条だ。

 凡人と自称するには些か力をつけ過ぎてはいるが……未だ絶対的な決め手に欠く俺は、いつも手札の組み合わせで戦ってきた。


「おいおい、勝負できるだけマシだろうが。俺なんて、関係ない相手とどれだけ戦わされることか……」


 いくら本人が熱望したとしても、邂逅の記憶を持たないテレンスが羊男に挑むことはできない。

 加えて、かつて最前線に挑んだこいつの記憶は、間違いなく過酷な戦場となるだろう。


「私とダナちゃんも、なるべく急いでロディ達と合流するわね。でも、ここは時間の流れが滅茶苦茶みたいだから……」


 最も早く記憶の世界から脱出できると思われるのは、比較的経験の浅いこの二人のどちらかだ。

 ランダルさんは此処に飛ばされる直前に救援要請を『伝心』してくれていたらしく、すでに残存戦力を引き連れて野外劇場に向かっているだろうとのこと。


 なお、時間の流れ云々については、現在までの互いの体感時間を比較して分かった新事実だ。

 記憶の中から脱したとき、外で経過した時間はほんの一瞬かもしれないし……すでに何日も過ぎているかもしれないのだ。


「あぁ、頼むぜ。さすがに二人で仕留められるとは思えねえし、せっかくだから全員で止めを刺してやろうや」


 ロディさんが別行動をとっていたのも、考えようによっては好材料。

 俺とランダルさんが時間稼ぎをしているうちに、ロディさんが外部からこの仕掛けを停止させ、現実世界で総戦力をぶつける……というのが理想的な展開だ。


 俺たちを記憶の世界に閉じ込めたまま、羊男が女二人の尻を追いかける……という展開も考えられなくはないのだが、そこはそうならないよう祈るしかない。


「肉はいらないから、お土産は角か毛皮でね」


 時間稼ぎどころか仕留めてしまえというダナの要求に、俺は呆れつつも了承の意を示しておく。

 ……湿っぽく身を案じるなんて、お互いに柄じゃない。


「さて、とりあえずは此処を切り抜けないとな。あちらさんは……目算で三、四千といったところか。数だけで言えば笑えるくらいに絶望的だが、お前らなら何の心配もいらないよな?」


 ランダルさんに倣って敵陣に目を向ければ、たしかに笑えるほどに本格的な陣形が構築されていた。


 前面には歩兵による横陣。両翼をやや押し上げて、教本どおりに包囲を狙う構え。

 その後背には騎兵を象った苔人形が控え、さらに奥には弓兵を主体とした本陣が置かれている。

 魔術師兵は見当たらないので、本陣で敵将を務めるのはハリーだろうか。


「誰が率いていようが、元になっているのは冒険者崩れのチンピラどもだ。まぁ下手すりゃ、俺が率いる羽目になっていたかも知れないわけだが……」


 テレンスが何とも情けない顔をしたところで、先陣の歩兵どもが整然と進軍を開始する。

 すると他の面々がこちらに向き直り、暫定リーダーの俺に締めの言葉を求めてきた。


 咄嗟に気の利いた台詞など思い浮かばず、俺はおざなりな……しかし、多分に願いを込めた言葉を口にする。


「……じゃあ、また後で!」


 そして、何故か定着してしまった儀式。五人は拳を合わせ、それぞれの戦場に散っていった。


     ◇


 中央がランダルさんとセレステ、右翼がテレンス一人、左翼が俺とダナ……というのが、大軍勢に立ち向かう五人の配置だ。


 中央の二人が持ち堪えているうちに、左翼の俺たちが攻め上がって後詰めの騎兵部隊を釣り出す。

 そして、手薄になった敵本陣に右翼のテレンスが突貫、という手筈だったのだが……


「あいつめ……」


 俺たちが交戦に入る直前、戦場の反対側に突如として聳え立った巨大な炎の竜巻。

 この人形どもを苔と表現したのは正解だったようで、余波の熱風に煽られただけで歩兵の隊列は次々と炎上していく。


「激励、っていうよりは挑戦かな?」


 おそらくはダナの言うとおり。どんなに戦意が高まっていたとしても、あのテレンスが暴走するとは考えにくい。

 つまり、あいつは『チンタラしてたら独力で本陣を陥とすぞ』と言っているのだ。


 もちろん、決戦を控えた俺に力を温存させるのが最大の理由なのだろうが……


「……悪いが、受けてやってくれるか?」


 こちらも同じく俺の力を温存する方向で考えていたので、あの挑戦に応えるのはダナの役割だ。

 ……どうも最近、周りに頼りまくっている気もするが、それも含めて俺の力ということにしておく。


「もちろん!じゃあ、イネスも頑張ってね」


 そう言って手を振ったダナはトゲトゲのマントを翻し、敵の片翼のさらに外側に向かって突撃して行った。


     ◇


 縦横無尽に暴走する針モグラが、土煙を巻き上げつつ敵陣をずたずたに切り刻む。

 上空からマントを振り下ろすのがあいつの最大威力の攻撃ならば、あの地を這うような疾走こそが最速の攻撃だ。

 視野は狭まり方向転換もままならないので使い所は限られるが、雑兵の群れを相手にするには丁度いい。


「……さて、俺も頑張らないとな」


 戦力的にあいつ一人で事足りるのであれば、この後を見据えて試しておきたいことがある。


 俺は斜め後方に下がりながら羽根箒を抜き、真っ白な作業着に血で適当な文様を描いていく。


「せめて、これだけは出来るようになっておきたいが……」


 濃密な『適応因子』の影響か、記憶を再現する仕組みとの関連か。

 理由は未だ定かではないが、この空間では普段よりも遥かに呪術が使いやすい。

 『呪式強化』の効果向上はもとより、練度が足りない技であっても容易に扱えるのだ。


「……行くぞ!」


 準備が整ったところで反転。前腕で顔を守りつつ、槍衾に正面から突っ込む。

 苔人形は俺の無謀な行動にも一切の動揺を見せず、すかさず最前列の穂先を密集させた。


「……っ!」


 敢えて腹部で受けた刃の束は、作業着を貫くことなく僅かな衝撃を伝えるのみ。

 そして、がりがりと硬質な音を響かせながら、ずるりと脇のほうに滑っていく。


 これは新技でも作業着の防刃性能でもなく、『脆化』の反転。いわば『硬化』の呪術だ。

 重量を増やしも減らしも出来るダナを参考に練習していた技術だが、此処でなら何とか実用に耐えられそうだ。


「これはどうだ!」


 硬化させた右腕で槍を捌きつつ、左の手のひらを翳す。

 そこから放つのは使い慣れた蒸気の魔術だが、その色はいつもの白ではなく血の赤。

 発生する衝撃も普段の数倍で、苔人形を数体まとめて粉砕する。


「……さすがに無理か」


 『適応因子』を豊富に含む血だったぶん、ただの水よりは威力が上がっている。

 しかし、俺が本来やりたかったのは、呪術の遅延圧縮を参考にした時間差魔術。

 連鎖する水蒸気爆発で遠距離攻撃が出来ればと思ったのだが……目論見どおりにはいかなかった。


 とはいえ、練習台は地面から幾らでも生えてくる。

 ……この期に及んで稽古など泥縄の極みだが、手札を増やせる機会を逃すわけにはいかない。


 俺は相棒の快進撃を横目に見つつ、思いつく限りの手札の性能を確かめていった。


     ◇


 歩兵の片翼を散々に引っ掻き回し、そろそろ騎兵を釣り出そうとしたところでダナが急に立ち止まる。


「はぁ、嘘でしょ?!」


 やつが素っ頓狂な声を上げた理由は、俺にもすぐ分かった。

 騎兵部隊にも敵本陣にも何の動きもないにもかかわらず……俺たちの身体が透け始めているのだ。


「テレンス……と、セレステだな」


 炎の竜巻は未だ反対側の歩兵を蹂躙している真っ最中。

 おそらく、あの火術はセレステの『魔術破り』により維持と操作を委譲されている。

 そして、テレンス本人は草むらに潜伏して斬首作戦を敢行しやがったのだろう。


 雑兵の苔人形どもも勝手に崩壊し始めたので、俺たちはその場にどさりと腰を下ろす。


「イネスの次の記憶は、たしか『密林の遺跡』だったっけ?」


 印象に残る戦いの記憶という前提が正しいのであれば、俺の次の戦場はあの雪山地下の大遺跡になるのだろう。

 セレステとクライドとともに潜り抜けたゴキブリ地獄だ。


 そして、おそらくその次は王都の地下に存在した『地下闘技場』。

 虎男とは真面に戦っていないので、相手は人獣化したレンデルさんだろうか。


「ああ。お前は……どうなるんだろうな?」


 さらに次の戦場は、機械竜と死闘を繰り広げた『孤島の遺跡』。ダナとの初めての冒険だ。

 当然、記憶を共有しているわけだが、こいつはそれまでの間に大きな戦いを経験していない。


 ダナ一人で先に挑むことになるのか、俺が辿り着く何処かで待たされるのか。

 あるいは、時間の歪みで強引に辻褄を合わされるのか……


「どうだろ……あっ、そろそろ時間だね」


 例の消失現象が全身に及び、視界に映る互いの姿が薄れ始めると、ダナは慌てたように立ち上がった。

 そして、小走りで胡座をかく俺の背後に回り……相変わらず薄っぺらい胸を強く押し付けてくる。


「おいおい……」


 俺の控えめな抗議も意に介さず、無言のまま首筋に顔を埋める。

 さすがに振り払うようなつもりはないので、俺は時間の許す限り好きなようにさせてやることにした。

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