第7話 過去あるいは未来
覚悟していた意識の途絶はなく、ほどなくして徐々に視界が戻り始めた。
俺は悔恨と混乱を意識の外に追いやり、すぐさま状況の把握に努める。
俺の身体は……まだ半分透けたままだが、見たところ被害を受けた様子はない。
周囲の状況は……近くには仲間たちの姿はなく、羊男も見当たらない。
それに、そもそも今いる場所は……あの野外劇場ではない。
「まさか、『転移』ってやつか……?」
そんなものお伽話か与太話だと思っていたが、そうとしか言えない不可思議な現象。
少なくとも、周りの気配からして幻覚の類ではないのは確かだ。
無機質な金属張りの床。ドーム状の天井。部屋の形状に合わせて円く配置された篝火。
そして……部屋の中心を挟み、反対側の壁の傍に立つ人影。
「っ!?」
発達した胸筋と腿を無理矢理に押し込めた豪奢な衣装。だらしなく開いた胸許から覗く羽毛。袖から飛び出した鋭利な鉤爪。
頭部も完全に鳥に変容してしまっているが、あれは……
「……テオか?」
アレも幻影ではなさそうだが、もちろん本人でもない。
……ないが、もしもあいつが『義勇軍』に留まっていれば、ああなっていただろうと思わせる姿。
すなわち、何かを掛け違えれば辿り着いていた仮定の未来。
「そういう趣向かよ……」
床や天井に大穴はなく、壁には出入口も見当たらない。
細かい点こそ当時とは違うが、俺が『義勇軍』のアジトに乗り込んだときと同じ状況だ。
「…………!」
茫洋と立っていたテオの過去が、俺の出現に気づいて臨戦態勢に入る。
上体を水平に倒し、両腕は後ろに。爪先で床を掻く様は駝鳥の物真似そのものだが、その野生的な威圧感は悪ふざけなどではない。
「趣味が悪いぞ、羊男!」
……この閉ざされた空間に俺とアレしか存在しない以上、羊男の意図は明らかだ。
おそらく、他の面々も別の場所で悪趣味な何かと対峙させられているのだろう。
虚空に向けて毒づいた俺は、実体を取り戻つつある羽根箒に手を伸ばした。
◇
本物を上回る巨体のソレはもう一段深く上体を沈め、続いて下肢に蓄えた力を爆発させる。
羽ばたきの姿勢での猛突進から、左右同時に振るわれる鉤爪。
俺は前進して烈風を掻い潜り、すれ違いざまに穂先を腿肉に押し当てる。
「……ん?」
思いの外深く食い込んだ刃から伝わったのは、肉を切ったときの感触ではない。
敢えて言えば、苔のように柔らかいものを押し固めたような印象。
……どうやら、真面な生き物ではなさそうだ。
案の定、今の一撃は痛痒となっていないようで、ソレは急停止の反動を利用して天井近くまで跳躍する。
俺は青靄の幻影を残して飛び退り、頭突きとも噛みつきともつかない攻撃を回避。
「…………」
あっさりと視覚を惑わされて敵を見失うさまに、知性は欠片も見当たらない。
……攻撃の威力自体は脅威でも、さしたる難敵ではないな。
一旦距離をとった俺は、短期戦を決断。
……他の面々の状況が分からない以上、あまり時間をかけたくない。
靄が晴れる前に距離を詰め、一気に鉤爪の圏内へと踏み込む。
「おい、その程度かよ!」
水平に走る斬線を余裕を持って躱し、無防備に晒す自身の頭部で噛みつきを誘う。
顔の側面についた小さな双眸に、舌がでろりとはみ出した嘴。
……本人の面影はないとはいえ、傍で見ていて気分のいい面ではない。
ソレが痺れを切らして大きく仰け反ったのに合わせて、互いの身体が密着するほど深くにさらなる踏み込み。
柄頭の髑髏飾りを嘴から喉奥までねじ込むと同時に、鬱憤を握り込んだ左拳を思いっきり脇腹に叩き込んだ。
「……くそが」
容易く貫かれる腹筋の脆弱さに、何とも不快な気持ちが込み上げてくる。
今のあいつの腹はもっと鍛え上げられているし……この手応えのなさは、コレが前座に過ぎないことの証左だ。
「……!……!」
腹腔内をまさぐる左手が硬質なものを捉えると、ソレは情けない声を上げて痙攣し始める。
俺はさっさと黙らせるべく、掌中で蒸気の魔術を炸裂させた。
◇
粉砕した球体はやはり核のようなものだったらしく、黒ずんだソレは乾いた苔のように崩れ去った。
そして、俺の身体はまたしても末端からゆっくりと透け始める。
「…………」
羊男が時間稼ぎと言っていた以上、こんな程度の相手を片付けただけでは、すんなり野外劇場には帰しはしないだろう。
この後も引き続き、何かと戦わされるのは想像に難くない。
しかし、理解できないのは……
「……なぜ、羊男が知っている?」
公国『義勇軍』の頃のテオの姿を知っているのは、俺以外にはダナとロディさんだけのはず。
テオ本人が話したとも思えないし、羊男本人がこっそり見ていたというのも流石にあり得ない……と思いたい。
……いや。今考えるべきはそんな事ではなく、仲間たちの安否だ。
「セレステだけは、ちょっとまずいかもな……」
ダナとおっさん二人については何が相手でも切り抜けられると思うが、接近戦を得手としないあいつだけはちょっと心配だ。
一対一でも戦えないことはないだろうが、なるべく早く合流してやりたい。
「……さて」
消失の範囲が頭部まで及び、視界もだんだんと薄れ始める。
色々と考えてみたところで、今の俺に出来るのは目の前の敵をさっさと片付けることだけだ。
……次はアリサかクライドか。できれば、ロディさんは勘弁してほしい。
薄れゆく身体を軽く弾ませ、俺は次なる戦いに備えた。
◇
しかし、羊男が繰り出す出し物には、またしても予想を裏切られる。
「おい、いきなり雑だぞ!」
今度の敵も案の定の苔人形。しかし、それは誰を象ったものでもない適当な造形で、手にした得物以外の箇所は強度も低い。
……ただ、数だけはやたらと多く、完全な包囲を敷いたうえで俺の実体化を待ち構えていたのだ。
「地面から生えてきやがるのか?!」
羽根箒と回し蹴りで蹴散らしていくうちに、包囲の外側に次々と苔人形が追加されているのに気づく。
時間稼ぎとしては至って正攻法。おそらく、このままこいつらと遊んでいても終わりは来ない。
……馬鹿正直に付き合っている場合じゃないな。
何はともあれ包囲を抜けるべく、俺は『脆化』の血液を撒き散らして突破口を切り開くことにした。
「……ありゃ?」
動きを鈍らせて切り込もうという目論みだったのに、苔人形どもは血を浴びただけで呆気なく崩れ去っていく。
……こいつらが脆弱なだけでなく、俺の呪術も異様に強化されているようだ。
理由は分からなくても、有効ならば使わない手はない。
俺は文字通りに血路を切り開き、多重の包囲を一気にぶち抜いた。
◇
移動し続けることで苔人形の襲来は散発的となり、ようやく周囲の状況を見る余裕が出てきた。
「何なんだ、この場所は……」
足元は金属床ではなく、遥か彼方まで続く草むら。その背丈は常識的であるものの、色味は血のような赤。
頭上を覆う空も天井に描かれたものには見えず、紫がかった不気味な色合い。そして、大気に満ちた異様な濃度の『適応因子』。
遺跡の別の場所に飛ばされたのだと思っていたが、本当にこれが現実なのか些か自信がなくなってきた。
それに、この悪夢のような光景には何故か既視感が……
「っ!?」
ちょうど見上げていた不気味な空に、何かの気配を感じ取る。
すかさず足を止めて迎撃の構えをとるも……俺は肩の力を抜いて穂先を下ろした。
「あ、イネス」
半分透けたまま上下逆さまに落ちてくるのは、俺の自慢の相棒。
くるりと着地を決めたあと辺りを見回し、少し離れた場所にある丘を指差す。
「話は移動しながらにしよう。とにかく、みんなと合流しないと」
こんな訳の分からない状況に放り込まれても、こいつは妙に落ち着いていやがるな。
……もう少し無事を喜び合ってもいいと思うのだが、そこは互いへの信頼ということにしておくか。
◇
無粋な苔人形どもを蹴散らしながらの情報交換。
「その様子だと、イネスも此処の仕組みに気づいたみたいだね?」
先行するダナの問いかけに、俺は溜息をつきつつ首肯する。
……こいつの見覚えがあり過ぎる登場の仕方で、すでに大方の予想はついた。
「たぶん『記憶の再現』ってところだろう?」
あのときのテオを再現できたことも、この場所に覚えた既視感も、それで一応の説明はつく。
夢か何かとして見せるのならともかく、生身の身体で追体験させるなんて、あまりにも大掛かりな仕組みだ。
……しかし、ここは神代の遺跡。神代の人間なら何でもアリだ。
「うん、ランダルさんとテレンスも同じ見解だった。三人掛かりとはいえ、やっぱりマラカイ爺さんは手強かったよ……」
……なるほど、ダナのほうは、俺のために最前線近くまで行ってくれたときの再現だったか。
記憶を共有していれば、共闘もできるらしい。
「ってことは、やっぱり此処はテレンスが姫様を襲撃した場面の再現だよな。それで……コレはどうすれば終わるんだ?」
シリルかハリー、あるいはキーロン。
この記憶については、おそらく敵将を務める苔人形を仕留めれば終了なのだろう。
ついでに、自身の印象に残る記憶を新しいものから順に遡っていくというのも予想はつくが……まさか、幼い頃の兄弟喧嘩まで追体験させられるのだろうか。
「あぁ、それに関してはランダルさんが嫌な予想を立てていたよ。あの人は出ると踏んでいるみたいだけど……イネスはどう思う?」
質問の意味が分からず一旦は首を傾げるも、自身の闘争の歴史を振り返るうちに次第に理解が及んでいく。
「……俺も出そうな気がするな」
俺の初めての遺跡探索。予想だにしていなかった人型の魔獣との邂逅。
とても戦いとは言えない状況ではあったが……記憶の中での再会というのは、いかにも羊男好みの展開だ。
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