第9話 伏せられた切り札

 ダナに纏わり付かれているうちに草原が白く染まり、再び視界を取り戻したときには『密林の遺跡』の記憶の中に移動していた。


 始まりの場所は、まるで温室のような半球状の小部屋。出入口は一箇所のみ。

 漂う空気は冷ややかであるが、硝子張りの壁と天井の外側には雪は降り積もっていることもなく、代わりに紫がかった桃色の空間が何処までも続いている。

 そして、場違いに設置されたベッドの上には……寝そべって飯を食っている人物がいた。


「あら、随分と遅かったわね。もう下見は済ませちゃったわよ」


 気怠そうに身を起こしたセレステが、寝乱れた姿のままでひらひらと手を振る。

 どうやら此処に辿り着いた時間に大きなズレがあったようで、一人待ちぼうけを食らっていたらしい。


 この場所の安全も確認済みとのことだったので、俺もベッドに座って下見の結果を聞くことにした。


     ◇


「通路の先は広いホールになっていて、あのときと同じく砦攻めよ。ただ、親玉がちょっと厄介なの。クライド君がいれば良かったんだけど……」


 此処の親玉と言われて思い浮かぶのは、あいつの幼馴染だったエノーラ嬢の死体。

 たしかにクライドもいれば記憶の完全再現と相成るだろうが……さすがにそれは悪趣味ではないだろうか。


 そんな非難を視線に込めると、セレステは苦笑して首を横に振った。


「そうじゃないわ。あのエノーラって子の偽物は沢山いたから、親玉はまた別よ。たぶん……砦みたいな大きな樹、それ自体ね」


 敵将を討って砦を制圧するのではなく、砦そのものを物理的に破壊しろと来たわけか。

 脚が生えて動き回りでもしない限り、大した脅威とは言えないが……


「……たしかに、俺たちだけでは火力が足りないな」


 セレステの得意とする魔術は、比較的攻撃性の低い水術と風術。

 普通の生き物を殺傷する程度の威力であれば十分出せるものの、巨大な構造物を破壊するのにはあまり向いていない。

 もちろん、羽根箒を振り回す俺については言わずもがなだ。


「そうなのよ。でもまぁ、貴方が来てくれたのなら手はあるわ」


 俺……というより、俺の懐に入っている切り札。すなわち、チャーリーの爆弾。


 巨大樹が記憶と同程度の大きさなのであれば、太い幹をごっそり消し飛ばすのも容易いだろう。

 ただし、この切り札は一枚限り。此処で使ってしまえば羊男にぶち込むことはできなくなる。


 加えて、今まさに思い至ったのだが、この異様な空間で爆弾を炸裂させれば何が起こるか分からない……という懸念もある。

 最悪、記憶を再現する仕組みが壊れてしまい、元の場所に戻れなくなってしまう可能性だってあるのだ。


 そんな理由で俺が渋い顔をしていると、セレステは何処かの誰かを彷彿とさせるような、実に不気味な笑みを浮かべる。


「ふふ、そっちの切り札は温存しておきなさい。私の提案は、こっちの切り札を使うことよ」


 意味深な視線が指すのは、ベッドに投げ出してあった二本一組のどでかい扇子。

 ……単純に水術と風術を強化する魔術具だと聞いていたのだが、何か隠し機能でもあるのだろうか?


「チャーリー君が考案した、魔術と呪術の複合奥義。色々と前提条件があるから、使うには貴方の助けが必要なんだけど……威力だけは保証するわよ?」


 ……あいつ、本当に何にでも手を出していやがるな。

 それに、あいつとこいつに保証されたところで別種の不安しか湧いてこない。


 とはいえ他に良案があるわけでもなく、俺は渋々ながらも頷くことにした。


     ◇


 腹拵えと身支度を終えた俺たちは、一本しかない通路を経て此度の戦場へと向かう。

 そして、終端の曲がり角から砦の様子をそっと窺い……俺は思わず硝子の天井を仰いだ。


「羊男め、いくらなんでも悪趣味過ぎるだろうが……」


 ホールと呼ぶには些か広大な空間の中央に堂々と屹立するのは、枯れ果てた巨大樹の砦。

 深い緑の樹皮が金属じみた光沢を帯びるほどに押し固められており、抜け落ちた葉の代わりに怪鳥の苔人形がびっしりと居並んでいる。


 そのあたりについては予め聞かされていたので、特に驚きはないのだが……


「あんまり面影はないけど、あれってエノーラでしょう?感じの悪い子だったけど、あの扱いはちょっと可哀想よね」


 砦までの道を遮る、分厚く高い城壁。

 それを構成する素材は苔色の巨大ゴキブリで、その上で守りにつくのは大弓を携えた女性型の苔人形が十数体。


 ……大して思い入れのない相手ではあるが、あまりにも不憫だ。

 出来ればもう一度きっちり引導を渡してやりたいところだが、倒したぶんだけまた生えてくるのだろう。


「何にせよ、全く気が進まないな。さっきのベッドでずっと寝ていたい気分だが……」


 あのあからさまな安全地帯は、おそらく意志を削ぐ目的で敢えて設けられているのだろう。

 実際、他の者が他の場所で状況を打開するのを待つという手もなくはないのだが……生憎と呑気に寝ていられるほど俺は図太くない。


「それでも構わないけど、折角の機会だから貴方の格好良いところを見たいわね。私が相棒ではご不満かしら?」


 意地悪く笑ったセレステが背中にしな垂れかかり、耳元で吐息混じりに囁く。

 ……何処かの誰かとの格差が如実に伝わるので、出来ればやめてやってほしい。


「……仕方ないな。お望みどおり、せいぜい踊ってやるよ」


 俺は名残惜しい温もりを振り払い、前方に広がる明確な死地に足を踏み入れた。


     ◇


 ゆったりとした足取りで城壁の正面に向かい、その道半ばで足を止める。


 セレステが奥義を使用するための条件の一つとは、当然それのみに専念すること。

 したがって、あいつは通路に風壁で蓋をして引き篭もったままだ。


「さて、一体どれだけ撃たせればいいのやら……」


 俺があいつと一緒に引き篭もらないのは、もう一つの条件を満たすため。

 自前の魔力だけでは到底足りないらしく、奥の怪鳥どもに出来るだけ風術を使わせる必要があるのだ。


「……まぁ、初手はそう来るよな」


 城壁の一部が崩れ、ゴキブリ部隊がガサガサと迎撃に出向いてくる。

 ……曲者が現れたとはいえ、所詮は俺一匹。いきなり奥の怪鳥までは動員しないか。


 続いて、城壁の上でエノーラ人形が整列。

 身の丈と変わらぬほどの大弓を引き絞り、上空に向かって巨大な矢を疎らに放つ。

 それらは山なりの軌道で明後日の方向に飛んでいくが、あれも風術を纏っているはずなので油断は出来ない。


 俺は少し位置取りを変えて羽根箒を抜き、二方向からの攻撃に備えるも……


「鳥が来るまで私が対処するわ!それより……」


 背後からセレステの声が響くと同時に、足元を流れる一陣の風。

 床ぎりぎりの高さで放たれた風術はゴキブリどもの腹の下に潜り込み、そこで上空に向かって吹く突風に変わる。


 高々と打ち上げたゴキブリを矢に対する盾とする見事な魔術行使。

 しかし、見惚れているわけにはいかない。


「うぉっ!?」


 身を捩った刹那、眼前を切り裂いた轟音。

 予期していたので躱せはしたが、予想を上回る威力に冷や汗が噴き出す。

 

 ……セレステが警戒を促そうとしたのは、風術を推進力に回したこの直射。

 事前に告げられていたとおり、あいつでも今のを逸らすのは難しいか。


「これは中々しんどいぞ……」


 今の一矢が有効だったことを見て取ったエノーラたちは、胸壁から身を乗り出して鏃を真っ直ぐこちらに向けた。


     ◇

 

 人ならざる存在であるからか、元となった存在が同一であるからか。

 ともかくエノーラたちは完璧な連携で偏差射撃を放ち続け、俺はそれを読みと勘で凌ぎ続ける。


 ゴキブリどもは盾にされることを嫌って近づいてこないが、少しでも隙を見せれば群がってくるのは確実。

 どうやら矢の生成には時間がかかるらしく、間断なく射かけられるようなことはないのだが……体力的にはともかく、精神的な消耗は激しい。


「おい、まだか?!」


 息継ぎの合間、背後のセレステに大声で問いかける。


 とうに怪鳥どもも頭上に飛来しており、俺たち二人に風術による攻撃を加えている。

 しかし、そちらに目を遣るほどの余裕はなく、現在どういった戦況なのかは分からない。

 ……それもまた、精神の磨耗に拍車をかけている要因だ。


「だから、分からないって言っているでしょ!」


 このやり取りも、既に何度も繰り返している。そして、返ってくる答えはまたも同じ。

 あいつとしても初めて使う技であり、自身でもどれだけ風術を集めれば足りるのか分かっていないのだ。

 ……チャーリーが考えたのだから、きっと風を束ねてぶつけるような単純な技ではないのだろう。


「さすがにそろそろ、限界が近いぞ……っ!?」


 軽口を叩く程度の精神的余裕はあったが、体力の残量を読み違えて足元が僅かに揺らぐ。

 再開された射撃への対処が紙一重となり、続く二の矢以降も身体ぎりぎりを掠めて通過する。


 読みでも勘でもない、完全な運による回避。間近に感じた死の気配。

 遅れて込み上げる恐怖に喉を鳴らすと同時に、一つの考えが脳裏を過ぎる。


「……いや、そんなはずはない」


 いつもより背中の守りに心許なさを感じる理由。

 いつもの相棒ではないからだと認識していたが、そうではなかったらしい。

 後衛としては術師であるセレステのほうが適役なのだから、考えてみれば当然の話だ。


「…………」


 動揺を強引に押し込めて、次なる攻撃に備える。


 腕前に対する信頼もほぼ同等。戦い方こそ全く違うが、二人とも俺以上の使い手だ。

 むしろ心配すべきなのは、俺が相手の背中を守れるかどうかだ。


「ねぇ、大丈夫?!」


 セレステの問いかけに、片手を上げて答える。


 違うのは、俺自身の心の有り様。覚悟の固め方。

 俺は……あいつとなら、心中する羽目になっても構わないと、頭の何処かで思っていたのかもしれない。


 もちろん、あいつはそんな事を望んでいないし、俺も嫌だ。

 そして、何より……あいつにそんな事を知られてしまえば、どれだけ調子に乗りやがるか分かったもんじゃない。


「そんなもん、絶対に認めないぞ!」


 乱れた呼吸もそのままに、俺は無意味に虚しく吠えた。

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