第10話 定かならぬ心理
自分でも到底納得がいかない感情は、皮肉にも俺に精神の磨耗を忘れさせた。
半ば自棄糞気味の底力を発揮して飛来する殺意を躱し続けることしばし、先に音を上げたのはセレステのほうだった。
「あぁ、もう限界!撃っちゃうから、早く戻って来て!」
怪鳥どもの猛攻を凌ぎ切れなくなったというよりは、奥義とやらを待機状態にするのに耐え切れなくなった様子。
……例の爆弾並みの危険物が目と鼻の先にあれば、神経を擦り減らすのも当然か。
俺は回避動作を後退に繋げつつ移動して、徐々にホール入口へと近づいていく。
そして、矢が途切れた隙を狙って反転。一気に通路に駆け込もうとして……初めて奥義の全容を視界に収めることになった。
「何だ、それは?!」
ホール入口の上空に立ち込めた霧氷。その中に浮遊するのは、例えるならば海に沈んだ世界の球体地図。
青みがかった巨大な水球の表面では白い薄雲が渦巻いており、煌めく粉雪を辺りに振りまいている。
一体どれだけ禍々しい代物かと思っていたが……ちょっと想像とは違うぞ。
「よく分からないけど、『液体空気』ってやつらしいわ!それより、早く!」
……あいつ自身も理解していないのか。
詳しく聞かなかった俺も問題だが、自身が扱う術を把握していないあいつも大概だ。
ともあれ、俺は足を止めることなく、僅かに開いた風壁の隙間から通路に滑り込んだ。
◇
再び固く蓋をされた通路に尻をつき、同じく一息ついていたセレステに問いかける。
「無事に準備は出来たみたいだが、ちゃんと当てられるのか?」
依然として怪鳥どもは青い球体に風術を放っており、城壁上のエノーラたちも標的をそちらに切り替えている。
あれがどれほどの威力を持つのかは不明だが、巨大樹ち着弾する前に暴発したら洒落にならないのは確かだろう。
「大丈夫、ここからは私が踊る番よ!」
セレステが言葉の途中で扇子を鋭く振り下ろすと、その先端に連動して青い球体も一気に降下。
床すれすれの位置で水平に高速回転し、辺りに煌めきを撒き散らしながら偏平な円盤へと姿を変えていく。
続いて扇子が横薙ぎに振るわれると、唸りを上げる円盤は空を切り裂いて疾走し始めた。
「甘いわ!」
稲妻の軌跡で矢をやり過ごし、斜めに傾いた円盤はゴキブリ城壁の直前で急上昇。
速度を維持したまま、弧を描いて巨大樹に向かい……太い幹の端ぎりぎりを掠めて通過する。
「……おい!」
俺が咎めの声を上げるも、セレステは尚も集中を続けている。
視線を巨大樹に戻せば、青い円盤はその縁を樹皮に擦り付けながらぐるぐると周回。
刻まれた轍は苔色からどす黒い色に変わり、すぐさま真っ白い物に覆い隠されていく。
……てっきり大爆発するのだと思っていたが、どうもそうではないようだ。
「よし、浸透完了よ!」
セレステが達成感を満ちた笑みを浮かべているが、巨大樹は未だ健在。
回転の勢いで根元付近がぐるりと抉られたものの、あの程度の損傷ではまだまだ倒壊には程遠い。
今のを何度も繰り返せば、いつかは伐採できるだろうが……
また俺が踊る番なのかと腰を上げると、扇子の先がそれを押し留める。
「うふふ、本当の見せ場はこれからよ。チャーリー君曰く、それは万物を凍らせ焦がし、冷たく爆ぜて……」
どうやら、結局ここからさらに爆発するらしい。
思惑どおりなのであれば結構なのだが、それならそれで確認しておかなければならないことがある。
「……で、どのくらいの規模で爆発するんだ?」
巨大樹からはかなりの距離があるとはいえ、威力によってはこの通路まで爆風が届きかねない。
しかし、そんな当然の懸念にもセレステは楽しげに笑うのみ。
真面な答えは期待していかなったが……やっぱりそうかよ!
「それじゃあ、いよいよお披露目よ!世界初の大魔術、『天空……」
したり顔で何やらほざき始めたセレステを抱き上げて、俺は安全地帯に向かって走り出した。
◇
重低音の衝撃が腹の底を突き上げたのち、背中を煽る爆風によって足が床から一瞬離れる。
しかし、それは吹き飛ばされるほど強烈なものではなく、身を灼くような熱も帯びていない。
「失礼ね。この後、貴方には頑張ってもらわなくちゃいけないんだから、そんなヘマはしないわよ」
俺の腕の内でケラケラと笑いつつも、セレステは爆風の向きをきちんと制御しているようだ。
それならば今も身体にびしびしと当たっている木っ端やらゴキブリの破片やらもどうにか出来そうなものだが……それはまぁいい。
「……そんなに魔力を使って大丈夫なのか?お前にもまだ軍属の頃の記憶が残っているだろう」
俺にぐったりと身を預けているのは、所謂お姫様を楽しんでいやがるのが大半の理由だろうが……おそらくそれだけではない。
腕に伝わる熱と湿り気は、身の丈を超える大技を行使した代償だろう。
ちょうどいい機会だから派手な技を使ってみたかったという思いも多分にあったのだろうが……俺に体力と切り札を温存させるために、柄にもなく無理をしてくれたわけだ。
「心当たりは刃傷沙汰が数件程度だから、べつにどうってことないわ。それより、やっぱり貴方と冒険するのは楽しいわね。約束……忘れちゃ嫌よ?」
その戯けた様子は普段どおりにも見えなくもないが、実際のところどうなのかは分からない。
問い詰めたところで真実を告げるはずもないので、軽く肩を竦めて同意するのみに留めた。
「そうだな。今度一緒に冒険するときは、もうちょっと気楽な状況だといいんだが……」
そんな事を話しているうちに、互いの身体が再び薄れ始める。
そして、視界が完全に染まる寸前、セレステは首に回した腕に力を込め、俺の顔をぐっと引き寄せて……
◇
次なる記憶の中に佇む俺は、盛大に溜息を吐きつつ呆れ果てていた。
「……あいつ、やっぱり頭おかしいな」
あの状況から頬に口付けるのならともかく、なぜ耳の穴に舌を入れるのか。
おかげで消える寸前のセレステを床に放り投げてしまった。
ともあれ、あいつの存念など考えても詮無きことなので、俺は気持ちを切り替えて今度の戦場の様子を窺った。
「さて、闘技場なのは予想どおりだが……」
頭上を覆うは天井ではなく、最早お馴染みとなった不気味な色合いに染められた空。
押し固められた赤土の地面と、それを正方形に囲う金属の壁。
そして、その中央付近で俺と対峙するのは、辛うじて人型と分かる程度に出来の悪い苔人形だ。
……地下闘技場にいた影人間も元々いい加減な造形だったので、まぁこんなものだろう。
俺は開戦と同時に飛び蹴りを叩き込むべく助走をつけながら、自身のちぐはぐさに思わず苦笑する。
「……頭がおかしいのは、俺も一緒か」
気楽な冒険がいいなどと宣っておきながら、義務でも何でもない死地に飛び込んで、そのうえそれなりに楽しんでしまっている。
かつては役人になって安定した将来を……などと考えていたが、今となってはそんな平々凡々な暮らしのほうが想像ができない。
「まぁ、知ったことじゃないがな!」
俺がどんな思いで冒険者稼業を続けているのかなんて、他の誰かに理解してもらう必要などない。
俺自身が納得し、悔いなく生きればいいだけの話だ。
俺は思いっきり踵を振り回し、拳を構える苔人形の頭部を木っ端微塵に粉砕した。
◇
一騎打ち、野戦、砦攻めと続いた闘争の追憶。此度の戦いは、いわゆる勝ち抜き戦の形式だった。
早くも十八体目の苔人形を仕留めた俺は、あまりにお粗末な出し物にうんざりする。
「……羊男め、今度は手抜き過ぎるだろう」
次々と現れる対戦相手どもは、出現位置も身体の向きも一定。
したがって、俺は背後に立って実体化を待ち、蹴り倒して核を破壊するだけという単純作業を繰り返している。
たしかに時間稼ぎにはなっているが、やつ好みの冒険譚の一幕とは到底言えない。
「一体、何を考えていやがるんだか……」
二十体めからは武装も追加され始めたが、そんなものは一切関係がない。
無防備な背中に蹴りをくれてやって、倒れたところに羽根箒を突き立てれば終いだ。
記憶がそっくりそのまま再現されているわけではないので、羊男が何らかの手を加えてはいるのだろう。
あいつが遺跡の機構を扱い切れていないだけなのか、俺ごときに手間はかけないというだけなのか。
……現状からは何とも判断がつかない。
「……三十七」
この下らない作業は、おそらくキリのいい数字まで続くのだろう。
普通に考えれば、百あたりでレンデルさんの苔人形でも出てくるのだろうが……遥か昔から生きているらしい羊男の感覚など当てには出来ない。
しかしながら、この闘技場には壁以外の物は存在せず、苔人形の相手をする以外にやりようはないのだが。
「……六十五」
あいつの言を信じるならば、やつは遥か昔を生きた冒険者。
数奇な運命によって人間を辞めることになり、文字どおり人間を超越した力を手に入れた結果……さっぱり訳の分からない行動をとっていやがる。
自身の身がそんな境遇に陥れば、俺はどんな暮らしをするだろうか。
……全くもって想像の埒外であるので確かなことは言えないが、少なくともああはならないように思う。
「……っ!八十三」
苔人形の硬度が増し、一撃では仕留められなくなってきた。
次からは『脆化』の呪術も併用することにする。
記憶の再現も含めたやつの一連の行動は、もしかしたら冒険者に与える試練のつもりなのかもしれない。
その根底にあるのは高邁な理念ではなく、もっと享楽的なものだろうが。
「九十一!」
全力の蹴りに耐える個体も現れ始めたし、この卑怯極まりない戦法もそろそろ限界か。
百で終わりにしてもらわないと、さすがにちょっと辛い。
ランダルさんの予想どおりならば、羊男に直接文句をつける機会は、もう間も無く。
正面に立って戦うのはランダルさんに任せて、俺は主に撹乱役を務めることになるだろう。
「九十四!」
適応因子の過剰摂取による『人獣化』と、人型の魔獣。両者が同一のものであるとの確証は未だ得られていない。
前者は『心を折る』ことで元に戻るようだが、後者は……果たしてどうなのか。
べつに羊男の身を慮ってやる必要などないし、俺としてはどちらでも構わない。
それでも、あいつを精神的に揺さぶってやるのは撹乱役として大事な仕事だろう。
「九十六!」
あいつの壊れてしまった精神にどんな言葉をぶつけても無意味かもしれないが、言ってやりたいことは山ほど溜まっている。
俺は仕留めた苔人形を数える傍らに知恵を絞り、やつの心を抉る罵倒の台詞を考えた。
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