第11話 おざなりな約束

 案の定、百人抜きの最後の関門として立ち塞がったのは、粗雑な人型ではなく四つ足の獣。

 俺が背後に立っているので顔までは見えていないが、完全なる人獣に成り果てたレンデルの苔人形だ。


「…………」


 揉み上げと繋がった顎髭は、獅子の鬣と称するのに相応しい威容。

 短い毛に覆われた背中も逞しく隆起しており、四肢も同じく。

 変容は骨格にまで及んでおり、本物のような格闘術ではなく、魔獣のような戦い方をするのが容易に想像できる。


 そして……


「…………」


 何故か無毛の尻ではひょろ長い尾が左右に揺れており、精密に再現された局部が見え隠れしている。

 ……もちろん本物をじっくり見たわけではないが、きっとそっくりなのだろう。


 俺は思いっきり身体を捻り、羽根箒の打撃部を天高く振り上げた。


     ◇


 細部まで作り込まれた苔人形は、これまでの敵とは硬度においても一線を画していた。

 丸出しの弱点に渾身の掬い上げを叩き込んでも戦意が萎えるどころか、むしろ獰猛にいきり立って牙と前肢を振るう。


「ほっ!」


 飛び掛かりからの噛みつきを躱し、肩に足を掛けて跳躍。

 行き掛けの駄賃に顎に蹴りをくれてやって、穂先で背中を浅く切り裂く。


「はぁっ!」


 反対側に着地して振り向きざまに穂先を走らせれば、それが追撃に対する牽制となって苔人形はたたらを踏む。


 ……膂力も素早さも凄まじいが、ただそれだけ。

 身体能力で上回られることなど、魔獣相手ならば当たり前のように経験してきた。


「よっと!」


 そのうえ、この苔人形には怯えもなければ工夫もない。

 動きについていけさえすれば、脅威度は並みの獣以下。同様の対応を繰り返すだけで、背中に刻まれた傷はだんだんと核に近づいていく。


「下らないな……」


 これまでに用意された障害の傾向から、あの羊男は強敵との死闘を経験していないように感じる。

 駆け出し同然の頃に身の丈を超える力を手に入れた結果、威力や物量以外の強さを想像できないのではないだろうか。


 もちろん何の根拠もないが……もし予想どおりならば、そのあたりにつけ込む隙がありそうだ。


「お、やっとかよ!」


 硬質な手応えは核までの道を切り拓いた証。

 俺は反対側に着地すると見せかけて、四つん這いのおっさんの背中に跨る。


 ……結局のところ、戦いの記憶とは既に通過した場所。

 たとえ一度目は運で切り抜けたのだとしても、二度目は実力で突破できるように成長するのが冒険者を続けるのに必須の資質だ。


「たぶん才能ないな、あいつ!」


 体格や魔術的な素養に抜きん出ていなくても、ただその一点においては相応の自負を持っている。


 いつしか豆だらけになった手を傷口に差し込み、俺は勢い良く核を抉り出した。


     ◇


 闘技場に続いて飛ばされたのは、金属板が張り巡らされた球形の小部屋。

 底に金網で塞がれた縦穴があるのみで、他に出入口はない。


「どうするかな……」


 ダナと記憶を共有する『孤島の遺跡』。

 あいつを待つべきか、先に下見を済ませておくべきか……と少し迷ったところで、やつはすぐに現れた。


「痛っ!」


 妙な姿勢からの無様な転倒。

 どうやら、俺の背中に抱きついていた場面から直接ここに飛ばされてきたらしい。

 課された試練が少ないのは何ともずるい話だが、まぁ無事なのなら何より。


「……イネス、おつかれ」


 ここでもう一度顔を合わすのを失念していたのか、ダナは這いつくばったまま自身の甘えっぷりに照れている。

 ……かくいう俺も、自身が抱いている並々ならぬ信頼に気づかされてしまって、少々気まずい。


「その下、何がいる?」


 妙な空気を変えるため、ちょうど金網の覗き込める位置にいるダナに問いかけてみる。

 まぁ、この構造なら想像はついているが……


「ん、真下に三つ首の機械竜がいるね。この高さからなら一撃で仕留められるかもしれないけど……どうする?」


 一撃かどうかは硬度によるだろうが、そんな位置取りならば最大威力の強襲をしかけられるだろう。

 とはいえ……


「……ちょっと休ませてもらおうか」


 しょうもない相手ばかりだったとはいえ、百人抜きでそれなりに疲労は溜まっている。

 俺たちは曲面の床に向かい合って腰を下ろした。


     ◇


 ぽつぽつと交わす会話の内容は、これからの事ではなく何時ぞやの思い出話ばかり。

 共有する記憶の中に放り込まれれば、当然と言える流れだ。


「あのとき、ピッチフォークの先っちょだけ持って飛び降りてさ……我ながら頭おかしかったね」


 俺が雷の咆哮を食らって絶体絶命のところに、先に逃がしたはずのこいつが降ってきやがったんだったな。

 ……当時のこいつは見た目どおりに只のガキンチョで、下手をすれば落下の衝撃だけで死んでいた。


 絶海の孤島に二人取り残さた末の、思い出作りの大冒険。

 運良く生還できたうえにこんな未来に辿り着くとは、あのときには想像だに出来なかった。


「そういや、お前……あのときはまだ色々と偽っていやがったな?」


 年齢や性別はおろか、今なお染み付いている子供っぽい言動も本来のこいつの姿ではない。

 実際のところ、身を守るとともに同情を誘うという腹黒い打算の産物だ。


 何だかんだと世話を焼かされたことを思い出し、俺がじとっとした視線を向けると、ダナも似たような視線で迎え撃つ。


「そんなこと、まだ気にしてるの?それよりさ……セレステと何かあったでしょ? 」


 思いもよらぬ方向からの一撃で、耳に湿った感触が蘇る。

 何も後ろ暗いことをしたわけではないが、俺は大きく狼狽えてしまう。


 互いの表情で攻防の勝敗は明らかとなり、俺はなすすべもなく脛を蹴られ続けた。


     ◇


 そんな下らないじゃれ合いが終わり、どちらからともなく腰を上げる。

 すると、ダナはいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、いつになく真剣な目をした。


「ねぇ、イネス……行けたら行くね?」


 守る気が一切ない、おざなりな約束のような台詞。

 一体何の話かと思い首を傾げるも……しばらく経って意味を理解すると、あまりの無茶苦茶っぷりに腹の底から笑いが込み上げてくる。


「……ははっ、来れたら来いよ!」


 機械竜を片付けたあとに控えているであろう、羊男との一戦。やつと邂逅した記憶を持つ俺とランダルさんにしか挑めないはずの戦場。

 ……こいつは神代から生き続ける遺跡の理をまるで無視して、他人の記憶に乗り込むと言っていやがるのだ。


「もう、何で笑うのさ!」


 頼もしき相棒が膨れっ面を見せても俺の笑いは収まらず、代わりに頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜてやる。

 ……そんな無茶を本気で考えるこいつは間違いなくイカれているが、何処か本気で期待してしまっている俺も十分イカれているのだろう。


「うるさい、早く行け!」


 俺はダナの頭を押さえつけたまま床の金網を蹴飛ばし、階下への道を開けてやる。

 ……やっぱり俺の相棒はこいつしかいないと思ったなんて、口が裂けても言ってやらない。


「一体何なんだよ、もう!」


 ダナはさらに頬を膨らませつつも、その口元はだらしなく緩んでいる。

 ……言わなくても筒抜けなのが、何とも腹立たしい。


 俺は暴れる相棒の脇に手を差し込み、小さな身体を穴の底に思いっきり投げ落とした。


     ◇


 記憶を遡るという性質上、本来は後になるほど敵は弱くなっていくはず。

 しかし、羊男もこの程度の調整は出来るのか、機械竜はこれまでの苔人形を遥かに上回る頑丈さだった。


 三つ首の付け根にダナの破城槌のような一撃を食らっても、巨体が僅かに揺らいだのみで罅一つ入らず。

 結局、二人掛かりで地道な戦いを展開することとなった。


「おら、そんなもんか!」


 俺は三つの鎌首の正面に立ち、五月雨式の噛み付きを躱しながら挑発を繰り返す。

 もちろん言葉など通じはしないが、おちょくっているのは仕草だけで十分伝わっている。


「温い、温い!」


 ダナは機械竜の背中の上を駆け回り、振り回される尻尾をあしらいつつ丁寧に鱗を剥がしている。

 機械竜は視線を向けずとも後背の様子を把握できるようだが、片手間であいつを止めることなど不可能だ。


「……むっ」


 俺に向けて降り注ぐ頭部の一つが僅かに動きを鈍らせ、雷の咆哮を放つ前兆を見せる。

 そして、残る二つは隙を埋めるべく攻勢を強め、俺を懐から逃さぬように激しく床を打ち鳴らす。


 ……もし一人だったならば難儀する状況だったが、慌てる必要など全くない。

 加えて、二人であっても慌てて指示を出す必要もない。


「それっ!」


 俺に前兆が察知できたのならば、当然ダナも察知している。

 不意をついて機械竜の背中から首に跳び移り、咆哮を放つ直前の顎門を思いっきり蹴り上げる。


「おらっ!」


 雷が天井を焼いている間にダナは機械竜の正面に降り立ち、代わって俺は背中の鱗の隙間に羽根箒をねじ込む。

 それなりの時間をともに過ごした俺たちの連携には、言葉はおろか視線すら交わす必要もない。


 ……あいつはランダルさんたちから『伝心』の呪術まで教わっているらしいが、これ以上筒抜けになるのは勘弁してほしい。


     ◇


 鱗を粗方剥がし終え、再び俺が背中に乗る番となったとき、機械竜の巨体の奥にようやく核を視認する。

 鱗以上に硬そうだが、羽根箒の穂先を添えて柄を垂直に立てれば、その延長線上には既にダナが待機している。


 ……たしか本物の機械竜を仕留めたときには、あいつが差し込んだピッチフォークの先端を俺が叩き込んだんだったか。

 どうやら、敢えて逆の役割分担で止めを刺さるように調整していやがったらしい。


「うりゃあ!」


 追い縋る三つ首を振り払い、ダナの踵が髑髏飾りに着弾。

 杭のごとく打ち込まれた羽根箒は核を容易く貫き、機械竜の胴体へと完全に埋没する。


 ゆっくりと崩れゆく背中に着地した相棒に向けて、俺は無言で拳を突き出した。


「……お土産、忘れないでね」


 儀式に応じるために突き出された拳をするりと回避し、背中に腕を回す。


「おう、任せておけ」


 俺は顔を背けたまま、小さな身体をぞんざいに抱き寄せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る