第12話 侵すこと能わず

 半透明の手のひら越しに眺める空は、久方ぶりに目にした正常な彩色。

 周囲の光景も作り物なのだろうが、これまでの記憶とは再現精度が段違いだ。


「よぉ、調子は良さそうだな」


 隣で膝を屈伸させていたランダルさんが、相変わらずの暑苦しい面をこちらに向ける。

 どんな相手と戦ってきたのか衣服はボロボロだが、まだまだ元気いっぱいの様子。


「ええ、万全以上ですよ。それより……案の定、予想どおりの展開になりましたね」


 隙間なく敷き詰められた石畳に破損は見受けられず、立ち並ぶ建物も苔生しているだけで倒壊はしていない。

 地上に広がっていたあの街の遺構が、長い年月を経て崩れ去る前の姿。


 ……つまり、ここは俺たち二人の記憶を再現した場所ではない。


「……やっと来やがったか」


 円形広場の中心に鎮座するのは、煌めく飛沫を高々と噴き上げる荘厳な噴水。

 その縁に腰掛ける小太りの男が、伏せていた顔を上げた。


     ◇


 ランダルさんが初撃に選んだのは、槍ではなく言葉。

 無手のまま一歩前に出て、戦意も敵意も示さずに問いを発する。


「結局、お前は俺たちにどうして欲しいんだよ?訳の分からない場所に放り込まれて、腹が立ってはいるが……今からでも帰れと言うのなら、このまますんなり帰ってやるぜ?」


 俺たちの目的は『水源』の封印あるいは破壊。しかしそれは、元を辿れば争奪戦に巻き込まれるのを避けたいがため。

 現状、なし崩しで敵対する流れになってはいるが、こいつが今後も『水源』を守ってくれるというのなら戦う必要などない。


 しかし……


「いや、よくよく考えてみたら……お前ら、いけ好かねえんだよな。だから、殺す」


 どこか虚ろな目をした小太りの男には、言葉は通じても意思の疎通はままならない。

 野外劇場で楽しげに喚いていたときとは一転、随分と情緒不安定になっているようだ。


「ランダル……いつだったか、お前は偉そうに説教してくれやがったな。若造のくせに、調子乗ってんじゃねぇぞ!」


 立ち上がって唾を撒き散らす男の顔が、羊のそれへと変貌していく。


 ……説教云々というのは、おそらく俺が冒険者になる前の話。

 面倒見の良いランダルさんのことだから、『羊の街』で管を巻いていたこいつに何か助言でもしてやったのだろう。


「……知らなかったとはいえ、そいつは悪かったな。しかし、どうしてアンタはあんな街で呑んだくれていたんだ?もっと前線のほうに行けば、アンタ好みの冒険譚を間近で見られただろう」


 こいつは駆け出し向けの拠点で冒険者として活動し、周囲に一切の不審を抱かせないほどに溶け込んでいた。

 定期的にこの遺跡を訪れてはいたんだろうが、誰にもそれを気づかれていない。

 一見、何が目的なのか理解できない、全くもって謎の行動。


 ただ、俺の推測どおりであれば……


「うるせぇ!そんなもん、俺の勝手だろうが!」


 やはりそこには触れられたくなかったらしく、突如激昂した羊男が手のひらを石畳に向けて翳し、苔の塊から一本のピッチフォークを作り上げた。


 ……こいつがあの街に留まっていたのは、駆け出し冒険者たちの奮闘を見守りたいからなどではない。

 きっと、『自身の実力に気づかない未熟者どもを眺めて、内心でほくそ笑む』という、実に小物じみた下らない理由だったのだ。


「おいおい、そんなに怒るなよ。言いたくなけりゃ聞きやしないさ」


 対話を続けても交戦は避けられないと見て、ランダルさんは意図してそこを突いたようだ。

 ……やつの戦闘能力は未知数だが、精神的には相当に脆い。


 腰の後ろで出された合図を受けて、俺はじりじりと距離を取っていった。


     ◇


 俺が両者の側面に移動したあたりで、羊男の舌鋒が急にこちらへと向けられる。


「おい、イネス!てめぇもムカつくんだよ!」


 ……俺はやつの本名すら記憶しておらず、当然恨まれるほどの関係性にもなかった。

 ともあれ俺は背後を取るのを断念し、小憎たらしい笑顔を浮かべて応じることにした。


「どうしたんですか、先輩。何か気に障ることしましたかね?」


 殊勝な言葉遣いとは裏腹に、態度に滲ませる露骨な見下し。

 ……終始ランダルさんのほうに意識を向けていてほしかったところだが、そうもいかないのなら全力で煽ってやるまで。


「くそが、生意気に一端の冒険者面しやがって……てめぇごときが、どうして折れずにのうのうと冒険者稼業を続けていやがる!」


 こいつが記憶する俺とは、同世代の仲間たちの活躍に劣等感を覚えていた頃の姿。

 あの街の呑んだくれ冒険者たちには、いずれ自分たちの側に堕ちて来ると思われていたのだろう。

 事実、そうなっていてもおかしくなかった。


 ……人外の力を手に入れても尚ぬぐい去れなかった、筋金入りの劣等感。

 こいつの根底にあるのは、一流冒険者への憧れから変じた歪な憎悪だ。


 ならば……この一言で、やつの怒りは臨界点を超えるはず。


「お前とは才能が違うんだよ、三流冒険者崩れ!」


     ◇


 会心の煽り文句への反応は、意味なす言葉ではなく甲高い鳴き声。

 靴を突き破った蹄が石畳を粉砕し、農具を掲げた羊男が宙を舞う。


「落ち着けよ、先輩!」


 神速で繰り出された四つ歯は深々と地面を穿つが、とうに俺は後方へと大きく跳び退っている。

 ……冷静さを奪う小細工は、想定以上に功を奏している。


「てめぇ、絶対殺す!」


 殺害予告に続く猛攻は、まさに目に止まらぬ速さ。颶風のごとき乱撃が、上中下段をくまなく襲う。


 とはいえ、その予備動作は過剰なまでに大きく、視線の動きで狙いは丸分かりだ。

 俺はひたすら後退を繰り返しながら、ぺろりと舌を出してさらに煽る。


「そいつの扱い方、俺が教えてやろうか?」


 実際のところ、そこまで余裕をかませる状況ではなく、反撃を挟める隙もない。

 少しでも反応が遅れれば、呪術で硬めているこの作業着も容易く貫かれるだろう。


 しかし、何の問題もない。

 当初の想定とは逆の役割分担になったが、俺たちの本命は……


「うおぉっ!」


 青空を背景に飛翔するランダルさんは、羊男に手本を見せるがごとく渾身の片手突きを放った。


     ◇


 限界まで捻りを加えられた穂先は、羊男のこめかみへと吸い込まれるように直撃する。

 何とか直前に反応して振り返ろうとしたようだが、すんでの所で間に合っていない。


 しかし……


「なっ?!」


 致命の一撃は巻き毛の束に受け止められ、羊の頭部は傾きもしない。

 槍一本を支えに巨体のおっさんが空中で静止するという、何とも奇妙な状況が出来上がる。


「舐めるな!」


 乱暴に放たれた蹄の回し蹴りが、動揺するランダルさんの腹部を襲う。

 身体に刻まれた経験は自動的に槍の柄を挟み込ませても、広場の反対側近くまで吹き飛ばされるのは防げない。


「…………」


 ランダルさんは石畳に膝をついたまま、指先で『お前に主導権を預ける』の合図を出している。

 そこまでの被害を受けたようには見えなかったが……


「……そういうことか」


 全体重が乗った一撃を頭に食らっても、ごつい身体をあの距離まで蹴り飛ばしても、羊男の体勢は全く崩れなかった。

 ……単純な硬さや膂力だけでは説明がつかない、何とも不可思議な現象。


 たしかに、その手の謎解きは、手札の多い俺のほうが適任だろう。


     ◇


 円形広場を飛び出した俺たちは、無人の街並みを駆け回って広域戦闘を展開する。

 時折交代を挟みつつ、二、三合やり合っては一時撤退。羊男は余裕を見せたいのか、ゆったりとした足取りで追って来るのみだ。


「食らえや!」


 農具が巻き起こす旋風を掻い潜り、羊男の腿あたりを目掛けて一閃。

 穂先は確かに衣服に届いたものの、柄から伝わる手応えは何とも不可解。


 ……硬度で跳ね返すのでもなく、弾力で受け止めるのでもなく、ただ刃の侵入を許さない絶対的な防御。

 ランダルさんは一度ぶち抜くことに成功しているが、その毛ほどの傷口もすぐさま再生されてしまった。


「おりゃあっ!」


 ランダルさんが割って入ってくれた隙に、少し距離を取って魔術と呪術を行使。

 青靄の幻影で目隠しをしつつ、呪血の蒸気を噴射する。


 ……至近距離から顔面に食らったのにもかかわらず、羊男は顔を顰めて腹をさするのみだ。


「お前、それは本当に止めろや!」


 魔術による衝撃は阻まれるが、呪術は条件付きで通る。

 口腔から奥には謎の守りは存在しないようで、血液を飲み込ませれば『脆化』の影響を及ぼすことが出来るのだ。


 ただし、何か呪術を打ち消す術を持っているらしく、即座に解除されてしまって決定打にはなり得ない。


 さて、どうしたものか……


     ◇


 大凡の手札を出し終えたところで、ランダルさんが隣に立つ。

 かなり汗ばんではいるが、まだまだ疲労困憊には程遠いようだ。


「どうだ、何か掴めたか?一応、意識が逸れている箇所は守りは薄いように感じたが……」


 援護に専念していると思いきや、そんな試行錯誤をしていてくれたらしい。


 そして……やつの能力については、すでに何となくの仮説は立った。

 その最後の確認の意味を込めて、ランダルさんに問いかけてみる。


「何度か通ったあの攻撃……やっぱり『気合い』ですか?」


 側から見た印象では、渾身の力と裂帛の気合いを兼ね備えた一撃のみが僅かに通っていた。

 当然そんな攻撃を畳み掛けるのは不可能で、もちろん仕留めるには至っていないが。


「ああ……ってことは、アレも呪術なのか?」


 『意思の刃』なる技術を知る俺たちにとっては、『気合い』というのは単なる精神論ではない。


 俺はランダルさんの問いに首肯し、絶望にも等しい仮説を告げた。


「はい、おそらく。名付けるならば……『不可侵』の呪術」


 概念的にはテレンスの『火渡り』の呪術に近しいが、やつの能力はもっと悪辣。


 攻めにおいては、あらゆる妨害を許さず。守りにおいては、いかなる干渉も許さず。

 ……身勝手な己の意思を傲慢に押し通すのが、やつの能力の正体だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る