第10話 楽しい冒険
しばし相棒に鍛錬の成果を見せたあと、俺は壁に這いつくばって穴の底を目指す。
……まだ長時間は腹筋が保たないのだ。
大穴の中も遺跡の機能は死んでおり、辺りは完全なる闇。猫仮面でもなければ移動もままならないはず。
さすがにここで『義勇軍』のやつらに出くわすことはないだろう。
少々戯れ合いながら下っていくと、俺たちは思いの外早く反対側の壁面に横穴を見つけてしまった。
『孤島の遺跡』とは深さも位置も異なっている。どうやら完全に同一の構造をしているわけではないらしい。
「どっちに行きたい?」
今度は俺から相棒に問いかけてみる。
あの遺跡の大穴は途中から海水に沈んでいたので、穴の底がどうなっているかは気になるところ。
しかし、構造が違うというのなら、横穴の先を確認してみるのもいい。
「お宝がありそうなのは、あっちでしょ」
相棒が選択したのは横穴のほう。お宝探しに来たわけではないのだが。
『孤島の遺跡』では、横穴の先に大倉庫とイモリの飼育場、そして巨大な造船所があった。
果たして、ここには何があるのだろうか。
俺たちは進行方向を水平に変え、横穴に向かった。
◇
円い横穴を進むと、ほどなくして球形の小部屋に辿り着いた。
左右には狭い穴が開いている。たしか、左が倉庫で右がイモリの飼育場だったか。
しかし、正面の壁には造船所に繋がるはずの通路は存在しない。
ここからは以前の経験は役立ちそうにないので、風術で先の様子を探ってみることにする。
一旦荷を下ろし、意識を集中させる。
「……っ!」
風の流れに乗って届く、微かな血の匂い。匂いの元は、左の穴の奥。
「……お宝の匂い、ではなさそうだね」
同じものを感じ取った相棒が、表情を固くする。
どうやら楽しい冒険はここまでのようだ。
◇
身体の小さい相棒を先行させてから、狭い穴に潜り込む。
こいつを前に出すのは若干気が引けるが、不測の事態を考えると止むを得ない。
四つん這いで進むうちに、血の匂いは次第に強くなる。加えて、鼻が曲がるような腐敗臭も混じり始めた。
この先にあるのは死体置き場か、あるいは処刑場か。
目当てとしていた『活性因子』絡みの施設ではなさそうだが、確認しておいたほうがいいだろう。
最大限の警戒をもって進むが、敵襲もなければ通路に異常も見当たらない。
何事もなく通路の終端に辿り着く。
突き当たりの床は金網になっており、仄かな光が漏れている。
再度風術を行使するも、感じられるのは吐き気を催す悪臭だけで、人の気配はない。
「進め」の合図にこくりと頷いた相棒は、金網の隙間にピッケルを突き立てた。
◇
相棒に続いて降り立った先は、いつかと同じく倉庫のような空間だった。
しかし、背の高い棚や衝立で細かく区切られているため、全体は見通せない。
所々に置かれているらしい照明の灯りが、天井に不規則な影を作り出している。
ばらつきのある光量のせいで、猫仮面越しの視界がちらつく。
これなら裸眼のほうがましだろう。
「……防毒面も持って来れば良かったね」
直接鼻孔に飛び込んできた悪臭は、もはや固形物に近く感じるほど。お互い涙目だ。
何のための場所かは知らないが、寝起きしている階層から離しているのも頷ける。
ともかくさっさと調べを終えるべく、動線と思しき場所を奥に進んだ。
◇
雑多な物品で形作られた大小様々な部屋を覗き込みながら歩く。
いずれも床に瓦礫が転がっているのみで、棚の中も空だ。悪臭の元になりそうな物は見当たらない。
しかし、奥に進むにつれて吐き気を催す匂いは確実に強くなっている。
帰りの時間を考慮し、そろそろ引き返そうかと思い出した頃、相棒が徐に袖を引いた。
「……イネス、これ」
指差す先には、掠れた足跡。僅かに残る赤黒い色は、おそらく乾いた血だろう。
足跡が続く先は、他のところよりも少し大きな部屋になっているようだ。
最後にそこだけは見ておくことにして、俺たちは棚の陰に回り込んだ。
◇
「これは……」
棚の陰にあったのは、いくつもの血染めのベッド。大きさからして、おそらく眠るためのものではない。
散乱する錆びた刃物と拘束具、そして半ば乾いた血と肉片。ばら撒かれてから幾分時間が経っていそうだが、何ヶ月も前のものではあるまい。
……『義勇軍』のやつら、拷問でもしていたのか?
「ねぇ、ちょっと!」
不快な光景に眉を顰めたまま振り返ると、棚のほうを調べていた相棒が何やら掲げている。
「何があった?」
無言で手渡されたのは、二つの小さな硝子瓶。
片方の中身は赤い粉末。おそらく『密林の遺跡』で見た茸の胞子を集めたものだ。
もう片方は、どろりとした赤黒い溶液。何かの血液のようだが、色々と不純物が混ざっているように見える。
いずれからも、強烈な『活性因子』の気配を感じる。
テオにこれそのものを飲ませたわけではなさそうだが、何か関係があるのは間違いないだろう。
棚を見れば、まだ同じものが何本も残っている。一、二本盗んだところでばれないだろう。
探索の成果としては、これで十分。そろそろ引き返して、今後の動きについて相談しなければならない。
相棒に帰りを促すべく振り返った俺の背中に、強烈な衝撃が走った。
◇
訳も分からぬまま吹き飛ばされた俺は、思い切り壁に叩きつけられる。
そして、続いて押し寄せて来た棚の残骸に飲み込まれ、完全に埋もれてしまった。
……風術による攻撃だ。これだけ強力な魔術なのに、全く予兆を感じなかった。
瓦礫の山から這い出す前に、身体の状態を確認する。
硝子の破片か何かで背中はずたずただが、骨に異常はなさそうだ。
怪我を治療しつつ、攻撃の出所に意識を向ける。
「あの馬鹿が部外者を連れ込んだと聞いて、念の為に網を張っていたが……一体、何処から入った?」
俺も魔術で警戒していたが、相手には完全に上をいかれてしまった。
それに、旗頭のテオを馬鹿呼ばわり。こいつが黒幕の一味か。
……『義勇軍』のやつらの緩さから、完全に侮っていた。
「死んでいないのは分かっているぞ。そのまま押し潰されたくなければ、出て来い」
怪我の治療は粗方終わっているが、瀕死を装いつつ瓦礫の山から這い出す。
地に伏せたまま横目で見れば、相棒も同様の状態。どでかい背嚢があった分、あちらのほうが傷は浅そうだ。
隙を待つよう、目で伝える。
近づいてくる足音は一人分。周囲に仲間がいる気配はない。
……もはや自分の感覚を信じていいのかわからないが。
ともかく隣に立ったこいつに一撃くれてやろうと、左手に魔力を集める。
「ぐうっ!」
腹を蹴り上げられて、強制的に仰向けにさせられる。
その動作に紛れて左手を振り上げようとするも、魔術を行使するより先に何か鋭利な物を撃ち込まれてしまった。
「雑魚が、気づかれないと思ったか」
奇襲はあえなく失敗。顔面を蹴り飛ばされた俺はごろごろと転がされて、再びうつ伏せとなる。
それを見た相棒が駆け出そうとするも……
「動くな!」
重い威圧感が篭る制止の声に、一歩踏み出した姿勢のまま固まってしまう。
同時に、左手に刺さった物を抜こうとする俺の動きも、凍りついたように止まってしまった。
……何だ、これは?気圧されたとか、そういう話ではない!
混乱と焦燥の只中、髪を掴まれて強引に頭を引き上げられる。
カンテラに照らされた男の顔には、驚愕の表情。
「……まさか、貴様か!」
俺たちを襲った敵。その正体は、『放浪戦士団』元幹部のシリルだった。
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