第12話 姫様を守る
左手のひさしで陽光をさえぎり、変わり果てたモリス君を観察する。
両側頭部には羊の巻き角、上半身は裸。以前よりも二回り大きく見える、逞しい肉体。下半身は赤黒い太目のズボン…ではなく、ぼよんぼよんの羊毛だ。
目ざとく姫様に気づいたのか、すでに劣情が天を衝いている。
姫様は口を押えて地に膝をつく。
これまでの話のなかでモリス君の年恰好については説明していた。おそらく異形の人影の正体を理解したのだろう。
いまさら遺跡に引き返しても、あちらからも追手は来ている。いずれ挟み撃ちになるのは必定。草原を逃げるにしても、半日はかかる距離を姫様と走りきって街に辿りつくのは不可能。
騎士でも何でもない男だが、姫様のために命を懸けるときがきたようだ。
こちらの戦意を感じ取ったのか、モリス君が足元の二本の槍を拾い上げる。右手には自身の愛槍。左手にはランダルさんが遺跡に残してきたはずの業物らしき槍。
どちらからともなく駆け出した。
◇
初手はモリス君の横薙ぎ。
見え見えの軌道なので頭を下げて難なくかわすが、凄まじい風切り音に肝が冷える。石突付近を片手で握ってこの速度か…た体格から予想はしていたが、尋常な腕力ではない。
すぐさま放たれる追撃の槍。逆からの横薙ぎは飛びのいてかわす。
互いが持つ得物の長さは変わらないが、持ち手の差のぶん懐が遠い。これは地道に手足を狙っていくしかないか。
唇を湿らせ、長期戦への覚悟を決めていると、姫様の声。
「私も!」
背後から山なりの軌道で火球が飛来する。上手く振り終わりの隙にあわせて放たれた火球がモリス君の腰のあたりに直撃するが、わずかに毛を焦がしただけだった。威力が足りないのではなく、あの羊毛には魔術の効果が薄いようだ。
モリス君が姫様のほうをに向かおうとするので、慌てて割り込み農具を向ける。
「大丈夫、下がっていてください!」
全然大丈夫ではないが、無理に作った笑顔を肩越しに向ける。彼の攻撃を受け止められそうにない以上、姫様が狙われたら守り切れない。ひととき雇われただけの冒険者が身体を張る必要はないのかもしれないが、さすがにここで投げ出すのは寝覚めが悪い。
どっしりと構えて、根ごと草を巻き上げて迫る槍を迎え撃つ。
◇
「くそっ!」
口に入った草と悪態をまとめて吐き捨てて立ち上がる。
ランダルさんの教えを欠片も感じさせない雑な槍術だが、左右交互に襲い来る槍の回転は高速。ほとんど間合いに入れない。腕に浅い傷はいくつも負わせているが、まるで怯んでいない。
地面を転がり必死になって避ける。
無作為に上、中、下段に振り分けられているのが嫌らしい。直撃こそ許していないが、かすめる穂先と爆ぜる小石で俺の身体は服もろともずたずただ。
姫様の悲壮な声援の受けながら、必死に踏み込む隙を探す。
苦し紛れに顔面に水や土をひっかけてやってもみたが、通用しなかった。
打開策は思い浮かばないが、身体にはまだまだ力が溢れている。使命感か、強敵との戦いによる高揚か。…あるいは、水路で浸った水のせいか。
好転しない状況に嫌な想像までが頭をよぎるが、手にする得物とともに負の念を振り払う。
必死の回避直後に、中段から迫る槍。やむなく受け止める。
木製の柄が軋みを上げ、ブーツが草原に轍を刻む。何とか耐えきったが、思わず片膝をついた。隙が出来たと判断したのか、モリス君は両手の槍を茜色の空に向けて高々と振り上げる。
好機。
草原に長い影を落とす槍に、無防備に身を晒して前進する。
地術で浅く足裏の地面を陥没させ、急制動。鼻先をかすめ、深々と地を穿つ双槍。槍に右足をかけ、身体を前方に投げ出しながら片手で得物を繰り出す。
これまでのような回避は度外視した、捨て身の一撃。
農具の歯の一本が、モリス君の右手の甲を深々と抉る。
取り落される槍。ここで一気に終わらせる事を決断。
心の中で詫びと別れを告げながら、あどけない顔の下の首元に諸手で突きを放つ。
それを受け入れるかのように、モリス君の口が大きく開けるのが見えた直後、視界が白く染まる。
破滅的に迷惑な、羊の咆哮。
◇
数瞬の喪心のあと、自分が吹き飛ばされて仰向けに倒れていることに気づく。
頭痛、耳鳴り。口の中を血反吐の味が満たしている。
余裕か、油断か。モリス君は止めを刺しにも来ず、あどけない顔に不似合いな醜悪な笑みを浮かべているのみ。
泣き顔の姫様が駆け寄ってきて、俺の顔を両手で挟み込む。
姫様にも咆哮の影響が届いたはずだが、障壁のおかげでご無事だったようだ。耳と頬にほんのりとした暖かさを感じていると、頭痛が止んで音が返ってくる。
朦朧とした頭で、姫様の上下逆さまの顔を眺める。
俺は何をやっているのだろうか。
王都で適当に書類仕事をしているはずが、辺境で剣を片手に羊狩り。
頼りになる仲間と順調にやっていたかと思えば、わけのわからない生き物相手に農具を振るって死にかけている、わけのわからない状況。
ままならない何もかもに、自分でもよくわからない感情が腹の底から突き上げてくる。
何もかも知ったことか。好きなようにやってやる。
羊に負けぬ咆哮をあげ、立ち上がる。
「わたくしに出来ることはありませんか?」
無力な自分に心を折られてなお、出来ることを探す姫様。
服のうえから胸元を握りしめている。そこには魔術具の首飾りがあったはず。
…誠に申し訳ないが、俺の自棄に付き合っていただく。
◇
不可視の障壁に打ち込まれた業物の槍が、甲高い音を響かせる。
「ひゃあ!」
またも上がる悲鳴。
俺は気にせず、全力で障壁を張る姫様を盾にして、ちくちくと得物を振るう。
騎士にあるまじき外道の振る舞いだが、もう知ったことか。
作戦を伝え絶句する姫様を小脇に抱えてモリス君の前につき出すと、モリス君は俺のことはすぐさま忘れて姫様に躍りかかろうとした。
当然隙だらけだ。
長い得物に守られていた胴体部に今までにない深手を負わせる。さすがに俺を先に片付けようと槍を振るうが、ぎゅっと目を瞑る姫様の障壁がそれを阻む。
ときおり咆哮も放ってくるが、そのたびに姫様に隠れてやり過ごす。さすがに耳にはびりびりくるが、吹き飛ばされることはない。
出血の影響か、尋常ではなかったモリス君の腕力が少しずつ衰え始めてきた。
雑に振るわれた槍の柄に農具の歯を絡ませる。
あちらは片手、こちらは諸手。勝算ありと見て力比べに持ち込んだ…が、まずい。
モリス君の右手の甲の傷が泡を立てて塞がっていくのに気づく。
喉の奥から漏れたうめき声に、姫様が固く瞑っていた目を開く。
そして、どちらに向けた言葉か、大声で叫んだ。
「いい加減になさいませ!」
障壁に包まれた高貴な向こう脛が、モリス君の下腹部に深々と突き刺さった。
◇
凶相から絶望の表情へと変わるモリス君、さすがに槍を握る力が緩む。
俺はなけなしの力を振り絞り、農具の柄に捻りを加えて押し込んだ。
『螺旋突き』。心の中では大絶叫だ。
互いの手から、絡み合う二本の得物がすっぽ抜ける。
いまさら遠慮も不要だろうと姫様を押しのけて、跪くモリス君に躍りかかった。両側頭部の巻き角を掴み、少年の顔面に膝を叩き込む。
握っていた角がもげ、体勢を崩して転がっていく俺。何とか顔だけを向け、与えたダメージの程度を確認する。
モリス君は、白目でべろりと舌をはみ出させたまま、ぴくりとも動かない。
今更ながら多少の冷静さを取り戻した俺が慌てて姫様のほうを向くと、押された勢いで顔から地面に突っ込んだ姫様が、土汚れを拭いながらじっとりとにらんでくる。
「…貴方に騎士の資格はありませんわ」
命を賭して戦った男に辛辣な言葉がかけられた。
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