第11話 姫様とふたりきり

 怪しげに濃密な魔力を立ち上らせる穴に、覚悟を決めて降りていく。

 ばしゃりと水しぶきが立ってびしょ濡れになるが、無事着地。水路にたちこめる魔力で普段とは比べ物にならないほどに強化された風術で周辺を警戒するが、敵影は一切感じない。


 背負っていたピッチフォークを壁に立てかけ、待ち構えていたところに姫様が必死にロープを伝って降りてきた。

 軽い身体を両腕で受け止め、本物の姫様をお姫様抱っこする。


 姫様が光術の明かりを灯すと、水路の闇が遥か向こうまで消し飛んだ。加減を誤って想定以上の光量になってしまったようだ。

 姫様には背中に回ってもらい、不敬にも代わりに農具を持っていただく。

 

 頭上から、ごりごりと石をすり合わせる音。打ち合せにはなかったが、テオが適当なところから引っぺがした石畳で穴を塞いでくれたのだろう。


「なるべく水に触れないようにしてくださいね」


 俺の服は既にずぶ濡れになっており、当然背中の姫様も無事とは言えないが、気にしないよりはましだろう。


 下流に向けて走り始めた。


     ◇


 ざぶざぶと水をかき分ける音だけが耳に響く。

 流れの勢いはさほどでもなく、動きにくいということもない。幸いなことに、下の水路には鼠や得体のしれない魚などは生息していなかったようだ。

 追手は迫ってきていない。テオが機転を利かせて穴を塞いでくれたおかげで、下の水路には気づかなかったのだろう。

 さすがに俺も疲労がたまってきていたので走るのをやめているが、足は止めない。


 分厚い天井に阻まれて、上の通路の様子は全くわからない。

 あのふたりはまだ走り続けているのか、あるいは戦っているのか。

 まぁ、息の合ったあいつらなら大丈夫だろう。


 心の中で自分に言い聞かせる。


     ◇


「貴方のご家族はどんな方たちですの?」


 邪な目を向ける追手から逃れ、少し落ち着いたらしい姫様がぽつりと言った。


「普通の家族ですよ」


 おっとりとして、いつもにこにこと柔らかく客あしらいをする母。真面目で寡黙だが、料理のことになると途端に饒舌になる父。普段は優しいが怒ると怖い兄に、だんだんと生意気になってきた妹。

 一息つけた状況に気を緩めた俺も、ぽつぽつと語る。


「それで、どうして家を出たがるのかしら?」


 貴方が羨ましいです、と耳元で小さく笑う声。


 …どうしてだろう。あのときは、そうしなければと思ったのだ。


     ◇


 やがて会話が途切れると、背中の感触が気になりだした。姫様も気づいたのか、小さく身じろぎするが逆効果だ。

 軽く頭を振って雑念を払おうとしているとき、少し先から水路の様子が変わっているのが見えた。

 左の壁際に木の足場が組まれている。建物を建てるときに使われるような三段組のやつだ。遥か古代より水路の中に組まれていながら、朽ちている様子は見受けられない。


 俺の背中を足掛かりに、姫様に二段目までよじ登っていただく。三段目まで上がると天井に頭がつっかえてしまうが、二段目でも十分水に濡れずに歩ける。

 続いて足場に上った俺に、何だか少し楽しくなっていきました、と笑う姫様。きっと木登りや探検ごっこなどしたことないのだろう。

 

 きしむ木製の足場を踏みしめて、進む。


     ◇


 足場の上には時おり鼠がいた。羊に食われてしまったのかと思っていたが、どこから入ったのか水路に逃げ込んでいたいたようだ。相変わらず無謀に突撃してくるが、ピッチフォークでひょいひょい水路の中に投げ落としていく。泳ぎは得意ではないようなので、これで十分だ。

 やっと活躍の機会がきた、と姫様が手のひらに火球を生み出したが、木製の足場の上なのでご遠慮いただく。


 鼠の相手の単純作業を黙々と続けていると、やがて水路の果てに辿りついた。

 水路の幅いっぱいに鉄格子がはまり、これ以上進むことはできない。しかし、天井付近にはぽっかりと穴が開いており、鉄製の梯子が取り付けられている。足場の最上段から跳べばぎりぎり手が届きそうだ。

 不安げな表情の姫様を足場に残し、風に乗って跳ぶ。


 梯子を上った先は石室だった。

 それなりの広さはあるが、圧迫感を感じさせる。調度品の類は一切ない。壁の一か所には上り階段がある。ここの階段は螺旋階段だ。

 一旦引き返し、梯子の下端にロープを結んでから、姫様に合図。不安定な姿勢で支えるのに苦労するが、何とか引っ張り上げた。


     ◇

 

 石床に座り込む拍子に聞こえた、びしゃりという水音。

 今さらながら全身ずぶ濡れだったことに気づく。水深は膝ほどまでだったが、流れをかき分けているうちに胸のあたりまでぐっしょりと濡れてしまっている。


「お怪我は、ないのですよね?」


 俺に続いて石室にまで上ってきた姫様が問う。

 生成りの色だった服がうっすらと赤く染まっており、念のために確認してくださったようだ。だが当然、ずぶ濡れの俺に背負われていた姫様の衣装も大惨事だ。

 自分の格好に気づいた姫様が、苦笑する。


 追手の迫る通路、水に浸った水路、不安定な木組みの足場。座って休めるような場所は一切なかったので、ここで少し長めの休憩をとることにした。

 姫様が俺の正面、ではなく隣に腰を下ろす。


「お荷物でごめんなさいね」


 膝に顔をうずめる姫様。


「いつも誰かに守ってもらっていて、わたくしはうずくまっているだけ。一緒に戦うと申しましたのに、わたくしには何もできません」


 結局、魔術で活躍する機会もありませんでしたしね、泣き笑いの表情をこちらに向ける。

 何か声をかけなければ、と思うが、良い台詞が思い浮かばない。


 懐に隠し持っていた干し葡萄を取り出すが、ふやけきっていた。


「…地上まで、もうひと頑張りお願いします」


     ◇

 

 ぐるぐると螺旋階段を上る。

 この先がどうなっているのか不明だ。さらに石造りの通路が続くのか、以前とは別の街の遺構なのか。方角的には遺跡の入口に向かって移動してきたつもりだが、まだ森のど真ん中だという可能性もある。


 螺旋は通路を埋め尽くす土砂で終わりを迎えた。

 思わずへたりこみそうになるが、頬にわずかに感じる隙間風。地術と農具でトンネルを建設する。


 オレンジ色の光が差し込んだ。


     ◇


 大冒険を経て辿りついたのは、あの野営地を臨む丘の上だった。誰か荷物を置き忘れて出発していたのか、黒い塊が草原に長い影を描いている。夕日を真正面から浴びながら、二人並んで丘をくだっていく。


 姫様を野営地に送ったあとは、テオとアリサの元に戻らなければならない。姫様は一人で置きざりにすることになるが、羊程度ならお得意の魔術と障壁の魔術具で何とか凌いでもらえるだろう。


 足元の傾斜がなくなり、野営地は目と鼻の先といったところ。


 「まじかよ」


 姫様の前であるにも関わらず、思わず汚い言葉が飛び出る。

 出くわしたら泣くかも、と思っていたが、実際にはむしろ笑いがこぼれた。


 誰かの忘れ物と思っていた黒い塊が、むくりと立ち上がり人型になる。

 

 逆光の草原に立つのは、二本の巻き角を生やしたモリス君だった。

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