第17話 逃亡

 一緒に逃げると決めたのならば、夜が明ける前に行動しなければならない。

 チャーリーの荷物は書籍数冊と工具一式だけでいいらしいので、部屋に転がっていた袋に詰め込んでガキに背負わせる。俺が担ぐのは、毛布で簀巻きにしたチャーリーだ。こいつも蜥蜴セットを持っているが、独力での壁下りはとてもできないとのこと。

 黒マントに黒覆面の不審者二人組は、帝国の重要人物を拉致して窓から逃げ出した。


     ◇


「これからのことなんだがね、陸路ではなく舟で逃げよう」


 ごきぶりのように壁を這う俺の背中で、弾む声で逃亡計画を語る蓑虫チャーリー。高いところが怖いわけではないらしい。たしかに、荷物はこいつに加えて山盛りの遺物もあるので、そのほうが良さそうだ。


 そろそろ地上が近い。先行したダナが周囲を警戒してくれているが、そろそろ静かにしたほうがいいだろう。状況を楽しんでいるのか、とめどなく話し続けるチャーリーを黙らせて地上に降り立った。


 チャーリーを担いだまま荷物を隠した路地裏に駆け込む。背嚢を背負わなければならないので、ここからは自分で歩いてもらおう。どさりと地面に簀巻きを放り投げたところで背後から鋭い声がかかった。


「何だ、貴様は!」


 振り返れば、夜間巡回をしていたらしい帝国兵士の三人組。普段は怠けているくせに、今日に限ってまともに仕事をしていやがる。

 何とか誤魔化そうと芝居を打とうとしたところで、地面に転がる蓑虫に気づかれてしまった。


「なっ?!チャーリー殿!」


 残念ながらもう無理だ。今はただでさえ怪しい風体をしているのだ。帝国兵士たちは完全に臨戦態勢に入る。曲刀を構えてはいるが、全員大した腕ではなさそうだ。

 …これは、やるしかないのか。


「た、助けてくれ!」


 俺の逡巡を断ち切るように、いきなり背後で声をあげるチャーリー。思わず振り返れば、横たわるチャーリーの目がやってしまえと言っている。自分の意思で逃げたのではない、と帝国軍に誤解させる意図なのはわかるが…下手糞な芝居だ。

 それに続いて、物陰に隠れて未だ発見されていないダナが飛び出してきて妙に甲高い声で宣言した。


「貴様らごとき、この舟守がまとめて冥府に送ってくれるわ!」


 声質を変えたのは正体の発覚を防ぐため、というのは理解できる。できるが…何なんだ、その内容は?

 覆面の下で小憎たらしい笑顔を浮かべているのが容易に想像される。


 俺も付き合わないといけないのか…とも思ったが、いい台詞が浮かばなかったので、無言で背嚢の脇のオールを拾い上げる。それを頭上でぐるぐると旋回させ、逃げ腰の兵士たちに躍りかかった。


     ◇


 普段、携行砲に頼り切っているらしい兵士たちは、案の定大した腕ではなかった。両端の水かきを使った連撃で容易く打ち倒す。

 オールを地に突き立てて一息ついていると、僅かに意識を残していたらしい兵士の一人が顔を上げた。


「じ、地獄の船頭…」


 微妙に呼び名が変わっているが、知ったことではない。後頭部を殴りつけて、今度こそ沈黙させた。


 忍び笑いをチャーリーの拘束を解いて立たせてやる。ダナは離れたところで腹を抱えて蹲っている。全部こいつらのせいなのに、なぜ俺が笑われなければならないのか…

 色々言ってやりたいが、話は後だ。二人の尻を蹴り上げて、港の外れに向けて駆け出した。


     ◇


 朝焼けが照らす、べた凪の海。不機嫌な俺は黙々と舟を漕ぐ。あまり岸から離れるのは怖いので、海岸線に沿って王国の方角に進んでいる。

 すぐに逃走経路を掴まれることはないとは思うが、舟を奪ったことに気づかれればやがて追手がかかるだろう。


「ねぇ、まだ怒ってるの?」


 さすがに悪いと思ったのか、気まずげなダナがこちらの様子を伺っている。べつに怒ってはいないが、もう少し反省させたいので放置だ。


 …しかし、本当に明るくなったものだ。あのいけ好かない先輩と一緒にいたときの陰鬱な雰囲気は、もはや見る影もない。ころころと表情を変えるこいつとの冒険は本当に楽しかった。

 今まで散々辛い思いをしてきたのだ。これからは幸せになってほしいと切に願う。

 舳先が搔きわける海面を眺めながら、柄にもないことを考えた。


「おーい、これは凄いよ!」


 俺の祈りをぶち壊す、チャーリーの呑気な声。こいつは小芝居の一件に謝る素ぶりも見せずに荷物を漁っていた。

 思わず悪態をつこうとするのを、両手をぶんぶんと振り回して遮る。


「これなら面白いことが出来そうだ。どこか上陸できそうなところがあったら舟を停めてくれたまえ」


 丁度そのとき、せり出した崖に隠された岸辺を見つけたので一旦休憩を取ることにした。


     ◇


 程よい大きさの岩があったので、腰を下ろして水分補給する。隣に座ったダナのカップにも水を注いでやる。チャーリーは岸に乗り上げた舟から降りずに何やら作業をしている。

 勿論やつも状況は分かっているはずだ。無駄なことではないと思うが…


「何してるんだろうね?」


 ダナの問いに、俺も首を傾げて返すしかない。


 さすがにそろそろ出発しようと、二人に声をかけようとしたところで、チャーリーが歓声を上げた。


「上手くいったよ!この遺物を選んで持ってくるとは、二人とも本当にいい勘をしているね!」


 何のことやらと顔を見合わせる俺たちに向き直ったチャーリーが、早口でまくし立て始める。


「まず、この球体。これは神代の人形の制御装置で、ここまで完全なものならそれなりの価値はあるんだが…まぁよく見つかるものだ。でも本当に値打ちがあるのはこの金属の枠組みのほうさ。君たちは勘違いしていたようだが、これこそが予備の動力源なんだよ。宝石等の結晶型の動力源は過去にも見つかっているんだが…」


 なるほど、剥ぎ取りの手間を省いたことが却って良かったらしい。鱗とは違って紫色をした変わった金属だったので、装飾品にでも出来るかなとは期待していたが…

 興奮しきったチャーリーは、さらに言葉を続ける。


「そして、何より凄いのは、この黒い箱!これは長年の夢とされてきた『飛行』に類する機構で、私の考えでは飛行というより浮遊に近いものだが、これらを組み合わせることで…」


 …冒険者としては大変ためになる話なんだろうが、そろそろ意味がわからなくなってきた。申し訳ないが、楽しそうなチャーリーの話を遮る。


「…すまん、簡潔に頼む」


 一瞬むっとしたチャーリーだが、すぐに気を取り直して、勿体ぶるような大仰な仕草で両手を掲げた。


「つまり、こういう事だよ!」


 その言葉とともに、遺物でも何でもない古びた木舟が宙に舞い上がった。


     ◇


 海岸沿いの洋上を滑るように進む木舟。浮かぶ高さはせいぜい波よりも少し上まで程度だが、全く揺れないので快適だ。

 推進のほうも黒い箱が受け持ってくれているので、俺はのんびりと水平線を眺めていられる。壊れた機械竜から剥ぎ取った部品で動力がもつのか?と聞いてみたが、この箱は一度起動してしまえばそんなに魔力を食わないらしい。王国領に入るだけなら十分もつだろうとのこと。

 その航行速度もかなりのもので、さすがに飛ぶようにとはいかないものの、並みの船とは比べるべくもない。異様な速さで走るこの舟の足取りを追うことは不可能だろう。


 あり合わせの材料と道具でこんなものまで作り上げるとは、チャーリーの才能は完全に俺の想像を超えていた。

 粗雑に扱ってきたことを内心で謝罪しておく。


「これだけの手土産があれば、よく知らない男の紹介でも姫様に受け入れてもらえそうだよ」


 上機嫌で操船しながら失礼なことを言うチャーリー。その装置をお前にやった覚えはない。


「そのときは君にも礼をしないとね。君の装備は生涯無料で作る、というのでいいかな?」


 素材は持ち込みだけどね、と付け加えられるが、それでも有難い話だ。これほどの技術者に金で何か頼もうと思えば、いくら積めばいいのか見当もつかない。


 …まぁ、姫様の俺に対する信頼は未知数だが、有能なチャーリーならば間違いなく姫様に受け入れてもらえるだろう。ついでに、俺が考えているお願いだって聞いてくれるはずだ。


 隣を見れば、もじゃもじゃ頭が左右に揺れている。舟に揺れはないので、きっとこいつもご機嫌なのだろう。


「王国、どんなところなんだろう…」


 揺れを止めたもじゃもじゃから、不安げな呟きがこぼれた。少し考えてから、なるべく軽い声で返す。


「まぁ、何て言うか…普通だな。そりゃ帝国とは気候風土は違うだろうが、べつに変な文化風俗とかはないぞ」


 当面王国で暮らすことになるのだから、気に入ってくれると嬉しい。実家を飛び出した俺にも、それなりに故郷への愛着はあるのだ。


     ◇


 そんな下らないやりとりをしながら、俺たちはいたって平和な旅を続けた。日が落ちれば岸に上がって朝を待った程度で、寄り道もせず真っ直ぐに王国に近づいていく。


 幾度かの野営を経たのち、王国領の端の漁村にたどり着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る