第6話 思い上がり

「俺もこんな獣臭いところに潜むのはいやだったんだがな、シリルの野郎がお前らの健気な話し合いを全部聞いちまったからな」


 くそ、風術で盗み聞きされたのか。俺もセレステも警戒していたのだが、全く気づかなかった。魔術の範囲も隠密性も想像の埒外だった。これが格上の実力かよ……

 俺の悔しげな顔に気を良くしたのか、いつになく饒舌なハリーの語りが続く。


「俺はさっさと殺せって進言したんだが、キーロンの旦那がわざわざ面倒な注文をつけやがってな……まぁ馬車で夜明かしするのも今日で終いだ」


 さっきの馬車に潜んでいたらしいが、間近を通ったのに全く気づかなかった。やはりこいつも相当な腕だ。

 おまけに、キーロンにも全部ばれていたらしい。色々策を巡らせたが、前提から間違っていたか。


 歯噛みしながらも戦闘の開始に意識を傾ける。全部筒抜けだったなら、セレステのほうも危険だ。


「面倒なことにここでも殺すなと命じられていてな。とっとと観念して飲みに行かせてくれや」


 手にした短弓でぽんぽんと自分の肩を叩くハリー。

 やつまでの距離は二十歩程度で、間に遮蔽物はない。飛び道具持ちを相手にするには不利な状況だが、エノーラ嬢とやり合ったときよりは幾分かましだ。


「……参った」


 目を閉じて両手を上げると、ハリーの足音がだんだんと近づいてくる。

 互いの距離が半分ほどに縮まったと判断したとき、腰の髑髏に全力で魔力を込めた。


     ◇


「てめぇ!」


 その怒声を合図に片目を開けて抜刀。突貫を開始するが、二、三歩踏み出したところでたたらを踏む。

 強烈な酩酊感。さっきのは毒矢かよ。


「うらぁ!」


 体勢を崩しながらも剣を投擲する。至近距離から放った一撃は短弓で打ち払われるが、運良く弦を断ち切った。

 そのまま転がるように距離を詰めて殴り合いの間合いに持ち込む。


「ぐぅ……」


 穴開きの右拳で脇腹を打つ。僅かに身をよじられて衝撃を殺されてしまい、実質痛み分けだ。しかし、接近戦なら何とか勝負になりそうだ。


 震える脚に力を込めて連撃を繰り出す。やはり俺の一方的な攻勢となるが、紙一重のところで急所を捉えられない。


「お前の手の内は知ってるぞ!」


 合間に蓄えていた左手の魔力が、壊れた短弓で散らされる。こいつの前で見せるのは初めてのはずだが、テレンスから聞いていやがったか。


 小刻みに後退しながら巧みに躱すハリーに向かって必死に追い縋る。不利な間合いでも戦えるというのが格上たる所以か。

 動き回るにつれて、毒が俺の全身を蝕み始める。


「しつこいぞ!」


 かくんと膝が抜けた隙を突き、ハリーが逆手で矢を握る。くるりと転身しながら背後に回り込み、腿裏に鏃を突き立てられた。


 痛みよりも毒のお代わりに屈して、厩舎の汚れた床に膝をつく。体勢を立て直す間も無く後頭部に一撃をもらい、俺は意識を手放した。


     ◇


 朦朧とした意識に教会の鐘のような頭痛が響く。あまりの騒々しさに耐えかねて、俺は止む無く瞼を持ち上げた。

 毒の影響が残っているのか身体は重いが、本当に命までは取らなかったらしい。


 痛む頭を押さえながら辺りを見回すと、そこは自室のベッドの上だった。傷には簡単な手当てがなされており、足首は鎖でベッドに繋がれている。


「よぉ、悪かったな。おちょくるような真似をして」


 扉の前の椅子にだらしなく腰掛けたテレンスがひらひらと手を振る。白々しいことを。


「俺としちゃ、お前さんに一つ社会の裏側を見せてやろうと誘った仕事だったんだが、まさか今回の獲物と縁があったとはな」


 下らない言い訳を聞き流しながら、鈍い頭を必死に回転させる。

 どれだけ眠っていたのだろうか。セレステの状況は。ここから挽回するには……


「いい加減諦めろ……所詮お前さんは凡才なんだよ」


 そんなこと、こいつに言われるまでもなく分かっている。

 睨みつける俺に向かって、テレンスは大きな溜息を吐きかけた。


「あのな、どうにもならない事をどうにか出来るのは選ばれた人間だけなんだよ。貴族なんて殺し合いが仕事みたいなもんだし、俺たちが断ったところで他のやつが代わりにやるだけだ」


 容赦ない正論が俺の胸を抉る。こいつの言う通り、俺ごときが政争に関わろうとしたのが間違いだったのか。

 これまで、様々なことが何だかんだと最終的には上手くいっていた。だから今回の一件も俺が何とかしないとと思ったし……何とか出来ると思ってしまった。


「凡才は、世の中にはままならない事があるって弁えなけりゃならねぇ。かく言う俺もそうだ。俺も元々は真っ当に冒険者をやって最前線を目指していたんだがな……」


 語られるのはよくある話。周囲の才能に心折られて自身に見切りをつけた男の半生だ。

 こいつの昔話などに興味はないが……こいつほどの腕でも最前線では通用しないのか。最前線では一体どんな人外どもが活動しているんだか。


「……まぁ、そんな訳だ。お前さんも諦めちまえば色々楽になるぜ」


 歯向ったことに対する憤りは一切感じさせないテレンス。何やら俺に妙な親近感を持っているらしい。


「まぁとりあえず、夜までゆっくり身体を休めておけ。キーロンの旦那にはお前も必ず襲撃に参加させろと言われているが……べつに戦わなくてもいいぞ。適当に隠れておけば、後は俺が何とかしてやるさ」


 どうやら結構な時間眠っていたらしい。今夜出立して襲撃地点に向かうのなら、もはや先回りなど不可能だ。


 部屋を後にするテレンスの背を、歯を食いしばって見送った。


     ◇


「……くそっ!」


 ひとり残された部屋で、ベッドの縁に頭を打ち付ける。俺の稚拙な作戦のせいでセレステにまで迷惑をかけてしまった。

 どんな境遇に晒されているのか心配だが、今の俺にはどうすることもできない。


 所詮、俺は凡才の駆け出し冒険者だ。それなのに、身の丈に合わぬ成果を上げ続けてしまったせいですっかり思い上がっていた。

 今回の件にしてもそう。『放浪戦士団』の異様な資金力に気づいていながら、無警戒に仕事を引き受けてしまった。浮かれた気持ちがあったことは否めない。


 とりあえず傷の治療を始めようとして、ふとその手が止まる。治した後どうするのか。

 テレンスの言葉を信じるならば、大人しくしていれば命は助かる。しかし、次に何かやらかせばさすがに慈悲はないだろう。


 寝返りを打って枕に顔を埋める。瞼に浮かぶあいつの笑顔を直視出来なかった。

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