第3話 ありがちな精神論
往路にして早くも特大の土産話を手にしたわたしたちは、ヒゲさんの激励を受けて旅を再開した。
旅の目的自体は話していないけれど、何か大事な目的があるのは察してくれたようだ。
高級酒を運搬する馬車は、今日も辺境を飛ぶように駆ける。
◇
「はい、お疲れ様」
ペトゥラさんから濡れた手拭いを受け取ったわたしは、手に付いた血を拭きながら溜息をついた。
……ちっとも疲れてなんかいない。
いいところの肉だけを切り取られた特大の地竜には、他に大きな損傷もない。
それは、獲物の状態に気を配る余裕がある証拠。
帝国の支配領域を抜けた辺りから、わたしたちの馬車に追いつく魔獣も現れ始めた。
蜥蜴だったり蛇だったり、種類は今までと変わらないけど、どれもとにかくでっかい。
もちろん、わたしも頑張って戦ったんだけれど……そろそろ限界だ。
元々息がぴったりだったランダルさんたち兄弟の連携に、テレンスが器用に合わせる。
得物もばらばらな三人が素早く位置を入れ替えながら、出くわす魔獣を片っ端から屠って行く。
わたしもその戦いぶりに奮起して、何とか彼らについていったのだけれど……戦っているうちに却って足を引っ張っていることに気づいた。
わたしの気持ちを慮ってか、手を出すなとは言われない。
でも、気づいてしまった以上、今までどおりには出来ない。
せめてもと思い、剥ぎ取りはわたし一人に任せてもらったけれど……
「……はぁ」
力が足りていないことは自覚していたつもりだったけど、こうも早く役立たずになるとは思っていなかった。
あのときは頭に血が上っていて、同行するしかないと即断したけれど……これでは本当に子守されているに過ぎない。
冷静に考えれば、『冒険者の街』での情報収集は彼らに任せて、わたしは大人しく待っていたほうが合理的だったのだ。
少し溢してしまった涙を、血塗れの手拭いでごしごしと擦る。
◇
「……考えていることは分かるけどね」
ひどい有様になったわたしの顔を、ペトゥラさんが新しい手拭いで拭いてくれる。
「ルシアンナちゃんがわざわざ貴女を参加させたのは、どうしてだと思う?」
それは、わたしの憔悴を見兼ねた姫様が気を遣ってくれただけだ。
若手に経験を積ませるなどと言うのは、建前に過ぎない。
そんなのは、もっと余裕のある状況でやることだ。
「ふふっ、顔に出過ぎよ。でも、そうじゃないわ。あの子は、貴女が参加したほうが成功の可能性が上がると踏んだのよ」
……どういうことだろう。
戦力としての期待などはあり得ない。
後方支援に関しても、ペトゥラさんがいるのなら、わたしなど不要だ。
わたしは、何をすればいいのだろう。
「……あの坊やを、一番助けたいと願っているのは貴女でしょう?」
それは、まぁ……認める。
他のみんなも、あいつのことを助けたいと思ってくれているだろうけど、そこだけは負けないと思う。
つまりは、この一団の目的、そして目的に向かう意志を象徴する置物ということか。
自分が積荷と一緒にちょこんと座っている姿を想像して、乾いた笑いが溢れた。
「もう、しょうがないわね。いい?……単なる精神論じゃないわ。ぎりぎりの土壇場で状況を打開するのは、必ず『それ』を持っている人間なのよ。あの子たちも経験則として知っているから、少しも文句は言わないのよ」
指差す先では、笑顔の『あの子たち』が拳を掲げている。
……全部、聞こえてたみたいだ。
「今回の旅でも、貴女の力が必要になる場面がきっと来るはずよ。だから、そのときに備えて、今は出来ることをやりなさい」
そんなときが来るとは思えないし、そんなときが来てもわたしが力になれるとは思えない。
だけど……それは、わたしの願いを投げ出す理由にはならない。
わたしはお腹に手を当てて、そこにある熱を確かめた。
◇
それからのわたしは、一切戦闘に参加しなかった。
ペトゥラさんの隣に座り、おっさん三人の戦いっぷりをじっと観察する。
ランダルさんの武器は強力な突きだけど、それを放つ前に穂先の動きで敵の視線を誘導している。
手甲の爪をびよんと伸ばして戦うレンデルさんは、出鱈目に攻めているように見えて常に守りを意識している。
テレンスは基本的に牽制と援護に徹しているけれど、攻めに転ずるときの判断が絶妙。
……こんなことを学ぶのが正解なのかは分からない。
わたしとは扱う得物も違うし、そもそも見ただけで身につくような技術でもない。
時々、ペトゥラさんの顔を窺ってみるけれど、ずっとにこにこしているだけ。
でも、うじうじ悩むのは、もうお終いだ。
少なくとも、わたしが今のうちに腕を上げておけば、目を覚ましたあいつを馬鹿にするネタにはなるはず。
早くも残り少なくなったお菓子をがりがりと齧り、今日もまた『いつか』に備える。
◇
乾いた大河を過ぎた辺りから、がらっと周囲の様子が変わった。
起伏を越えるごとに入れ変わる、草原と荒野。気温も湿度も目紛しく上下する。
もちろん、遭遇する魔獣も段違いに強力になっている。
巨大化する代わりに、身体の各部位が殺意溢れる形に変異した化け物たち。
元々どんな生き物だったのか、さっぱり想像がつかないほどに異形化しているものもいる。
当然、熟練冒険者と言えども梃子摺るようになってくる。
段々増えてきた被害と、次第に長くなる交戦時間。
そんな状況で、ひとり気を吐くのは……
「一本ごとの視野は、そんなに広くねえ!何とか首の動きを制限してくれ」
四つの鎌首をもたげる大蜥蜴を前に、テレンスが大声で指示を出す。
「無茶を言うな!」
レンデルさんは文句を言いながらも、爪をしならせて側面に向かう。
……予測や何かではなく、明らかに事前知識に基づいた指示。
ほどなくして、斬撃と炎で視界を制限された大蜥蜴は、死角から放たれた螺旋の槍で土手っ腹に風穴を開けられた。
◇
わたしはいつものように、激戦を終えたおっさんたちに飲み物を配る。
少し離れた場所で血を落としているテレンスにカップを持って行ったときに、ずっと気になっていた事を聞いてみた。
「……この辺り、来たことがあるの?」
最前線の事情にまつわる知識、魔獣に関する情報。答えは分かりきっているけれど。
そして、そこまで辿り着くほどの冒険者が、何故あんなちんぴら紛いの徒党を率いていたのか。
「俺にはため口なんだな……まぁ、いいが。嬢ちゃんの想像どおり、俺は『冒険者の街』に到達してすぐに挫折したんだよ」
テレンスが草原の先の遥か彼方、連なる山々の向こう側に屹立する『神に至る塔』に視線を向ける。
「同世代の中では頭抜けた腕前だった俺は、仲間も拠点もころころと変え、若くして『冒険者の街』まで辿り着いた。……だが、そこまでだった」
テレンスが何歳の頃のことだったのかは分からないけど、こいつでも足りないとなると一体どれほどの才能が必要なんだろう。
「べつに腕前や才能が足りなかった訳じゃない。問題は、冒険者になった動機のほうだ。あそこから先を目指すやつらは、本当に頭がおかしい。金や名声を望んでいた俺には、土台無理な話だったんだ」
……なるほど。こいつから聞いた最前線の事情と今の話を総合すると、何となく事情が見えてきた。
たぶん、そこより先を目指すには、底無しの探求心とか強さに対する渇望とか……そんなものが必須なのだ。
それを持っていなかったテレンスには、見返りのない努力を続けるだけの理由がなかったのだろう。
「それで、見切りをつけた俺は緩い狩場に戻ったんだが……最前線近くまで行けるほどの腕を持っていれば、適当な仕事をしていても目立つ。で、周りに集ってきたやつらに流されているうちに腐っていって……っていう、お決まりの展開だな」
そこまで一気に語ったテレンスは、わたしを残して馬車に向かって歩いて行った。
飲み物のお代わりを貰いに行くのだろう。
その背を見ながら、わたしは呟く。
「……その割には、今は随分楽しそう」
『願い』の力。その秘密が、少しだけ分かったような気がした。
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