第2話 現界する地獄
近頃、少し冷たく感じるようになった空気を切り裂いて、荒野を馬車?が駆ける。
……一応、馬が牽いているから、馬車で間違いないとは思う。
チャーリーが用意してくれたのは、何もわたしたちの装備だけではない。
この馬鹿みたいな乗り物も、その一つ。
小舟を三艘、縦につなげたようなこの乗り物。小舟と表現するのは、何処にも車輪が付いていないから。
『帝国砦』から王国に旅するときに乗ったものと同じ、宙飛ぶ舟の改良版なのだ。
「こりゃあ、俺たちの仕事は当分なさそうだな」
テレンスが呆れるのも当然の凄まじい速度。こんなものに追いつける魔獣など、そうそういないだろう。
……最前線はともかくとして。
「やっと慣れてきたわ。気持ちいいわね」
そう言って、流れる景色を眺めながら操船するのは『救いの御手』を掲げて笑うペトゥラさん。
今回の旅に際して、新たに『救いの御手』に追加された特性は「風術に特化した魔力行使の補助」だ。
治療術のみならず、魔術全般の達人である彼女が扱えば、広範囲の索敵と同時に、強烈な追い風を起こし続けることも可能となる。
……聞き耳を立てるときのような手の形になるのは、悪ふざけじゃないと信じたい。
わたしたちの前を走る馬?も気持ち良さそう。
……一応、馬で間違いない。馬鹿みたいにでかいけど。
公国への旅であいつと二人乗りしていたでっかい仔馬は、しばらく見ないうちに倍近くまで成長していた。
成長にともなって性格は温和になったけれど、もはや誰が見ても魔獣そのものだ。
王国内での移動には、本当に苦労させられた。
「嬢ちゃん、方角はずれていないよな?」
手持ち無沙汰なランダルさんが、わたしが持つ地図を覗き込む。
「……はい、大丈夫です」
わたしたちが通っているのは、もちろん『冒険者の街』に向かう最短経路だ。
この期に及んで遠回りするつもりなんて、さらさらない。
何があろうが突き進むのみ……なんだけど、懸念材料が一つ。
最短経路を進む場合、どうしても帝国の支配領域を掠めることになる。
お尋ね者になっているかもしれないわたしが帝国軍と出くわすと、ろくな事にならないはず。
何事もなければいいな……と願いながら、わたしも景色を眺め始めた。
◇
「右から敵襲。魔獣じゃなくて、人間の部隊よ!」
わたしの小さな願いは叶わなかった。
泣き言を言っても仕方がないので、『救いの御手』が指差す方向に目を凝らす。
三十人近い帝国軍部隊。装備はおそらく携行砲。
遠目からでは、わたしたちが地竜か何かに見えたのだろう。既に臨戦態勢だ。
「おぉ……来たな」
呑気な声を上げるランダルさんの先には、放物線を描いて飛来する砲弾の雨。
さすがに間合いの広さはあちらが上だ。先制攻撃を許してしまった。
「ここは俺に任せろ!」
そう言って、舟縁に足をかけたテレンスが抜き放つのは赤味を帯びた刀身の双剣。
チャーリー曰く、『紅蓮の牙』だ。
それはもちろん、あいつの『赤い牙』を素材として作られた二本の剣。
出力の向上に加えて、テレンスに合わせた重心の調整などが施されているらしい。
……相棒の権限でわたしが提供したのだ。後から文句は言わせない。
爆発的な魔力の高まりとともに、炎の刀身が三階建ての屋根ほどの高さまでぐぐっと伸びる。
テレンスの両腕が複雑な図形を描くように振るわれると、切っ先から吹き出した帯状の炎が大きな網となって空に飛んで行った。
……武器の性能だけじゃない。以前戦ったときよりも、明らかに魔術の腕が上がっている。
セレステさんにでも教わったのか、あるいは何か心境の変化でもあって秘密の特訓をしてたのか。
◇
帝国軍が撃ったのは爆裂弾だったらしく、真昼の空が祭りの花火に彩られる。
私がそれに気を取られていると、がちんと金属同士を打ち合わせる音が響いた。
「俺たちのほうも仕事みたいだぜ!」
レンデルさんの指差す方向を見れば、帝国軍は横陣を解いて突撃隊形に移行し始めている。
わたしたちを相手に、曲射では埒が開かないと早々に判断したみたいだ。
「……さて、どうしよう?」
このまま逃げてもいいのに、やる気満々で飛び出して行った兄弟の背を見ながら考える。
ペトゥラさんの護衛には、テレンスを残しておけば十分……というより、護衛自体たぶん不要。
となれば、わたしも二人を追うべきなんだろうけど、あまり顔を見られたくない。
それに、あの二人が向かったのなら、わたしの手助けなんておまけみたいなものだ。
「……よしっ!」
……この旅で、わたしがどれだけ役に立つのか分からないけど、今のうちに力を示しておきたい。
たとえおまけでも頑張ってやろうと決断したときに、それに気づいた。
帝国軍の先頭に立つ指揮官。
魔獣だと思っていた相手から、突然おっさん二人が飛び出してきたことに驚きの表情を浮かべている。
その顔にたくわえられた、見覚えのある形の立派なヒゲに。
◇
死人は出ていないから、わたしの制止は間に合った……ということにしておこう。
「いや、助かったよ。双方に被害が……ほとんど出なくて」
ペトゥラさんによる治療を受けたヒゲさんが苦笑いする。
レンデルさんの飛び蹴りが炸裂した直後に、わたしが割り込んだわけだけど……先に仕掛けてきたのは帝国軍のほう。
あまり下手に出ないほうがいいだろう。
「本当にそうですね。でも、一体どうしたんですか?……帝国軍らしくない、と言うか」
不審者への対処にしても、魔獣狩りにしても、普段の帝国軍ならもっと慎重にやるはずなのだ。
相手を見つけるなり、何もかも木っ端微塵にするような攻撃を仕掛けてくるなんて、ちょっと尋常ではない。
「あぁ、今は『帝国砦』全体がぴりぴりしていてね……そうだ。君にも聞いておこう」
いつも優しかったヒゲさんの顔が、初めてみるほどに険しいものとなる。
「……『地獄教団』という名前に、聞き覚えはあるかね?」
……教団というのはともかく、『地獄』という言葉は、わたしたちには随分と馴染みのあるものだ。
噴き出しになるのを必死に堪えて、首を横に振る。
「そうか、良かったよ。もしかしたら、君たちが関わっているんじゃないかと心配していたんだ」
ヒゲさん曰く、辺境およびその周辺国で暗躍する謎の集団。
幹部と目されるのは、『地獄の船頭』と『不死身の呪術師』の二名。
その他の構成員としては、『血染めの農民』、『暗殺執事』、『冷血なる奴隷商』などの名が挙がっている。
組織の目的は不明だが、『死者蘇生』に強い関心を抱いている。
そこから推察される最終目標は……おそらく、『辺境の地に地獄を再現する』こと。
「最初は私も与太話だと思っていたんだが、どうやらそうではないらしい。目的については推測に過ぎないが、何か大きな組織が動いているのは確実だ」
そんな与太話の途中で限界を迎えたわたしは、思わず顔を伏せる。
……何か、増えてる。
「ともかく、君も辺境で冒険者稼業をしていくのなら、関わり合いにならないよう気をつけなさい。そう言えば……彼はどうしたんだね?」
ヒゲさんの問いかけに、わたしは精一杯の笑顔を向ける。
「あいつは、ちょっと休暇中です」
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