第5話 ガキとふたりきり

 目を開く。

 身体中がみしみしと痛むが、焼け焦げたりはしていない。耳こそいかれてしまったが、何とか生きている。絶対死んだと思ったのだが…

 傍にガキがうつ伏せに浮いていたので、必死に海水をかき分けて近寄る。抱き上げて海面から顔を出してやると、げぼげぼと水を吐き出してむせ始めた。意識は朦朧としているものの無事だ。俺が気を失っていたのは、そう長い時間ではなかったらしい。軋む身体に鞭打って、そのまま砂浜まで運ぶ。


 ガキを砂浜に寝かせてやる。治療してやりたいが、俺が一人で治せるのは体表の切り傷や打撲だけだ。内臓がやられていたらどうしようもない。祈るような気持ちで幼い顔を見守る。

 せめてもと思い、濡れた顔を拭いてやっていると、それを馬鹿にするように突然殴りつけるような大雨が降りだした。空をにらみつけるが、先ほどまでの同じく円い青色が広がっている。飛竜の姿もいつの間にか消えている。

 状況に混乱していると、顔を叩く雨粒のおかげで意識を取り戻したガキが口を開いた。


「しょっぱい」


 死にかけて、最初に口にそれかよ。海に放り込まれたのだから当然だろう。もじゃもじゃ頭を絞ってやろうとしたところで、ふと気づく。

 降り注ぐ雨粒からも潮の味がする。


 降り始めたときと同じように唐突に雨が止んだ。雨が降った理由を何となく察してしまう。当たってほしくない予想、非常に気が重いが確認しないわけにはいかない。

 少ししぼんだもじゃもじゃ頭に声をかける。


「一旦、軍船に戻るぞ」


     ◇


 岩壁に刻まれた亀裂の洞窟を引き返す。小舟も吹き飛ばされて砂浜の茂みにつっこんでいたが、どこも壊れてはいなかったので助かった。ガキが何か問おうとしているが、確認するまで何も話したくないので無言で舟を漕ぐ。


 ほどなくして、俺たちは洞窟の出口に辿りついた。目の前には波が荒れ狂い、いくつも渦を巻いている。来たときとは全く別の光景だ。その荒れた海の向こう側には、軍船を構成していたものと思われる木材がまばらに浮かんでいるのみ。

 飛竜の息吹は、俺たちではなく軍船を狙って放たれたのだった。


 途方に暮れて舟底に座り込む。あれほどに木っ端微塵にされてしまえば、生存者どころか積み荷も一切残っていないだろう。


 かくして、俺たちは竜が棲む島で孤立した。


     ◇


「おい、ガキ!あっちにも生えてるぞ」


 岩壁に垂直に立つガキに砂浜から指示を出す。地術の素質があったのか、俺よりも上手にブーツを扱うのが小憎たらしい。貧相な身体で身軽なガキには岩壁に生えた食用の野草の採集を任せている。俺の担当は魚釣りと真水の供給だ。


「…おい、ダナ。あっち」


 最近はガキと呼んでも無視するので、声に出すときはいちいち名前を使わなければならない。無口で愛想がないガキなのは相変わらずだが、ささやかながら自己主張をし始めた。少しずつ心を開いてきてくれているのだろう。

 …よく知らないやつと二人きりにされて、止むを得なかったのかもしれないが。


 この島に孤立してからもう十日が過ぎた。


 最初に小舟に積まれた荷物はほとんど穀物と燃料だったのが幸いし、岩壁に閉ざされた狭い空間でも何とか生活できている。新鮮な魚と野草がおかずの食生活だ。

 小舟で外洋を越えて自力で帰還するのは当然不可能だし、島の奥に踏み入るのも自殺行為という八方塞がりの状況。今回のような秘密の作戦において救助が差し向けられるとも思えない。

 一応、救助を待つとガキには伝えているが、望み薄なのにはガキも気づいているだろう。


     ◇


 どちらもすでに負傷は癒えたので、やることと言えばその日の食料の確保のみ。それも半日とかからず終わってしまうが、こんな環境では何の娯楽もない。せいぜいお互いの事を語り合うくらいだ。…ガキは未だほとんど喋らないので、話すのは専ら俺だが。


 星空の下、何夜にもわたる俺の冒険譚(笑)を語り終えると、ガキが珍しくまともに言葉を返してきた。


「『血染めの農民』って、自分で名乗ってたわけじゃなかったんだ」

 

 相槌もなかったのでべつに興味はないのかと思っていたが、きちんと聞いていたらしい。こんなガキのくせに冒険者を続けていたのは、やはり憧れがあるからなのだろうか。

 ガキも今日は何か話す気になったのか、内容を整理するかのように何度か口を開け閉めしたのち、ぽつぽつと語り始めた。


「僕のお父さんも冒険者だったんだ…」


 ようやく語られたガキの身の上話は、なかなかに重かった。

 ガキの父親は帝国本国で有名な凄腕冒険者だったらしい。主に遺跡探索で斥候役をつとめていたそうだ。

 そんな男が、あのデブの指揮官に請われて『帝国砦』の攻略に参加する。その後、そのまま『帝国砦』を拠点に活動することになり、妻子を本国から呼び寄せた。

 当時まだ若手だったザック先輩を半ば弟子のような扱いで引き連れて順調に活動していたそうだが、あるとき奥さんが重病にかかる。ガキの父親は一流の冒険者であったので治療に充てる金は十分にあったのだが、高度な治療を受けさせるには権力者の伝手が必要だった。そこで指揮官に相談してみたところ、治療を手配する条件として極秘の任務に参加することを求められたそうだ。

 そして、帰ってこなかった。

 ガキは指揮官に詰め寄ったが、父親の最期について詳細を語るどころか任務の存在自体を否定。同行していたはずのザック先輩も黙して語らない。結局、母親の治療もなされず、そのまま亡くなったそうだ。

 寄る辺をなくしたガキはザック先輩に引き取られる。師匠の忘れ形見の面倒をみている、と周囲に語っていたそうだが、実態は奴隷同然の扱い。

 しかし、ガキはあえてその境遇を受け入れ、父親の死についての手がかりを探していたとのことだった。


「これからどうしよう…」


 語り終えたガキが膝に顔をうずめる。

 ガキの父親が参加させられたという極秘の任務とやらは、おそらくこの島の探索だったのだろう。ザック先輩も参加していたと思われるが、上陸した者に生存者はいなかったとのことなので、おそらく舟番か何かだ。にもかかわらず、あの騎士が島の奥深くにしか出現しないという情報を先輩がもっていたのは、きっと上陸班は舟まで逃げ延びてこれたから。…そして、先輩は上陸班を見捨てて逃げた。


 この任務に参加してからずっとガキの顔色が悪かったのは、遺跡探索への恐怖ではなく、父親の死の真相に近づいてきたからだったのか。しかし、その確証を得る前に、仇と思しき人物は二人ともあっさり死んでしまった。そのうえ気づけば良く知らない男と孤島でふたりっきりである。

 そりゃたしかに「これからどうしよう」だろう。


 砂浜に身を投げ出し、随分とくたびれたもじゃもじゃ頭を横目に見る。

 俺のことは、まぁ仕方がない。流されてとはいえ、自分で決断して始めた冒険者稼業なので、どういう結末になっても自分の責任だ。

 しかし、ガキは幼い頃に見知らぬ異国に放り出されて、父親の死の真相を探るという一念で必死にあがいてきた。もちろんそれだけ父親のことが好きだったんだろうが、他の生き方なんて選びようもなくて唯一の目的にすがりついていたのだろう。

 それが仇討ちも中途半端なままに、誰にも知られずここで干物になるというのは…どうにも面白くない。


 覚悟を決める。

 命を縮める愚かな判断かもしれないが、最期の思い出が魚釣りと野草摘みになるよりは幾分ましだろう。

 起き上がり、砂まみれの手でわしゃわしゃしてやりながら告げる。


「よし、じゃあ冒険してみるか」

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