第4話 竜
そそり立つ岩壁の近くでは、海面から尖った岩がいくつも頭を出していた。慣れない操船に苦労しながらも、くねくねと進路をとって躱していく。波はさほど高くないので、初心者の俺でも何とかなっている。…ただ、これだけ複雑な地形なのに波は穏やかで海流も単純というのは、どうにもおかしい。
先輩は相変わらず舳先に片足をかけて下品な笑い声を上げている。
我ながらオール捌きがさまになってきたと感じ始めたころ、岩壁の亀裂の前に辿りついた。亀裂は岩壁の奥深くまで続いており、一直線の洞窟のようになっている。遥か先には出口と思しき場所が陽光に照らされて白く輝いている。壁面に目を向けると、何らかの手が加えられたように不自然に滑らかな岩肌。
生還者なしの孤島に踏み入る緊張に唾を飲み込むと、先輩が鼻で笑った。
「びびんなよ。この辺はまだ何にもねぇよ」
何でこいつはそんなことを知っている?
先輩も自身の失言に気づいたのか、慌てて正面を向き、おら行け!と怒鳴り始める。露骨な誤魔化しに流されずに問い詰めようと思ったが、口を噤む。聞いたところで、どうせ素直に話さないだろう。
洞窟に入って様子の変わった波に少し戸惑いつつも、額の汗をぬぐって船を漕ぐ。
◇
洞窟を抜けた先もまた変わった地形で、断崖に囲まれた円形闘技場のような空間になっていた。中ほどから奥側は陸地になっており、海面と砂浜とがそれぞれ半円の形で空間を分け合っている。砂浜には見慣れない植物がいくつかの茂みをつくっているだけで、魔獣の気配はない。先輩を信じるならば、ここもまだ安全地帯らしい。
砂浜側の岩壁には、岩肌を削り出して作られた階段が断崖に沿って上まで続いている。階段から少し離れた岩壁の中腹には、まん丸い洞窟が一つ。蜥蜴ブーツがあれば洞窟のところまで登っていけそうだが、あいにくと探索は許されていない。
舟が海底に擦れ始めたので、ガキと一緒に海に入って舟を押す。
砂浜に乗り上げた舟の舳先からひょいと飛び降りた先輩が、服の裾を絞っている俺たちに向かって勝手なことを言い出した。
「よし、お前らは荷物を降ろしておけ!俺はちょっと様子を見てくる」
俺たちの返事も聞かずに岩壁の階段のほうに走り去っていく先輩。あれだけへこへこしていた指揮官の命令を無視して、遺物を見つけてちょろまかす気なのだろうか。
…いくらあの先輩でも、生還者なしと言われている島に無警戒で踏み込んでいくのはおかしい。理由は不明だが何かしらの情報を持っているのは間違いない。…前回の調査というのも随分ときな臭く思えてくる。
とはいえ、うざいやつがいなくなってくれるのは、それはそれでありがたい。本日何度目かのため息をつき、ガキに声をかける。
「…やるか」
◇
小舟から荷物を降ろし終え、ガキとふたり砂浜に寝転がって息をととのえる。普段どでかい背嚢を背負っているおかげで鍛えられているのか、ちびっこいガキも大いに役立ってくれた。ブーツを脱いで波打ち際でぱちゃぱちゃしたいところだが、それはさすがに油断し過ぎだろう。
円い空を眺めながら汗がひくのを待っていると、断崖の上から先輩の声が降ってきた。
「なんだぁ、お前!」
お前?絶海の孤島で?
途轍もなく嫌な予感がするが、放っておくわけにもいかない。跳ね起きて、農具を背負って岩肌の階段を駆け上がる。
◇
戦闘音こそ聞こえていないが、先ほどの叫びに続いて、怒声とも悲鳴ともとれる声が上がっている。切迫した状況なのは間違いない。気配も殺さず全速で走る。
自分以外の足音に気づいて振り返ると、左右に揺れるもじゃもじゃ頭。下で待っていればいいものを、わざわざ追ってきたようだ。追い返したいところだが、もはや階段の終わりは目前。仕方がないのでその場で伏せておくように合図を出し、俺は断崖の上に頭だけを出した。
まず目に入ったのは遥か彼方まで森を貫く石畳の道と、その先にある見上げんばかりに巨大な金属像。伏して翼を畳んでいるが、象っているのは飛竜だ。全体に管のようなものが纏わりつき、地に縛り付けられているような造形。
鈍い光沢を放つ巨像にしばし目を奪われるが、本当に問題なのは像の前で繰りひろげられている光景だ。
膝立ちでうめき声を上げる先輩。両肩から先が、ない。太腿に刻まれた傷からもだくだくと血を流しており、石畳に大きな血だまりをつくっている。
その先輩に相対しているのは、血が滴る巨大な槍を携えた異形の騎士。
巨像と同素材と思われる金属の甲冑に身を包んでいる。その腰部からは爬虫類の尾。くねくねと動かしているところをみると、どうやら飾りなどではないようだ。神代の人形か人型の魔獣か、鎧の中身は間違いなく人間ではないだろう。竜を模した兜に隠れて顔は見えない。
加えて、異形の騎士が跨るのは長い首と尾をゆらゆらと動かす魔獣。見覚えのある凶悪なその姿は、小さいが地竜だ。鋭い歯が並ぶ口元は血まみれになっている。何を食いやがったのかは想像に難くない。
「くそっ!もっと奥にいるんじゃなかったのかよ…」
あえぎに混じる先輩の悪態を聞き咎めるかのように、地竜の首が静止する。その頭部がにわかにぶれたかと思えば、傍らに膝をついていた先輩の頭部が消失した。ごりごりと響く不快な咀嚼音。
竜の兜がこちらを向いた。
あんなもの、どうしようもない。
ガキを小脇に抱えて階段を駆け下りようと振り返ったところで、背後から突風。視認する余裕はないので、駆け寄る勢いそのままにガキに飛びつく。
「ぐうっ!」
背中に強烈な衝撃。ぼきりという不吉な振動が全身を伝う。強制的に海老反りにされた体勢を中空で何とか立て直し、腕だけでガキを抱きかかえる。その過程で身体の向きが変わり、断崖の端に立つ騎士の姿が見えた。がぶりとやるのではなく、体当たりか尾の一撃だったのは助かったが…
遥か下方に広がる砂浜。重力のくびきには逆らえず、落下していく。
◇
ざばりと海面から頭を出し、大いにむせ返る。俺の風術では高所からの落下の衝撃を受け止めるのは困難と判断し、むしろ飛距離を延ばして海面を目指したのが功を奏したようだ。着水の際に手を放してしまったが、ガキも何とか無事だったようで、少し離れたところで同じようにむせている。
背中に手をやるが、ひどい打ち身があるだけで他には何もない。相棒は俺の背骨の代わりに犠牲になってくれたようだ。あばらは何本か逝ってしまっているが、何とか動ける。
思わず安堵しそうになるが、まだ脅威は去っていない。慌てて岩壁を見上げると、竜の騎士が階段の最上段あたりでこちらを見下ろしている。
海のほうに泳いで逃げるか?…あの速度で追ってこられれば、逃げられるはずがない。
しばしにらみ合っていると、ふと竜の騎士はきびすを返して島の奥のほうに向かって去っていく。どうやら見逃されたようだ。
強張らせていた全身の力を抜いて大きく息をつく。ガキに笑顔を向けようとしたところで、海面に影が落ちた。
「動くのかよ、あれ…」
固まった笑顔から乾いた笑いがこぼれる。
円形の空を覆いつくすかのように翼を広げて音もなく宙に浮く飛竜の巨像。きらきらと陽光を反射し、身を縛り付けていた管を垂れさがらせたまま、俺たちを睥睨している。
鈍い銀色の竜はばさりと一つ大きく羽ばたき、顎を大きく開いた。喉の奥から太陽と見まがうような閃光が放たれる。
全身を貫く轟音。吹き飛ばされ、水切り石のように海面を跳ねていく。背中から岩壁に衝突したところで俺の意識は暗転した。
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