第10話 やっぱり死闘
空を切り裂き飛翔するカトラリー。歪な矢玉は魔術の補助がなくても生き物のように軌道を変える。だが…
「まだ続けるのか?」
黄金の手甲に弾かれたテーブルナイフが地面に突き立つ。
走り回りながら、あるいは逃げ回りながらカトラリーセット二組ぶんほど撃ち込むものの、隙を作ることすらできない。
防ぐにしても慌てる演技くらいしてくれよ…
諦め悪く次弾を番えるも、手元からぶつりという手応え。
「ちっ!」
矢玉が尽きるより先に弦が限界を迎えた。まぁ、これだけで決着がつくとは思っていなかった。ここからは棒術で対抗だ。
これまでの展開から一転、地を蹴って一気に距離を詰める。シーツの切れ端をちぎり取って弾性を最大まで高めた棒で打ちかかった。
「…いい加減にしろよ」
おっさんの腕がうねるように棒に絡みつく。打ち払いを想定していた俺はあっさりと得物を奪われてしまった。
おっさんの眼前で無防備に晒す身体に向かって、手痛い反撃は……ない。何とも気まずい雰囲気でおっさんと見つめ合う。
「本気で来いって言っただろうが!」
…本気で知恵を絞ったのだが、おっさんのお気には召さなかったようだ。あくまでも殴り合いをご所望ということか。
こちらの段取りを台無しにするおっさんに遠慮なしの一撃を叩き込む。固めた拳はいなされることもなく分厚い腹筋に直撃するが、おっさんは僅かに口角を上げただけ。
「そうだ、男なら拳で来い!」
芝居掛かった台詞とともに放たれる剛拳。お返しのように腹を狙ったそれは、俺の身体をくの字に折り曲げて吹き飛ばす。
開幕早々反吐を吐かされた俺に向かって、おっさんは一方的な取り決めを語り始めた。
「俺は倒れている間は攻撃しねぇが、お前は好きにやってこい。…倒せるものならな。ついでに目潰しと金的は無しにしておいてやる。…これはお互いにしておくか」
指先をちょいちょいと曲げて挑発する姿は圧倒的強者の振る舞い。実際、強者なんだが……おっさん、このあと負けないといけないのは覚えているのか?
よろよろと立ち上がりながら睨みつけると、嬉しそうに笑う獅子顔。
「さぁ、お前の全てをぶつけてこい。『蛇拳』のレンデル、参る!」
…薄々そうじゃないかと思っていたが、たぶんこの人ランダルさんの弟だ!
◇
横っ面に痛打をもらった俺がたたらを踏む。
「不用意に蹴りを打つな!」
真っ赤な唾を吐きながら睨みつける俺に対し、おっさんは大変ご機嫌な様子。
「攻撃の目的を明確に持て!崩すのか仕留めるのか、はっきりしないと通用しねぇぞ」
一人で盛り上がっているおっさんは終始この調子だ。
一合交わす毎に授けられる貴重な助言。有り難いんだが…このあとの流れはどうするつもりなんだろうか。
「くそっ!」
自分の太腿を殴りつけ、再度構えを取る。
向かい合うおっさんは左利き。俺と同じく半身で片手を前に突き出す構えはさながら鏡合わせのよう。
…しかし、そこから放たれる技は次元違いに高度なものだ。
牽制のための左拳を鋭く飛ばす。しかし、それに呼応するように伸ばされたおっさんの右腕は、蛇のようにうねりながら受け流しと反撃を同時に実現する。
鎌首をもたげて襲いくる蛇の牙は首を傾けて回避。何度も同じ技を食らっているので何とか躱せたが……正に攻防一体の繊細な技術、これが『蛇拳(笑)』たる所以だろう。
引き戻しに合わせて踏み込む俺に向かって、次なる脅威が迫る。ぶっとい脚から放たれる、天を衝くような膝蹴り。
これも読んでいた俺はのげぞってやり過ごすが、膝蹴りから変化した回し蹴りが顎先を掠めてしまった。頭を揺さぶられ、たまらず膝をつく。
おっさん、足技のほうでも二つ名が付きそうだ。ごつい上に巧いとは、全く卑怯きわまりない。
「どうした、進歩がねぇな。もう終いか?」
…終いって、どう幕を引くつもりなんだろうか。だいぶ頭が茹だってしまっているようだが、今更話し合いなど出来るはずもない。
もう自力で流れを作るしかないぞ。
未だ星がちらつく視界で放つ牽制の左拳。先ほどと同じ展開に、おっさんは失望の表情を見せつつも対応を開始する。
再びうねる蛇の胴体。俺はそれから逃れるように腕をしならせた。そのまま逆側から絡み合う二匹の蛇。
散々手本を見せられたのだ。このくらいは出来る。
引き戻しの力を利用して、先ほどよりも深く懐に入り込む。踏み込みの位置はおっさんの軸足の真横。
大砲のような膝が発射されるより早く、踏み込んだ脚でおっさんの軸足の内腿を強く押し込む。両者ともに体勢を崩すが、予見していた俺のほうが対処は早い。
かち上げた肘がおっさんの顎に炸裂。さすがにこれは効いただろう。倒れながら見上げるが……おっさんはその大樹のような首で衝撃を受け止めきっていやがる。
間合いをとってから立ち上がると、おっさんは顎をさすりながら笑う。
「……やれば出来るじゃねぇか」
…何を格好つけてやがる。そのまま寝てればいい流れだろうが!
俺の奮闘にすっかり火がついてしまった様子のおっさん。稽古じみた死闘はまだ続くらしい。
◇
腫れ上がった瞼で片目は塞がり、左前腕の骨にもおそらくひびが入っている。打撲痕などは数えられるはずもない。満身創痍。
諸般の事情により持久力に自信はあったのだが、おっさんのほうも底無しだ。
さすがにもう限界だ。残った目で必死にそれらしい合図を送ると、おっさんは腕を広げて訳が分からないことを言い出した。
「さぁ、そろそろ切り札を出してみろ!俺は逃げも隠れもしねぇぞ。正面から受け切ってやる」
一応、八百長のことは覚えていたらしいが……何だ、その雑な台本は。
おっさんが勝手に芝居を始めてしまった以上、付き合わなければならないが…俺は切り札なんか持ってないぞ?
考えもまとまらぬまま、とりあえず疾走を開始。極端に緩急をつけて旋回する動きはロディ先輩の模倣だ。…隙を作る目的ではなく、ただの時間稼ぎだが。
ぐるぐると徐々に周回軌道を狭めながら走っているうちに、障害物を全く活用していなかったことを思い出した。おっさんの脇に立つ鉄柱に向けて軌道を修正。どこぞのちびのように地を這うような姿勢で加速する。
…とりあえず見た目だけは派手に行くぞ!
鉄柱を蹴って跳躍。蜥蜴ブーツもないので単なる力技だ。以前に比べて脚力は増しているものの、一回り大きくなった身体の重量も増している。やつのように身軽に宙を舞うことはできないが、十分に高さは稼げた。
体軸を傾けながら放つ、渾身の後ろ回し蹴り。
「ぐっ……しまった!」
…それなりの鋭さをもった一撃は、おっさんの咄嗟の防御を引き出してしまう。いい加減にしろと言ってやりたいが、もうその余力もないのでこのまま畳み掛ける!
おっさんの手甲を足掛かりにして空中で体勢を修正。上体を目一杯捻り、腕も限界までしならせる。
二つの『螺旋』を乗せた渾身の掌打が獅子の顎門を撃ち抜いた。
◇
崩れた体勢のままべちゃりと着地する。顔を上げれば、二歩三歩と後ろによろめくおっさんの姿。そのまま尻餅をついてしまった。
…とうとう実力で転倒させてやった。
「いやいや、参った。……何ていう技だ?」
俺が立つのと入れ替わりに大の字になるおっさん。もちろん技に名前なんて付けないぞ。
双方の格子ががちゃりと開き、虎男たちが歩いてくる。俺ももう倒れて寝たいところだが、賭けの払い戻し額の確認が先だ。
「おーい、カードを見せてくれよ」
満面の笑顔で手を出す俺に、刺又の足払い。顔面から地面に突っ込む。
抗議に顔を上げようとするも、後ろ首に刺又の穂先がはめ込まれた。
「何しやがる!」
向かいを見ればおっさんも同じ状況。じたばたと暴れ続けるので、虎男に馬乗りされてしまう。
…八百長がばれたのか?この不穏な雰囲気は、勝ち星や賭け金の没収程度では済みそうにないぞ。
とうとう鬣を引っ張られて海老反りにされられてしまうおっさん。こじ開けられた口に硝子の小瓶がねじ込まれる。口の端から漏れ滴るのは、粘性の高い赤黒い液体。
……治療のため、なんていう緩い考えは持てない。非常に嫌な予感がする。
こちら側の虎男を見上げるが、俺に何かする様子はない。八百長に対する罰、ということではないのか?
「ぐおぁあっ!」
おっさんが白目を剥いて悶え始めると、虎男は俺たちをあっさり解放した。そのまま出口のところまで後退し、こちらに向き直る。虎男を試合場に残したまま再び下される格子。
「…そういう事かよ」
背後から聞こえていたおっさんの野太い声は、いつしか喉をぐるぐると鳴らす音に変わっている。
…振り返りたくないが、そういうわけにもいかない。
四つ足で立ってこちらを睨み据える獅子顔の男。その目には理性も知性も見当たらない。まだ毛皮こそ生えていないが、だらだらと涎を垂れ流すその様は、食欲に支配された猛獣そのもの。
「これは……降参はありなのか?」
首を横に振る虎男の死刑宣告。どうやら筋書きのない死闘をお望みのようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます