第9話 計算尽くの死闘
今日の相手の得物は初めて目にするものだ。手のひらから少しはみ出る程度の大きさの金属塊。俺に向けられた一面には複数の小さい穴が開けられている。
……もしかして、小型だが携行砲の亜種か?蜂の巣のような穴から飛び出してくるのが鉄球にせよ毒煙にせよ、食らうのはまずいだろう。
致命の一撃が放たれるよりも早く、俺は鋭く両手を上げた。
「降参だ!」
勝ち星はどうでもいいが点数は惜しい。しかし、ここで頑張って勝ちをもぎ取ったらところで棺桶送りは確実。今日はまだ倒れるわけにはいかない。
自慢の得物を披露できず、肩を落として去る影人間を見送る。格子が開いて迎えに現れた虎男。俺を担ぎ上げようとするのを躱し、本日も残業を申請した。
「次の相手を頼む」
◇
限界まで連戦を続けた俺はベッドに身を沈める。悲鳴を上げる筋肉は棺桶行きを希望しているが、あれに浸かると必ず翌日まで寝てしまうので却下だ。
種銭稼ぎの一手は簡単に見つかった。とにかく試合数を増やしたのだ。
ある日、戦闘後にまだ余裕があった俺は、虎男に向かって「まだまだいけるぞ」と嘯いた。その結果、本当に連れて来られる対戦相手。何とか泥仕合を制してカードを確認してみれば、勝ち星の増減こそないものの報酬はきちんと支払われていた。
以来、ずたぼろになるまで試合を繰り返す日々をひと月ほど続けている。おかげで、当初は年単位の時間がかかることを覚悟していた種銭も、目標額まであと少しだ。
疲労に瞼が重くなってくるが、明日のために栄養補給と鍛錬をしなければならない。よろよろと身を起こして、廊下の虎男に飯の注文を始めた。
◇
「しばらく顔を見せねぇと思えば……何やってんだ?」
久方ぶりに見るおっさんの暑苦しい顔。そういえば、毎日忙しくしているので最近は会いに行けていなかった。
「これは……『力』です」
俺はしなる金属棒をぶるぶると揺らしながら軽く頭を下げる。
俺が使用している謎の器具は、貴重な点数と引き換えに得た『力』だ。破損の恐れがある武器より役に立つだろうと注文してみれば、届いたのはコレだった。盛大に首を傾げる俺に虎男が実演を見せてくれて、ようやく鍛錬道具だと理解する。中央部を操作することで弾性を自在に変化させる高度な魔術具。……無駄ではなかったと信じたい。
なお、同時に注文した『知性』は謎の鉢金だった。こちらは恐くて試してもいない。
「いや、さっぱり意味が分からねぇが……まぁ、生きてたんならいいさ」
有り難いことに、心配して様子を見に来てくれたらしい。
種銭はもうすぐ用意できるし、俺の計画も現実味を帯びてきだ。そろそろおっさんに話す頃合いだろう。
「まぁ、これは気にしないでください。…それよりちょっと話があるのですが」
虎男たちに水を注文。ついでに高級肉も二つ追加する。
◇
しばらくして注文の品を届けに来た虎男たち。その口に薄桃色の円柱を突っ込んで席を外すように頼んでみると、二匹は仲良く部屋の外に出ていった。
唖然とするおっさん。普段あまり虎男と意思の疎通を図っていないらしい。慣れてくれば、こんな風に可愛げがあるやつらなのだ。
「あんな事までして、一体どんな話をしようって言うんだ?」
おっさんがカップ片手に身を乗り出してくるのを押し留める。廊下には肉を咥えた虎男たちが立っているのでここからは筆談だ。
ノートをめくり、予め説明する内容を記しておいた頁を見せる。消しては書きを繰り返した汚い文字に眉根が寄せられるが、読み進めるうちに獅子顔に納得の表情が浮かぶ。
『どうでしょうか?』
白紙の頁に書き込んで、おっさんにペンを渡す。おっさんは器用にペンを回しながらしばらく考え込むが、やがてさらさらと筆を走らせ始めた。
『断る理由はない。俺がやる事は勝ち星を調整してお前と当たるようにするだけだ。お前の推測が正しければ、失敗すれば俺は第一階級に落とされるのかもしれないが、それはべつに構わない』
たしかに、おっさんの腕前ならすぐに上の階級へ戻れるだろう。
『でもいいのか?この計画だとお前が貯めた点数をほとんど注ぎ込むことになるだろう』
その程度は織り込み済みだ。どのみち、俺が真っ当な手段でここから脱出するのは不可能。どこかで賭けに出なければならないのは間違いない。でなければ、寿命が尽きるか敗死するかのどちらかだ。
……それに、再起できる程度の点数はこっそり残すつもりだ。
『それこそ構いませんよ。俺の大博打、付き合ってくれますか?』
どうだろうか?このおっさん、博打は好きでもイカサマの類は嫌いそうだが…
『いいだろう。ただし条件がある。最後の勝ちはお前に譲ってやるが、それまで本気でやれ』
凶暴な笑みを浮かべる獅子顔。…なるほど、一番好きなのは殴り合いらしい。
どのみち虎男たちを欺くために真剣を装わなければならないのだ。演技が真に迫るだけのこと。せいぜい胸を貸してもらおう。
俺が突き出した手をおっさんのごつい手が覆い隠す。密約はここに成立した。
◇
すっかりくたびれた執事服の上に、毛布を加工したマントを羽織る。それなりの重みはあるが、動きに支障はない。
密約を交わしてから十五日。ようやく迎えた昇格戦の日だ。俺が普通に試合に負けたりもしたので予定が狂ってしまったが、何とか互いの勝ち星を調整し終えた。
目論見外れて影人間が相手の可能性もあるし、賭けの倍率によっては二人ぶんの自由に届かないかもしれない。
まぁそのときは賭けを見送って降参すればいいだけのこと。
最後に両頬をはたいて気合を入れていると、黙って準備を見守っていた虎男と目が合った。
こいつとの付き合いももう随分になる。これからこいつを謀ることになるのか。つぶらな瞳を見ていると心がちくりと痛む。
……いや、俺は何を考えているんだ。そもそもこいつが俺を攫わなければ、こんな苦しい思いをしなくて済んだんじゃないか。
やはりろくに他人と話さない環境というのは精神によろしくないらしい。地上に残してきた縁に思いを馳せて、戦意を高めていく。
「よし!いくぞ」
虎男の胸板に強めの拳を叩き込んで、運命を決める決戦に向かった。
◇
虎男の先導に従って、昨日までとは違う道を歩く。
昇格戦は上の階級の会場で行われる。おっさんの話では、広いだけでなく障害物もあるそうだ。立ち入りが許されていなかった俺は、会場の様子もおっさんの戦い方も知らない。
俺に本気を要求した以上、おっさんも手加減はしないだろう。
長い廊下を経て第二階級の試合場に辿り着く。立ち並ぶ柱に囲まれて待ち構える巨体。遠目にもおっさんと分かる。最初の関門は無事に潜り抜けた。
「おぅ、来たな。…何だ、その格好?」
俺のマントにおっさんは首を傾げるが、これは本気の証だ。
そんなことより大事なのは次の関門。おっさんは放置して背後の虎男に目を向けると、何も言わずとも賭け用の金属板が渡された。
倍率は……三十倍以上。俺が戦績を落とし続けていたせいか、俺とおっさんとの実力差なのか。いずれにせよ、この関門も突破だ。二人ぶんの自由どころかお土産まで買えるぞ。
どうだ?と目で問うおっさんに向けて拳を掲げた。
端数を残して、あとは俺の勝利に全賭け。操作を終えた金属板を虎男に返す。
最後の関門は、勝利が約束された死闘。疑われないように全力でぶつかるだけだ。集中を高めながら、会場を後にする虎男の背を見送った。
◇
二つの格子ががしゃりと音を立てて閉ざされる。
「さぁ、そろそろ始めるか」
開戦前の挨拶のつもりか、拳を前に突き出して獰猛な笑みを浮かべるおっさん。
俺はそれに付き合わず、大きく間合いを離した。大きな柱の横に立ったところで、ばさりとマントを翻す。
「何だ、そりゃ!?」
懐から取り出したるは一張りの弓。夜なべして作り上げた「『力』の弾弓(笑)」だ。
例の鍛錬道具にシーツを捻った弦を張っただけの簡素なものだが、可変の張力により威力は十分。
死闘を演じる必要はあるが、虎男の目から見ても俺たちの間の実力差は歴然のはず。俺が上げる予定の大金星に合理性を持たせるための、この武装だ。……それに、ごついおっさんとの血みどろの殴り合いなど出来ることなら避けたい。
未だ吠えているおっさんに向けて、初弾のフォークを撃ち放った。
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