第8話 知恵あるもの
運が良かったのか悪かったのか、わたしたち全員が休憩が終わっても他の冒険者は現れなかった。
ほぼ万全の体調となったわたしたちが進むのは、休憩中に発見した獣道だ。
ちょうど例の白煙が上がっていた方向に伸びており、随分と進みやすくなっている。
「……やっぱり、『大猿』かしらね」
これが獣道だと判断したのは、冒険者たちが切り拓いたにしては道幅が広く、巨大昆虫の仕業にしては狭過ぎるからだ。
……多種多様な巨大昆虫が棲息する『大樹海』において尚、特に危険とされる『大猿』。
一体、どれほどの強敵なんだろうか?
道を切り拓く必要はないけれど、テレンスに時々火を放ってもらう。
目論見どおり火と煙が虫除けになっているのか、あるいはこの道を作った存在に脅えているのか。
魔獣との遭遇は、休憩前よりも少なくなっている。
軽くなったぶんの負担を警戒に費やし、わたしたちは慎重に進む。
◇
「……おい。最前線の猿ってのは、ここまで丁寧な仕事をするのか?」
ランダルさんが呆れるのも当然のこと。いつしか獣道は整備された林道のように変化していた。
「簡単な石斧や蔦の投石器は使うらしいですけど……」
木の根っこを掘り起こし、土もきちんと踏み固められている。
器用さ自体は足りているのだろうけど、こんな人間同然の仕事までするのだろうか。
「『大猿』にせよ冒険者にせよ、ここまで手間をかけた道を使い捨てにするとは思えねえな。ここからは密集隊形で行くか」
林道を覆う枝まで処理されているので、目指す巨木と白煙も視界に収めている。
何が出て来てもいいように最大限の警戒をしながら、わたしたちはそこに向かった。
◇
道の終わりは、丁寧に手入れがなされた密度の低い林だった。
所々に見られる切り株と若木は、間伐と植林の結果だろう。
散らばっている木片の様子から、ここでは材木作りと薪集めが行われていたことが伺える。
その材木と薪は、どこへ行ったのかというと……
「……何なの、あれ」
一気に開いた視界の先。天を衝くような巨大樹の木陰に建つ、何と表現していいのか分からない謎の建造物。
元は簡素な丸木小屋だったようだけど、縦横に無茶苦茶な増築を繰り返したせいで、全体の大きさは姫様の屋敷を超えている。
……大凡、まともな人間の感性ではない。
「目的地には間違い無いんだろうが……」
にょきにょきと不規則に生えた煙突からは細い白煙が上っており、樹々の高さを越えた辺りでいくつかの束になっている。
冒険者の野営地でもなければ集落でもないという、おっさん連中の予想は当たったわけだ。
ともかく、近づいて調査してみないことには始まらない。
あれを建てたのが何者なのか分からないため、警戒を続けるべきなのか敵意がないことを示すべきなのか判断に迷うけど……
結局、わたしたちは密集隊形のまま、武器も構えて進むことにした。
◇
まばらな木立の間を抜けようとする寸前、ペトゥラさんから鋭い声が飛ぶ。
「後ろよ!」
すぐさま振り向けば、巨大な物体が風を切り裂いて斜め上方から迫って来ている。
「ぐうっ!」
最後尾のレンデルさんが両腕を交差させて受け止めたそれは、長い柄をもつ総金属製の大斧。
左腕の手甲はひしゃげ、前腕の骨も一撃で折られてしまったみたいだ。
いち早く混乱から立ち直ったランダルさんが、膝をつくレンデルさんを庇うように最後尾に回る。
「……おいおい、話が違うじゃねえか」
苦味を含む言葉とともに、螺旋の穂先が襲撃者に向けられる。
ペトゥラさんの警戒をすり抜けて後方の樹の枝に姿を見せたのは、わたしと同じくらいに小柄な猿。
毛皮の腰巻の脇には、鉈を納めた鞘と革袋のようなもの。背には大きな籠まで背負っている。
「……そこまで頭が良いなんて」
聞いていた話よりも小さな体格と、身につけた多彩な道具。
さっきの大斧は冒険者から奪ったものなんだろうけど、鉈の鞘や革袋などはおそらく自作だ。
……しかし、想像以上の知性に驚くわたしが零した呟きは、冷や汗を浮かべるランダルさんに否定される。
「そうじゃねえ。あの猿は……ただの魔獣じゃなくて、たぶん『人型の魔獣』だ」
◇
生きている遺跡で極稀に目撃されるという人型の魔獣。
人間同様の思考能力と桁外れの戦闘能力を有し、未だ討伐された例はないという。
……最前線近くでは、こんなものまで地上に出るの?!
「……おい、いけるか?」
テレンスが治療を受けるレンデルの様子を確認する。
「腕はもう大丈夫だが、こいつは駄目だな」
ひしゃげた手甲はまだ防具としての役割は果たせそうなものの、爪を伸ばす機構は完全に破壊されてしまったようだ。
右腕のほうは無事なようだしまだ戦えるのだろうけど、戦力の低下は避けられない。
「動けるんならいい。このまま急いで後退するぞ!」
まばらに樹が立ち並ぶこの場所は、まさにあの猿の庭。
逃げるにしても戦うにしても、ここに留まるのは不利だ。
殿にランダルさんを残し、謎の建造物が建つ広場に向かって駆け出すわたしたちの背後で、みしみしという音が響いた。
「そっちに行ったぞ!」
ランダルさんの声に慌てて顔を上げれば、枝の反発を利用して飛翔したらしい猿が、革袋に手を突っ込んでいるのが見えた。
「まずい!」
振り向きざまに剣を振るったテレンスが、わたしたちの頭上を覆うように分厚い炎のカーテンを展開する。
しかし、それを貫通して降り注ぐ礫の雨。
「……ぐぅっ!」
背嚢で守り切れずに露出した部分に鈍痛が走る。
外れた礫は地面にめり込んでいるけど……これは、どんぐり?!
響きだけで言えば可愛らしい攻撃だけど、牽制としては十分過ぎる威力。
出足を挫かれたわたしたちの前に、地上に降り立った猿が立ち塞がる。
あそこまで器用に道具を扱うのなら、広場に向かわせないくらいの知恵はあるか……
「……仕方ねえ。ここでやるぞ!」
背を見せられるような相手ではない。
テレンスの指揮の下、この旅が始まってから最大の死闘が幕を開けた。
◇
「うらぁ!」
高く嘶くランダルさんの槍が、また一本の樹を破砕する。
狙いは猿本体ではなく、足場の破壊。
幹を半分以上削られ、ばきばきと倒れゆく巨木から猿が飛び上がる。
身なりは人間に近いけど、やはり猿。手足の異常な握力で体重を保持し、樹上を器用に移動し続ける。
「させるか!」
またも礫を放とうとする猿の動きを、細く伸ばした炎の刃が妨害する。
テレンスの役目は牽制。間合いを活かし、中間位置から剣を振るう。
そして、残るわたしたちは……
「……今は、まだ我慢よ」
肩に置かれたペトゥラさんの手で、逸る気持ちと緊張を押さえつける。
すでに樹が倒されて出来上がった空間で、わたしとペトゥラさんはレンデルさんに守られて待機している。
猿の狙いは、一見弱そうに見えるわたしたち二人だ。先程から動き回っているのも、そのせい。
痺れを切らした猿がランダルさんとテレンスを無視してわたしたちを直接狙おうとしたとき、護衛に付いているレンデルさんも前に出て一気に畳みかけようという作戦だのだ。
……でも、おそらくそれでも不十分。
だから、おっさん連中の仕掛けに続いて、わたしたち二人も追い打ちをかけなければいけないのだ。
不発に終われば陣形は崩壊。立て直す猶予などもらえないだろう。
わたしは熱さと冷たさが同居するお腹に手を当てて、細く長く息を吐いた。
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