第9話 そんなのは許せない

 渾身の突きで足場を破壊し続けるランダルさんと、次々と足場を飛び回る猿。

 両者の根比べに決着がつくより先に、テレンスが崩れてしまった。


「……ちっ、すまん!」


 目測を誤ったのか集中が途切れたのか、炎の刃の長さが僅かに足りない。

 木立の合間、わたしとペトゥラさんに向けての射線が通る。


「問題ない!」


 そこに咄嗟に割って入ったレンデルさんに対して、猿が手に取ったのはどんぐりじゃなくて鉈の柄。


「気をつけて!あれは魔術具よ」


 ペトゥラさんの警告から少し遅れて、強烈な魔力の高まりが周囲を揺るがす。

 知恵が回るにも程がある!


「……くそっ!」


 事前に察知できたとしても、この状況ではレンデルさんに回避は選択できない。

 守りを固めた構えの隙間から、猿の投擲動作を睨みつけるのみ。


 枝を足の指でがっしり掴み、縦にくるりと一回転。その勢いと全身のばねを使って未知の魔術具が放たれる。

 高速で回転する鉈は地面すれすれのところまで降下し、その場で僅かに滞空。

 回転を一段階加速させた後、弾けるように力を解放してわたしたちを襲う。


 レンデルさんは、変則的な軌道もきっちり見切って対応したのだけれど……


「何だ?!」


 手甲で受け止める寸前、鉈が急上昇。そのままぐるりと大きく旋回して、周囲の樹々を次々と粉砕する。

 そして、支えをなくした巨大な枝葉が雪崩となって、わたしたちの頭上から降り注ぐ。

 これが狙いだったの?!


 離れているランダルさんとテレンス。機を外されてつんのめるレンデルさんに、その隙を埋めるべく風術を行使しようとしていたペトゥラさん。

 誰も対処に回れない。


 わたしは攻撃のために準備していた魔力を使って、咄嗟に地術を発動させる。

 乱暴な行使となったため、ねじくれた土の柱が立ち上がった他に、小石混じりの土煙がもうもうと巻き起こって周囲を覆い尽くす。


「……ぐあっ!」


 視界が晴れたとき、倒れ伏すレンデルさんの頭は猿に踏みつけられていた。


     ◇

 

 片足だけで全体重を支えるほどの握力。力を込められれば頭皮が剥がされるくらいでは済まない。

 救援に向かおうとしていたランダルさんとテレンスも、思わず二の足を踏んでしまう。


 視界の端には、地面に転がる『救いの御手』。

 真後ろにいるはずのペトゥラさんの状態は不明。わたしの拙い魔術で守り切れたのかどうか。

 急転する状況に、経験不足のわたしでは次の行動を即断できない。


 刹那の膠着のあと、最初に動きを見せたのは猿。

 踏みつけていたレンデルさんの頭をそのまま足で掴み上げ、テレンスに向かって巨体を放り投げる。


「ぐぁっ!」


 両手に得物を持つテレンスでは上手く受け止められず、まともに直撃を食らってしまった。


「てめぇ!」


 槍を下段に構えて突撃するランダルさんに向けて放たれたのは、一発のどんぐり。

 散弾の如くばら撒いていたときとは違い、強靭な親指で撃ち出された狙撃は、分厚い太腿の筋肉を裏まで貫く。

 さすがのランダルさんも、突撃の最中に食らった痛撃であえなく転倒してしまう。


 その間、わたしはペトゥラさんの元に辿り着いていた。

 やはり先ほどは防御が間に合わなかったようで、頭に打撃を受けて少し意識を飛ばしていたらしい。

 今は自身の治療と変化した状況の把握に努めている。


 おっさん連中を片付け終えた猿がこちらを向く。

 誰も止めを刺されてはいないけど、すぐに戦線に復帰するのは無理。健在なのは、わたしだけだ。


 ……どうする?


     ◇


 わたし程度どうとでも料理できると思っているのか、猿はすぐに仕掛けて来ない。

 毛深くて表情の分からない顔を睨みつけながら、必死に頭を巡らせる。


 準備していた魔力は先ほどの防御に使ってしまったので、大技を放つのは不可能。

 両腰のピッケルのほうは蒸気の準備も万全だけど……果たしてあいつに当てられるだろうか。


 わたしなら目で追えないこともないし、動きの速さにも何とかついていける。

 しかし、わたしとは比べ物にならないほどに変則的で立体的な挙動。

 どう考えても、分の悪い賭けだ。


 ……あいつなら、どうする?


「……よし!」


 先手を取られてはどうにもならないので、行き当たりばったりの作戦を敢行することに決める。


 わたしは、先ほどの猿の動きを真似るように片脚を振り上げる。

 靴底から放たれるは、ブーツの機能と地術で押し固めた土の塊。


 放物線を描く土の塊は、注ぎ込まれたなけなしの魔力が尽きたところで解け、即席の煙幕に変わる。

 申し訳程度の目隠しに身を潜めてわたしが向かうのは、地面に転がる『救いの御手』。

 ……あれには、攻撃のために蓄えられたペトゥラさんの魔力が残っているはず!


 背後から猿が咳き込む音。そして、力強く地を蹴った振動。

 わたしの背中を伝う冷や汗に続いて、それを即座に乾かすような熱風が巻き起こった。

 たぶん、ペトゥラさんの援護だ。


「……届け!」


 頭から滑り込んで、必死に伸ばした指先が『救いの御手』の柄尻にかかる。

 それを強引に掴み上げ、振り返ろうとしたわたしの側頭部に鈍い衝撃。


 不自然な姿勢で倒れ伏すわたしの手から、切り札が離れていく。

 横向きになった視界の真ん中で、ころころと転がるのは……リンゴの芯?!


 どんぐりを使うまでもない相手と看做されたことに絶望を覚えながら、わたしは意識を手放した。


     ◇


「うぅ……」


 頬に当たっているのは、湿った土の不快な感覚。

 状況を思い出し、慌てて身を起こそうとするも……指一本動かせない。


 どれくらい気を失っていたのか分からないけれど、横向きの視界では地に降り立った猿とおっさん連中の死闘が続いている。

 ペトゥラさんが倒れている位置が変わっているところを見ると、どうやら彼女も参戦していたようだ。


 おっさん連中の負傷は激しいものの、猿のほうもいくつか手傷を負わされている。

 あの状況から立て直すなんて、熟練冒険者は本当に凄い。


 ……きっと、今のあの人たちなら、最前線の冒険者たちにも負けてはいないはず。


 野太い怒号をどこか遠くに聞きながら、わたしはそんな事を思った。


 だけど、治療術の使い手であるペトゥラさんを真っ先に落とされた影響は大きくて……


「がぁっ!」


 魔力が尽きても最後まで踏ん張っていたテレンスが、曲芸じみた回し蹴りを顎に受けて昏倒した。


 ……これで、立っているのは猿だけだ。


 しかし、猿はわたしたちに止めを刺して回るでもなく、激戦の最中に下ろしていた背負い籠の中を漁り出す。

 そして、取り出されたのは頑丈そうな蔦。


 食われるのか、嬲られるのか。拘束されたあとにどうされるのかは分からないけど、まぁ碌なことにはならないだろう。

 ……ともかく、わたしたちの冒険はここでお終いのようだ。


 おっさん連中を縛り上げた猿は、ペトゥラさんの元へ向かう。一番手強かったためか、念入りに拘束するようだ。

 その次は、考えるまでもなくわたしの番だろう。


 黙々と作業を続ける猿をぼうっと眺めながら、さほど長くもない人生を振り返る。


     ◇


 この大陸に渡って来たのはまだ幼い頃だったので、帝国本土の思い出は朧げだ。


 はっきりと記憶に残り始めるのは、やっぱり『帝国砦』でお母さんと二人、冒険から帰るお父さんを楽しみに待つ毎日。

 ……頼もしかったお父さんが、あんなに呆気なくいなくなるなんて、思いもよらなかった。


 そして始まる、どん底の日々。


 あの下衆野郎の言いなりになっていたのには、お父さんの最期を知るという目的もあった一方で、自分一人生き残ってしまったことに対する罰のような気持ちもあったと思う。

 いつしか目的が言い訳に変わり、心を殺して惰性で一日一日をやり過ごした。


 そんな生活の中で、あいつに出会った。


 普段はわたしを雑に扱うくせに、妙なところで優しさを見せる中途半端な男。

 普段は言い訳ばかりなのに、大事なところでは妙に意地を張るあいつ。


 共に過ごした時間は短くても、その思い出は濃密。

 『孤島の遺跡』での大冒険、王国への旅。そして、しばしの別れと、再会の約束。

 テレンス相手に共闘できたのは凄く嬉しかったし、色々あった『義勇軍』への潜入も良い思い出だ。


 何故こんな気持ちになったのかは、自分でも全く理解できない。

 始まりは恩義だったのは確かだけれど……いつしか、どうしようもなく惹かれてしまっていた。


 だから、この命懸けの旅に挑んだことに後悔はない。

 お父さんの言いつけを破って冒険者になった時点で、こんな結末も覚悟はしている。


 わたしは精一杯、思うがままに生きた。


     ◇


 僅かに力が戻った指先で、ざりざりと土を握りしめる。


「……くそっ!」


 後悔はなくても、悔しさはある。


 あいつは、あのまま死んでしまうのだろうか。

 何かの奇跡が起きて、目覚めたりしないだろうか。


 ……あいつが目覚めたとき、わたしの最期は誰かが伝えてくれるだろうか。


「……くっそぉっ!」


 お腹の底で燻る思いを炎上させ、その熱を軋む身体に行き渡らせる。

 爪痕の残る地面に拳を突き立てて、わたしは再び立ち上がる。


 ……わたしの敗因がリンゴの芯だなんて、あいつに笑わせてたまるか!

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