第10話 流星に託す願い

 猿がペトゥラさんを縛り終えたとき、わたしは『救いの御手』に縋って立っていた。

 視界は揺れたままだし、倒れたときに肩と足首を痛めている。

 勝ち目など考えていない、自分の最期を彩るためだけの、しょうもない意地でわたしは立っている。


「……ふふっ」


 面倒臭そうに唾を吐き捨てる猿の仕草は、まさに人間そのもの。

 自分の愚かさも相まって、そんなものにも笑いが溢れてしまう。


 ……さて、どうしてやろうか。


 切り札たる『救いの御手』は手の内にあるけれど、わたしにはペトゥラさんのような精密な魔術は使えないし、ランダルさんのように長柄の得物を扱う技量もない。


 わたしに出来ることは何だろうと考えながら何となく顔を上に向けると、そこに一筋の木漏れ日が射した。


 ……これが人生最期の一撃なら、それがいい。


「えいっ!」


 半笑いのままの掛け声とともに、『救いの御手』の柄尻を地面に突き立てる。

 それを伝って土中に浸透した魔力は、わたしの足場を天高く打ち上げた。


     ◇


 少し加減を誤ったせいで、気づけばわたしは樹高を遥かに超える高さまで吹き飛ばされていた。

 浮遊感を味わいながら周囲を見渡せば、身体の回転に伴って色々なものが瞳に飛び込んでくる。


 抜けるような空の青さと、『大樹海』の深い緑。その向こうには荒野と『燃える河』も見える。

 王都はどっちの方角だっただろうか?


 紫の靄に包まれた不気味な場所の彼方には白い山々が連なっており、その合間からは『神に至る塔』がどこまでも高く伸びている。

 あそこには、一体何があるんだろう?


 その全ての冒険者の憧れに向けて、わたしは手を翳してみる。


 ……わたしは、たしかに冒険者だった。


 感傷に浸りたくなる気持ちをぐっと堪えて体勢を立て直し、反転させた『救いの御手』を地上に向ける。

 わたしの見せ場は、まだこれからだ。


「……お願い」


 偽りの神器に願うのは、ただただ堅固であること。

 この期に及んで小細工を打つ気なんてさらさらない。


 願いは直ちに聞き届けられ、慈愛(笑)を表すらしい手のひらが凶悪な巨拳を形作る。

 その間、わたしは背嚢から圧力容器を取り外しており、それを完成した拳にベルトでぐるぐると固定した。


 全ての仕込みを終えたわたしは、全身で柄にしがみつく。


 それと同時に上昇の勢いは消失し、一瞬の静止のあとに落下が始まった。


     ◇


 肌を引き裂くような風圧に、思わず頬が引き攣る。

 覚悟はしていても、怖いものは怖い。


 震えそうになる足元に視線を向ければ、猿が両手を広げて待ち構えているのが小さく見えた。

 ……わたしの意地に付き合ってくれるつもりなのか、わざわざ落下地点に移動して来てくれたらしい。


 べつに直撃させるつもりはなかったけど、それはそれで好都合。

 遠慮なく、わたしの全てをぶつけさせてもらう!


 そんな決意を固めると、今尚しぶとく背負っている背嚢が煩わしく感じられた。

 肩紐から腕を抜こうとしたところで、突然の閃き。


 ……背嚢の機構、いつもは軽くするのに使っていたけれど。


 これで最期なのだ。思いついたのなら、試さない理由なんてどこにもない。

 何のご利益もなさそうなボロボロの背嚢にも、おざなりに一撃の重さを祈る。


 すると、途端にずしりと食い込む肩紐。

 あまりの都合の良さに、思わず声を上げて笑ってしまう。


 ……力が足りなかろうが、才能がなかろうが。

 命を懸けて願えば、誰だって何だって出来るのだ。


 間近に迫る猿の姿に、何故かあいつの呑気な寝顔が重なる。


「……あははは、死ねぇっ!」


 高笑いを上げながら『救いの御手』に残る魔力を爆発させる。

 直後、わたしの全てを握り締めた拳が辺境の大地に炸裂した。


     ◇


 そこから、周囲の景色と時間はゆっくりと流れていく。


 天空からの重撃は、頭上に掲げられた猿の両手に受け止められた。

 腕から胴体、脚を伝った衝撃が大地を深く窪ませるも、猿は呻きを上げるのみ。


 歪んだその表情が笑ったように見えて、何だか無性に腹が立ち……何か叫んだような気がする。

 くたばれ!か、潰れろ!か、そんな感じの言葉を。


 それが引き金になったのか、わたしの身体にかかる重圧が一気に増し、猿の肘がみしりと音を立てた。


 同時に、圧力容器が爆発。衝突の反動を押さえ込む力が限界を迎え、わたしは薙ぎ倒された樹々と一緒に再び空に打ち上げられる。


 ぐるぐると回る視界に移ったのは、巨大なクレーターの真ん中にお腹を縫い止められて藻掻く猿の姿。

 わたしが手を離しても、『救いの御手』は最後まで願いを届けてくれたのだ。


 止めは刺せなかったけれど、あの様子ならみんなが拘束を脱する時間くらいは稼げたかもしれない。

 ……期待以上の大成果だ。


 全てを出し切ったわたしに、受け身を取る余力など残っていない。

 今度こそ本当の終わりだろうけど、何とか冒険譚の結末を上書きしてやれた。


 わたしは満足感に包まれて、瞼の裏にもう一度最初から思い出を映し始めた。


 ……はずなんだけど。


     ◇


「……ありゃ?」


 いつになっても終わりが訪れない不思議に目を開けると、わたしは木の枝に引っかかった背嚢で逆さまにぶら下げられていた。

 あちこちずたぼろにはなっているけれど、上手く小枝だの葉っぱだのに受け止められ、地面の染みにならずに済んだようだ。

 ……いや、それにしたって反動でばらばらになりそうなものだけど。

 

 それはともかく、ぶらぶらと揺られたまま地上の様子を窺えば、いつしか状況は大きく変化している。

 どうも気づかないうちに、軽く意識も失っていたらしい。


 おっさん連中とペトゥラさんは拘束を脱しており、代わりに猿がクレーターの底で縛られている。

 猿に止めを刺そうとするランダルさんと、それを必死に押さえるテレンス。

 耳がおかしくなっているので会話の内容までははっきり聞こえないけど……状況は何となく分かった。


 さっきの一撃が猿を捉えるところまでは、みんなからも見えていたらしい。

 で、直後に『救いの御手』が爆散させた大地と一緒に、わたしも木っ端微塵になってしまったと思われているようだ。


 さっさと仇討ちをしてくれない理由は分からないけれど、ともかくこの姿勢のままでいるのは辛い。


 わたしは大きく両手を振りながら、声を張り上げた。


     ◇


 一度の優しい抱擁と三度の暑苦しい締め技を食らい終えて、わたしは状況を確認する。


「……どうして、止めを刺さないの?」


 鋼索並みに頑丈そうな蔦でぐるぐる巻きにされているから大丈夫だとは思うけど、べつに生かしておくべき理由もないはず。


 わたしの疑問に手を挙げるのは、やはりテレンスだった。


「あぁ、止めたのは俺だ。この猿が手掛かりになるかもしれないからな」


 想像以上に知恵は回るみたいだったけど、まさか質問でもしてみるつもりなのだろうか?


「……『人型の魔獣』と『人獣化』、そして『活性因子』。何か繋がりがありそうな気はしないか?」


 そこまで言われて意図を察する。


 『活性因子』の過剰摂取により心身が変容するらしい『人獣化』。

 ただ眠り続けているあいつの症状とは異なるけれど、過剰摂取による異常という点は一致している。


 そして、『人獣化』と『人型の魔獣』の関連。

 討伐例がないため確かな事は分からないけれど、後者は前者の症状が進行したものではないかという仮説は、チャーリーも口にしていた。


 つまり、こいつの身体を調べることは、あいつを目覚めさせる手掛かりになり得るということだ。


「でも、生かしたまま持って帰るわけにはいかないし……結局のところ、解体するしかないのかな?」


 厳重に拘束しているとはいえ、こんなやつを辺境の外に連れ出すわけにはいかない。

 ペトゥラさんに凍らせてもらうか、ぎりぎりまで生かしておいて鮮度を保つか……


 わたしたちがそんな相談を始めると、誰のものでもない嗄れた声が突然響き渡る。


「お前ら、何て物騒な話をしておるんじゃ!ただの空き巣じゃないのか?!」


 発生源など一つしか考えられない。


 慌てて全員で武器を向ければ、そこにいるのはもちろん猿。

 ……なんだけど、顔面の毛だけが抜け落ちて、皺だらけの人面が露出している。


「おい、そこの娘っ子!せっかく儂が受け止めてやろうとしたのに、呪術まで使うなんて一体何を考えておる!」


 何から何まで訳の分からない状況に、わたしたちは揃って呆気にとられた。

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