第8話 鍵

 咄嗟に男と思ったが、よく考えれば蜥蜴の顔を見て性別など判別できない。その身体はゆったりとした真っ黒のマントのようなものに覆われて、体形も不明だ。

 …いや、性別なんてどうでもいい。


 混乱して意味不明のことを考えていた状況から立ち直った俺は、思い切り前蹴りを放つ。出会い頭に腹を蹴りぬかれた蜥蜴人間は成すすべもなく吹っ飛んでいった。

 それを追って、俺も扉の向こうに踏み込む。扉の先は球形の小部屋だ。蜥蜴人間は部屋にあった雑多なものを巻き込んで奥の壁に叩きつけられており、すぐに起き上がってくる様子はない。

 後ろの通路ではガキが可愛らしい悲鳴を上げている。…蜥蜴人間をこの部屋から出すわけにはいかない。

 唐突に始まる強敵との戦いに怯みそうになる気持ちに火を入れて、扉の位置に陣取って曲刀を抜き放つ。


 やがて起き上がった蜥蜴人間は後ずさりながらきょろきょろと辺りを見回している。すぐさま跳びかかってくるのかと思っていたが、逃げるつもりなのか?

 こちらから仕掛けてしまえば、羊男のようにとんでもない速度で通路のほうに投げ込まれてしまうかもしれない。縦に割れた瞳孔としばしにらみ合う。

 逃げ場はないことを理解した蜥蜴人間は腰を落として突進の構えを見せた。それにあわせて、俺も剣を前に突き出して中段に構える。


 きゅっと喉を鳴らしたのち、両腕を掲げて曲面の床を走り出す蜥蜴人間。

 …あれ、遅いぞ。高速の突進に備えていた俺は思わずつんのめりそうになるが、迫る蜥蜴の片腕を撫で上げるように剣を振るう。腕を打ち払うつもりで放った一撃は、蜥蜴人間の手首を容易に切り落とした。

 この程度の相手ならば遠慮は不要だ。大きく踏み込んで横薙ぎの追撃。黒いマントごと深々と腹を切り裂き、勢いのまま駆け抜ける。後方では、蜥蜴人間が前のめりに倒れ伏していた。


「イネス、凄い…」


 扉からひょっこり顔をのぞかせたガキが目を真ん丸にしている。握りしめたピッチフォークの歯、それで加勢するつもりだったのか?

 人型の魔獣の恐ろしさについては、俺の経験を語る中で説明していたので随分と驚いている。しかし…


「いや、こいつは何て言うか…ニセモノだ」


 動かなくなった蜥蜴人間を蹴飛ばして仰向けにしてみるが、腹の傷の奥には骨も内臓もなかった。切り落とした手首からの流血もない。手応えからしておかしかったが、どうやらこいつは羊男などとは別物のようだ。よく考えてみれば、そんな強敵ならば扉越しでも気配に気づけたはずだ。


「ひゃっ」


 同じく蜥蜴人間を覗き込んでいたガキがまたも可愛らしい悲鳴を上げた。蜥蜴人間の傷口から赤黒い霧がもうもうと吹き出している。何が何だかわからないが、この部屋に留まるのは間違いなくまずい。

 ガキの襟首を掴んで通路まで退避する。


     ◇


 しばし通路で待機したのち、風術で小部屋の換気を試みる。時間はかかったが何とか作業を終え、部屋の中を覗き込んでみると、蜥蜴人間の亡骸があった場所には黒いマントがくたりと落ちているだけだった。亡骸は残らず霧になってしまったらしい。


 蜥蜴人間のことを調べることは出来なくなってしまったので、部屋のなかに散らばったものを漁ってみることにする。

 縦に吊り下げられたハンモックのようなものがある。こんな妙な姿勢で寝るのは不思議だが、ここはやつの居室だったようだ。恐る恐る匂いを嗅いでみるが、全くの無臭。おそらく普通の生き物ではなかったのだろう。

 わけのわからない存在に頭を捻っていると、ガキが喜びの声を上げる。ごみの山から何か掘り出したようだ。


「イネス、これ!」


 嬉しそうにこちらを見上げるガキの前には、開かれた木箱。中には黒い布のようなものがぎっしりと詰まっている。ひとつ引っ張り出して広げてみると、それは蜥蜴人間の着ていたマントと同じものだった。


「おぉ、やるな」


 ガキの頭をわしゃわしゃするが、遺物を見つけた興奮のほうが上回っているのか嫌がらない。先ほど切った感触からすればそこまで頑丈なものではないが、何かしらの特性をもっているかもしれない。

 ガキの背嚢にマントをあるだけ詰めていく。最後のひとつを持ち上げたときに手袋も一揃え出てきたので、これはガキに放り投げておく。こいつの分のグローブはチャーリーに頼んでいなかったので丁度いい。


 これ四本指なんだけど、と文句を言うガキは放っておいて、蜥蜴人間が倒れていた場所に向かう。ざっくり引き裂いてしまったが一応これも回収しておくかと床に落ちたマントを拾い上げる。と、何かが転がり落ちてきてきんと澄んだ音を立てた。


「なんだこれ?」


 曲面の床を転がるのは真珠色の輪。寸法からして腕輪だろうか。戦っているときは気がつかなかったが、あんな顔してお洒落をしていたらしい。豆粒ほどの水晶玉が八つ埋め込まれている。よく見ると、水晶玉のひとつの中に星のような輝きが煌めいている。これは間違いなく値打ちものだ。


 ガキに自慢してやろうと目の前にぶらぶらさせてみると、俺が口を開くより早くひったくられてしまった。


「これ、お父さんの腕輪!」


 …親父さん、凄腕だと聞いていたが、あんなのにやられたのか?

 くるくると腕輪を観察するガキを見守っていると、やがて肩を落とした。


「星の数が違う…」


 取り乱してごめん、と腕輪を返すガキ。落ち着いたようなので、もう少し詳しく話を聞いてみる。


「お父さんが遺跡探索に行くときにいつも着けてた腕輪にそっくりなんだ。傷みそうなのに、どうしてそんなのつけていくのか尋ねてみたことがあって…お父さんは、これは四つ星の冒険者の印なんだ、って笑ってた」


 冒険者の一部には実力を星の数(笑)で表す習慣がある。誰がどうやって認定してるのか知らないが、四つ星といえば相当な腕前のはずだ。

 回想に耽っていたガキがぽんと手を打つ。


「あ!それと、この腕輪は新たな道を拓く鍵なんだ、って格好つけてたよ」


 鍵、って…今一番役立ちそうなものじゃないか。重要な情報を後出ししたガキの頭をはたいて通路に飛び出した。


     ◇


 隣の扉の前で腕を組む。鍵っぽいものを手に入れたものの、使い方がわからない。鍵穴らしきものもないので、とりあえず扉に押し付けてみるが…何も起こらない。腕にはめて扉に手のひらを当てて魔力を流してみる。…これも何の反応もない。


「イネス、貸して」


 ガキの手に腕輪を載せてやる。親父さんから何かヒントをもらってたのか?と思ったが、そうではないようだ。俺と同じようなことを色々試したあと、首を横に振った。

 まぁ、この扉に対応した鍵ではないのかもしれない。何なら、さっきの蜥蜴人間が自室に出入りするためだけのものである可能性もある。

 ガキが腕輪を外して返そうとするが、そのまま着けさせておく。親父さんの形見そのものではないが、何となくガキに持たせておいたほうがいい気がする。


     ◇


 その後も、通路を進みながら壁に並ぶ扉に向かって順番に色々と試してみる。いずれの扉も反応なし。やがて、本命と考えていた一際大きな扉の前に辿りついた。


「さて…」


 扉の上にある赤く光るプレートを見上げる。何かあるとすれば、あれだろう。腕輪は丁度ガキに預けてあるので、そのまま登るように指示を出す。

 ガキは扉の中央にある隙間をたどるように垂直に歩いていく。…こいつは本当にどうなっているんだ。体幹の強さじゃなく技術なのだろうか、とガキの動きを注視する。

 ガキが扉の中ほどまで登ったとき…


「うぉっ!」


 突如、プレートが眩く輝いた。同時に放たれる強烈な魔力が身体を貫く。



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